いよいよ・・・清光館跡地・・・旅の終わり

2013年11月18日 | ブログ
洋野に入ってからも、くねくねと45号を走り、ネットで調べた大体の場所と、あとはナビを頼りに、むかいます。國男の随筆の中に、「八木駅」というのが出てくるのですが、今もきちんとその八木駅は存在し、見当はつけやすかったので助かりました。


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その八木駅です。小さな無人駅で、早や夕暮れになりかけていて、辺りは誰もいませんでした。

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国道を離れ、小学校の向かいからの小道にそれて、またもくねくね下りていくと・・・


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清光館の跡地です。本当に、畑になっていて、約90年前から、きっと変わらない光景なのでしょう。
目印というか、町で建てた記念碑以外、それを伝えるものはありません。

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それでも私は満足でした。
ここで、もっと上手にその「清光館哀史」を解説すればいいのでしょうが、興味のある方は、ぜひ読んでいただきたいので、それであまり気が進まないのです。。。が、あえて一つ二つ申し上げると、知ってる土地を、しばらくぶりに訪れると、変貌していて驚く事って、ありますよね?毎日そこにいる人は、その変化を忘れていても、久しぶりの人には驚かされる場合が多いのです。國男の心境も、強く驚かされたことでしょう。また。当時(大正九年)といえば、その二十何年か前に、津波の大きな被害が出ており、再訪するまでの6年の間にも、津波の被害が出ています。そういう中で、月夜の下で侘びしく盆踊りを行い、日々の無情とやるせなさを、いっときだけでも忘れ、小さな宴をささやかに愉しむ人々の、何とも言えない切なさが、とてもよく表れていて、感動するわけです。

長距離を移動し続ける強行軍で、運転の疲れもたまっていましたが、今回、絶対来ようと思っていたところは全て訪ねることができ、結果は大満足でした。



東北は、まだまだ復興もされていません。皆さん、歯を食いしばるように、日々闘っています。何も出来ない自分ですけど、彼の地の今の様子を少しでもお伝えできたら、それで一つ果たせた気がします。同時似、その間に、お店を守っていてくれたスタッフや、ご来店のお客様、送り出してくれた家族や環境に、ほんと感謝だと思いました。実際、被災地に行こうが、募金をしようが、それは一人で出来る事じゃないんですよね。色んな人の支えの上に、ちょこんとのせてもらってるに過ぎないんだよなあ、と、いつも思います。そんなみんなの気持ちの代表として、また来年も、再来年も、東北、訪ねていきたいと思います。


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