今月の初めに、「出雲大社へ行った」というような記事を書きましたが、その感想を全く書いていないことに『気付かされました』。
そんなわけで、遅ればせながら出雲大社の感想でも書きたいと思います。
今から遡ること25日、8月3日に出雲大社へ行ってきました。
「出雲」というところは、あの世、即ち霊界と繋がっている場所。確かそう言われています。
出雲大社は、その霊界を治める神、大国主命を祀っている場所です。
ここからは少し本を引用しながら、出雲大社に関する事を書きたいと思います。
『神話によれば、オオクニヌシは古代出雲を手中に収めたあと、伯耆・因幡の二か国(現在の鳥取県)を征服、さらに兵を進め播磨(兵庫県)で韓の王子、天の日槍(あめのひぼこ)と戦って勝ち、さらに山陰地方から越の国(北陸地方)、そして信濃(長野県)まで勢力下に収めた。まさに「大国の主」であったのだ。{井沢元彦 著、逆説の日本史(1)古代黎明編 より引用}』
日本がまだ「日本」と呼ばれる以前に、こんなことがあったみたいです。
逆説の日本史の中で、大国主命は「不幸な神」と書かれています。
その理由というのは─
『ところが、このオオクニヌシが辛苦の末に造った国を、いきなりやって来て「全部よこせ」と言った者がいた。それが、今の皇室の祖先神とされるアマテラスオオミカミ(天照大神)なのである。
女神であるアマテラスは高天原(神の世界)にいたが、葦原の中つ国(日本の古名)は、わが子孫の治めるべき国であると、勝手に決めてしまった。
そしてオオクニヌシに対し、この国の統治権譲るように、使者を出して命令した。』
一度は耳にしたことのある、天照大神。
このアマテラスが、いきなりやって来て国をよこせと言う。
これに対する答えは、誰でも同じだろう、「冗談じゃない、どうして俺の国をアンタに渡さなきゃならないんだ」。
当然、オオクニヌシも抵抗しました。
抵抗と言っても武力での抵抗ではなく、アマテラスの使者を懐柔する作戦をとり、これが成功。しかし、これに業を煮やしたアマテラスは、豪勇無双のタケミカヅチ(建御雷)の神を使者として派遣しました。
ここで行われたのが、『国譲り』と呼ばれるものです。
以下は再び逆説の日本史からの引用です。
『タケミカヅチは、剣を抜いて波の上に立て、その上にあぐらをかいた。(省略)そしてタケミカヅチはオオクニヌシを恫喝した。要するに「国をよこせ」「イエスかノーか」ということである。
これに対してオオクニヌシは「自分一人では決められない。息子のコトシロヌシ(事代主)の神とタケミナカタ(建御名方)の神に聞いてくれ」と答えた。
そこで、タケミカヅチはまずコトシロヌシに使者を出した。
コトシロヌシは「この国はアマテラスの子孫に譲るべきです」と答え、船の上で天の逆手を打った。これは普通と上下を逆にして拍手を打つことで、呪いの所作である。その所作を行ったあと、コトシロヌシは海へ身を投じた。』
「感想」と言っていたくせに、何で本を使った講義(?)が始まるんだ?
そう思いながら読んでくださった方、申し訳ないです;
ただ、何も知らないで「出雲ってこうだったよー」と言っても、何かツマラナイ内容になりそうで・・・
運良く、俺の兄貴が『逆説の日本史』シリーズの大ファンで、「出雲へ行く前に絶対に読んでおけ!」と力説するものですから、読んだのです。
読むまで知らなかったことばかりだったので、是非皆さんにも・・・
と余計なお節介で書いてます。終わるまで、今しばらく我慢して読んでください。
さて、コトシロヌシが海へ身を投じたことに、オオクニヌシのもう一人の息子であるタケミナカタが怒り、アマテラスの使者であるタケミカヅチに力競べを挑みましたが、あっさりと負けてしまい、信濃の諏訪湖まで逃げました。
タケミカヅチはしぶとく追いかけて、タケミナカタを殺そうとします。
タケミナカタは必死に命乞いをしました。
「今後一切この諏訪を出ないから許してくれ」と。
タケミカヅチはこれを許し、これによってタケミナカタは永遠に諏訪の地にとどまることとなった。
余談ですが、そのタケミナカタを祀ったのが、御柱神事で有名な諏訪大社だそうです。
二人の息子の意見を聞いてきたタケミカヅチは、再びオオクニヌシに「国譲り」をせまりました。
以下は逆説の日本史から。
『アマテラス側は、新たにタカミムスビ(高御産巣日)の神を代理人として、最後通牒をつきつけた。
「現世の政治は我が子孫がする。おまえはあの世のことをしなさい。おまえの住む宮殿はすぐに作ってあげよう。千尋もある縄でゆわえて、柱は高く太く板は広く厚く、してあげよう」
オオクニヌシもついに観念し、この条件を受け入れた。
そして「長に隠れ」た。つまり死んだのである。
こうして、オオクニヌシは黄泉の国へと退隠し、今後一切この世の政治(顕事)には口を出さず、霊界のみ治めることになった。
霊界の政治(幽事)の神となったのである。
人間の運命や結縁といったことも、幽事(かくりごと)の領分だ。だからオオクニヌシは「縁結びの神様」とされ、後世出雲大社はそれで有名になった。』
こういった歴史を持つ出雲大社。
かつては日本最大の建築物だった出雲大社。
日本の原点とも言えるようなこの場所は、深緑の木々に囲まれた、神秘的なところでもありました。
といったわけで、長々と読みにくい文を最後まで読んでくださった方、本当にお疲れ様でした。
興味がわいた方は、是非『逆説の日本史』を一読してみて下さい。
俺も現在進行形で読んでいます。
それでは、半分以上は感想ではないですが、今回はこの辺で!