たまには音楽以外のお話をしましょうか。
僕の実家はごく普通の木造の2階建て。一般的な日本家屋です。
が、数ある部屋のうち、一つだけフローリングの洋間があります。
その部屋には、高さ50cmほどのガラスケースに入った市松人形が置いてあります。
市松人形と言っても赤い着物を着た女の子ではなく、紺色の着物で髪の毛も何だか少し短めの、どちらかと言うと男の子のような雰囲気の人形です。
こんな季節に市松人形なんて言葉を聞くだけで、何かイヤな感じがしませんか?
するでしょ?
てなわけで今日はその人形についてのお話です。
真夏日が続いてうんざりしているみなさんに多少涼しくなって頂きましょう。
その市松人形は、僕が生まれる前からあるようで、僕はその人形のルーツは知りません。
僕は幼い頃からその洋間で遊んでいたので、特にその人形が怖いとか気味が悪いなどとは思わず、女の子のように人形遊びにも興味の無かった僕にとっては、単なるインテリアの一つであるという認識でしかありませんでした。
が、僕が小学校2年の時。
曾祖母が亡くなった時の事です。
まだ幼かった僕は、通夜の最中来客の邪魔にならないようにとその洋間に押し込められ、仕方なくマンガを読んだりお菓子を食べたりと、ダラダラとその部屋で過ごしていました。
そして、通夜の客足も大分少なくなった夜の10時くらい。
お菓子が無くなって、マンガにも飽きた僕の目に入ったのはその人形でした。
「あれ?何か、いつもと顔が違う・・・。」
僕はふとそう思いました。
普段は幸せそうな笑みを浮かべている口元が何だかこの日に限っては真横一文字にきゅっと締まっているように見えました。
心なしか、少し悲しそうな雰囲気です。
髪の毛も、いつもよりぼさぼさとクセがついているようでした。
この時期季節が冬で、なおかつストーブを部屋の中で炊いていたため空気が乾燥し、木で出来た顔と髪の毛が水分を失って形が変わってしまったのだと、言ってしまえばそれでおしまいですが。
僕が見たそれはまるで、人が泣き崩れた後のようでした。
それ以来、僕は事あるごとにその人形に目が行くようになりました。
親戚のおばあさんが亡くなった時。
そして3年前祖父が亡くなった時。
驚くことに彼はいつも笑っている口をきゅっと引き締め、悲しみをこらえていました。
季節に関わらず、髪の毛にも多少乱れがあり、我を忘れて一晩中泣き明かしたかのよう。
また、誰かが死んだ時だけではなく、父が国家試験に合格した時、僕が大学に受かった時は、今度は口の端を上に持ち上げ、
「よかったね、おめでとう。」
と言っているような嬉しそうな表情をしていました。
目もちょっと細くなって、笑みをこぼしているようでした。
もちろんそんな風に見えた気がしただけかも知れませんが、何だか彼が、うちの家族の抱く感情をそのまま表現してくれているような気がして、怖さを通り越して嬉しいような楽しいような不思議な感覚になりました。
その人形もきっと、ずっと同じ家で暮らしているうちに、自分もこの家の家族にの一員であるという認識をしてしまったのではないだろうか。
家に訃報があれば自分も悲しみ、吉報があれば自分も嬉しい。
人形に取り憑くモノが人間に害をなすわけではなく、ただ近くの人間と同じ感情を持って同じ屋根の下で暮らす。
何だか怖いと言うより、可愛げのある話だと思いませんか。
その人形は今も実家で家族とともに暮らしています。
僕自身、幽霊とか妖怪とか非科学的なものは信じない派なんですが、こういうことを考えたり、歌詞にしたりするのは好きです。
いないのは判っているけど、いたら色々面白いだろうなーという感じ。
というわけで、本日はほんのちょっと涼しいお話でした。
ちなみに、僕が以前作ったこの曲はこの人形がモデルとなっています。
曲自体は洋楽的なロックなので、画像は市松人形ではなくブライスなんですけど。
僕の実家はごく普通の木造の2階建て。一般的な日本家屋です。
が、数ある部屋のうち、一つだけフローリングの洋間があります。
その部屋には、高さ50cmほどのガラスケースに入った市松人形が置いてあります。
市松人形と言っても赤い着物を着た女の子ではなく、紺色の着物で髪の毛も何だか少し短めの、どちらかと言うと男の子のような雰囲気の人形です。
こんな季節に市松人形なんて言葉を聞くだけで、何かイヤな感じがしませんか?
するでしょ?
てなわけで今日はその人形についてのお話です。
真夏日が続いてうんざりしているみなさんに多少涼しくなって頂きましょう。
その市松人形は、僕が生まれる前からあるようで、僕はその人形のルーツは知りません。
僕は幼い頃からその洋間で遊んでいたので、特にその人形が怖いとか気味が悪いなどとは思わず、女の子のように人形遊びにも興味の無かった僕にとっては、単なるインテリアの一つであるという認識でしかありませんでした。
が、僕が小学校2年の時。
曾祖母が亡くなった時の事です。
まだ幼かった僕は、通夜の最中来客の邪魔にならないようにとその洋間に押し込められ、仕方なくマンガを読んだりお菓子を食べたりと、ダラダラとその部屋で過ごしていました。
そして、通夜の客足も大分少なくなった夜の10時くらい。
お菓子が無くなって、マンガにも飽きた僕の目に入ったのはその人形でした。
「あれ?何か、いつもと顔が違う・・・。」
僕はふとそう思いました。
普段は幸せそうな笑みを浮かべている口元が何だかこの日に限っては真横一文字にきゅっと締まっているように見えました。
心なしか、少し悲しそうな雰囲気です。
髪の毛も、いつもよりぼさぼさとクセがついているようでした。
この時期季節が冬で、なおかつストーブを部屋の中で炊いていたため空気が乾燥し、木で出来た顔と髪の毛が水分を失って形が変わってしまったのだと、言ってしまえばそれでおしまいですが。
僕が見たそれはまるで、人が泣き崩れた後のようでした。
それ以来、僕は事あるごとにその人形に目が行くようになりました。
親戚のおばあさんが亡くなった時。
そして3年前祖父が亡くなった時。
驚くことに彼はいつも笑っている口をきゅっと引き締め、悲しみをこらえていました。
季節に関わらず、髪の毛にも多少乱れがあり、我を忘れて一晩中泣き明かしたかのよう。
また、誰かが死んだ時だけではなく、父が国家試験に合格した時、僕が大学に受かった時は、今度は口の端を上に持ち上げ、
「よかったね、おめでとう。」
と言っているような嬉しそうな表情をしていました。
目もちょっと細くなって、笑みをこぼしているようでした。
もちろんそんな風に見えた気がしただけかも知れませんが、何だか彼が、うちの家族の抱く感情をそのまま表現してくれているような気がして、怖さを通り越して嬉しいような楽しいような不思議な感覚になりました。
その人形もきっと、ずっと同じ家で暮らしているうちに、自分もこの家の家族にの一員であるという認識をしてしまったのではないだろうか。
家に訃報があれば自分も悲しみ、吉報があれば自分も嬉しい。
人形に取り憑くモノが人間に害をなすわけではなく、ただ近くの人間と同じ感情を持って同じ屋根の下で暮らす。
何だか怖いと言うより、可愛げのある話だと思いませんか。
その人形は今も実家で家族とともに暮らしています。
僕自身、幽霊とか妖怪とか非科学的なものは信じない派なんですが、こういうことを考えたり、歌詞にしたりするのは好きです。
いないのは判っているけど、いたら色々面白いだろうなーという感じ。
というわけで、本日はほんのちょっと涼しいお話でした。
ちなみに、僕が以前作ったこの曲はこの人形がモデルとなっています。
曲自体は洋楽的なロックなので、画像は市松人形ではなくブライスなんですけど。