8月の第一週末は、恒例のお祭り、宝塚ブルーグラスフェスティバルが開催される。この年は、(だいたい重なるのだが)どんぴしゃ、フェスの最終日と重なり、私たちはさすがに土曜の夜にフェス会場から撤退したが、披露宴に参加してくださる友人関係は音楽仲間も多く、日曜にいったん帰宅後、着替えて参加、という人も多かったようだ。
今は式披露宴をしないカップルもとても増えている(我が家にもひとり)、逆に会場予約が1年後、というような人たちもいて、そんな先のことはわかれへんのに、と思ったりもする。私たちの会場は、少し前に挙式した大学の友人から紹介してもらい、地元に近い吹田市民会館で行った。なんで吹田?実は、披露宴会場がアサヒビール直営のレストランだったから。工場直送の生ビールが、たいそう美味しかったらしい(たぶん私は飲んでない)
式場と披露宴会場が少し離れていて、バスで移動したのだが、バスを降りて、広い階段を歩いて上がる。阪急吹田駅の電車からよく見えるその階段の上で、親族集合写真を撮ったのだ。ドレスの裾をたくし上げて、階段を汗だくで上がる。黒留袖の親戚のおばちゃんたちは、ずっと扇子を動かしたまま。ほんとに申し訳ない日程だったなあ、またいいお天気やったし。
受付は、ぱすてるF島くんとkyこちゃん、Kすみちゃん、司会はT川さん、そして仲人はゴローショーリーダーとイメルダ夫人(両方のバンド仲間で全て揃えた、ということ。)席次表を作ってくれたのは弟(ニセ)の湯水、演奏協力は、ホワイトシスターズとゴローショー。入退場ほかのBGMは、我が家でただひとり、ヤマハのエレクトーン教室にちゃんと通った妹(ホンモノ)が弾いてくれた。この中にも物故者が何人もいる、寂しいな。
うちの子どもたちなら、披露宴に親の友人とか、ほとんど会ったことのない親戚なんか呼びたくない、って言うだろうけど、その頃は、というか私たちの場合は、まだまだ披露宴は半分親のためにある、みたいな感じだったので、遠方の相方の側はともかく、うちの父親の友人なんかがたくさん列席してくださった。(その代わり、実は披露宴は二回やっている。山口に帰って、相方の実家のご近所さんとか親戚をメインでご招待して。)
バンド演奏で宴会の賑やかしはゴローショー。ベースはなかったと思われる。
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kyこちゃんと津田さんによるお祝い演奏もあった。もちろん今のデイジーヒルも衣装のままで演奏したが恥ずかしいので写真は載せない。
ふつうに普通の披露宴だったけど、極力手作り感を出したいな、と思って、引き出物は当時私が務めていたSONYのラジオ付き時計(サイコロ型で可愛くて気に入ってた。我が家のはもうだいぶ前に壊れてしまったけど、後輩Yっこのおうちでは現役らしいのがとても嬉しい。)は、60個だったか大量発注して販社の人にビックリされた。もちろん階段を下りて自分で取りに行った。ラッピングも大量のきれいな紙を買ってやったなあ。他には夏だったので蒲鉾は諦めて、大きなスルメを田舎で用意してもらった。
ケーキは、今や地元でとても有名になったケーキ屋さんプチ・プランスに交渉しに行って、まとめて会場へ届けてもらうようにした。お店では引き出物に使う、というのは初めてだったらしく、とても喜んでくださったのを覚えている。まさかその20数年後に、同じ最寄り駅を使って通勤することになるとは思ってもみなかったが、その時は既に支店もいくつか出されて、駅前のお店はいつも満杯になる人気店になってた。
席次表の表には父の友人で子どもの頃とってもお世話になったI中先生のお祝いの書をいただいて、中のレイアウトとご挨拶文は、前述のように湯水が書いてくれた。
これはいわゆる新郎新婦のプロフィール
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遊びに来てね~と地図も載せた。個人情報ダダ洩れ?
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トリオトは、ずいぶん前になくなったな。
実は彼は、結婚式の少し前まで我が家に居候していた期間があった。1週間ほどだったけど。そういえば、家具を買いに行った時、サイズを測り忘れた場所があったのだが、彼が留守番してくれていたので電話して測ってもらった覚えもある。
披露宴中、やはりお疲れだったようで、お仲人さんは何度も船を漕いでおられた。ビデオにもばっちり写っているが、8ミリビデオなので、もうほとんど見る術がない。
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二次会や、友人中心のパーティはやらずに終わってしまった。今考えたら、やったらおもしろかっただろうな、と思うけど、気持ちは1週間後の旅行にだけ向いてたので、終わって新居の古いマンションに帰って、ばったりと寝てしまった気がする。翌日、普通に仕事に行って職場のみんなに「今日ぐらい休んだらよかったのに」って言われたな。
そしてこれはその8年後の記念日の写真。上二人の子どもと一緒に、披露宴会場だった、ローゼンタールいずみに行ってご飯を食べた。長女(当時4才)がシャッターを押してくれた写真。おとーさんのカオは入ってなくても良かったらしい。
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節目の年でもなかったが、コロナ騒動のお陰で外食の予約を取るでもなく、フェス会場で賑やかに乾杯でもなく、バタバタと仕事帰りにお寿司を買って帰っての記念日のお祝いが、ふつうに暮らすことがどんなに必要なことかを教えてくれた気がした。