
「感謝感激雨霰」
二日前(4.10)の夜、日本の、否、世界の女子フィギュアスケート界を牽引してきた浅田真央が、
自らのブログに以下の心境を綴って、競技人生への別れを告げました。
“ご報告致します。
突然ですが、私、浅田真央は、フィギュアスケート選手として終える決断を致しました。
今まで、長くスケートが出来たのも、たくさんの事を乗り越えてこれたのも、多くの方からの
支えや応援があったからだと思います。
ソチオリンピックシーズンの世界選手権は最高の演技と結果で終える事ができました。
その時に選手生活を終えていたら、今も選手として復帰することを望んでいたかもしれません。
実際に選手としてやってみなければ分からない事もたくさんありました。
復帰してからは、自分が望む演技や結果を出す事が出来ず、悩む事が多くなりました。
そして、去年の全日本選手権を終えた後、それまでの自分を支えてきた目標が消え、選手として
続ける自分の気力もなくなりました。このような決断になりましたが、私のフィギュアスケート
人生に悔いはありません。
これは、自分にとって大きな決断でしたが、人生の中の1つの通過点だと思っています。
この先も新たな夢や目標を見つけて、笑顔を忘れずに、前進していきたいと思っています。
皆様、今までたくさんの応援、本当にありがとうございました。
浅田真央”
伝説と化すであろうソチ冬季五輪のフリー。己が求めていた演技を完璧なまでになし遂げたその直後、
彼女の頬を伝う涙が金色に輝いていたことを。
今日の記者会見で見せた涙は桜色。その涙に乾杯!
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昨日、1組のM.Tくん宅で同組のK.Kさん、F.Yくん、2組のK.Tくん、そして4組の僕の5人が、
二抜けのルールで、卓を囲みました。
「麻雀」の語源(中国語)は、スズメだそうな。竹で作ってある牌を掻き回すときに出る
音がスズメの鳴き声に似ているからだと。で、中国では紛らわしいので「麻将」と書くと
のこと。
「中」(チュン)の牌で無くとも鳴く。
最近の牌は、プラスチック製のものが多く、ジャラジャラと無粋な音しか立てませんが、
M.Tくんの所持するものは、かなり年季の入った竹製のもので、心地よい音を奏する。
ただ、使い込んでいて丸味を帯びているからなのか、寄る年波による手元不如意の所為か
らなのか、良くは分かりませんが、山を築くときや、その山から牌を自摸(ツモ)るとき
にポロリポロリと転げ落ちる。で、見て見ないふりが暗黙のルール。
視力も記憶力も共に衰えているから無用のルール。
東(トン)場だけでも1時間ちょっともかかる(判断力、決断力、視力、筋力、etc.の衰え
故)ので、1/4チャン(または箱テン)で終了。季節柄、東風ばかりが吹く。
午後3時から始めて、途中夕食を挟んで、午後9時までの熱闘でした。結局4戦しかできませ
んでしたが、錆びついた頭の潤滑油にはなってくれたかも。反面、同じ姿勢で慣れない椅子
に括り付けられていたので、足腰はしっかり錆びついてしまって、今朝はちと具合が悪い。
で、戦績は、ドングリの背比べながらも、K.Kさんが1位!勝利の女神は男性陣には微笑まな
かった。(-"-)
と題する、面白いと云うか、流石は軍事アナリストだけのことはあると思わせるだけの記事が掲載されて
いたので、今後を占うためにも一読をお薦め。(^^)v
その記事は、以下のURLです。
http://www.msn.com/ja-jp/news/world/%e5%8c%97%e6%9c%9d%e9%ae%ae%e5%8d%b1%e6%a9%9f%e3%81%af%e9%87%91%e6%ad%a3%e6%81%a9%e3%81%ae%ef%bd%a2%e6%80%af%e3%81%88%ef%bd%a3%e3%81%8c%e5%8e%9f%e5%9b%a0%e3%81%a0%e3%81%a3%e3%81%9f-%e7%b1%b3%e5%9b%bd%e3%81%ae%e3%83%a1%e3%83%83%e3%82%bb%e3%83%bc%e3%82%b8%e3%81%a7%e5%bd%bc%e3%81%8c%e6%84%9f%e3%81%98%e3%82%8b%ef%bd%a2%e5%91%bd%e3%81%ae%e5%8d%b1%e9%99%ba%ef%bd%a3/ar-BBA48Cl#page=1
チキンゲームと云ったって、アメリカにとっちゃ、チキンは自らの手に、それも繰糸の先に繋げられた日本
と韓国ですからね。北朝鮮のチキン、トサカ金正恩とは心拍数が大きく違う。
アメリカは大義名分待ち。極度の心理的圧迫が引き起こすであろう、真珠湾攻撃に相当するものをひたすら
待っている。韓国との小競り合いでも、同盟国ですからね、その発火点になり得る。
天災より戦災を心配しなけりゃならないときが来る、なんてことは野党は全く考えてもいなかった(森友だ
とかつまらぬ粗捜しにうつつを抜かしていた)だろうから、肝心要の集団的自衛権の先制攻撃だとかテロ準
備罪法案だとかはほったらかし。まったく平和ボケそのものだよね。世も末。(ToT)/~~~
中国にとっちゃ、北朝鮮は砦(自由主義陣営、取り分けアメリカとの緩衝地帯)であれば良いわけで、
一番困るのは戦争になること。表向きは難民だとか経済だとかの悪影響があるとか綺麗ごとを云って
いるけど、南北朝鮮が統一されてアメリカ軍が鼻先に出張ってくるのを最も恐れている。そんなことに
なったら、海洋進出など望むべくもなく、以前のように大陸に閉じ込められることになる。
で、中国がアメリカに譲歩したのは、首を挿げ替えることに口を挟まないことだろうと。アメリカも
新たな政府が穏健なものであるのなら、中国の管理下に入っても構わないと譲歩した。
これだと韓国にとっても日本にとってもトバッチリを受けることなく、ソフトランディングできるから、
当然のこととしてアメリカに協力することになる。
原子力空母カール・ビンソンをはじめとする打撃軍の近海への派遣や日本の自衛隊艦船や韓国のそれら
と共同訓練云々は、いわゆる陽動作戦と云うやつで、真の狙いは中国軍の介入を抑えた上での政権転覆
作戦。日本政府がミサイルが飛んできたときの行動指針だとかを取って付けたように「国民保護ポータ
ルサイト」に掲載したり、避難訓練を行ったりしているのもその一環。
一番被害を被るであろう韓国が泰然自若としているのも、隠密裏に作戦が順調に進んでいる証だろうと。
だから明日(25日)の朝鮮人民軍創建記念日で金正恩がどのような徴発行為を行おうが、すぐに化学反
応が起こるわけでは無くて、機が熟せば実行される。核実験をやろうが止めようが関係ないよ。既にレ
ッドラインを超えたとアメリカは見做しているのだから。同盟国を守るために未然に危険人物を取り除
いたとの大義名分を胸を張って世界に喧伝できるわけだし、不人気なトランプの株も上がることだし。
三方一両損どころか四方両得なんだし。
金正恩だってそういったことは百も承知。影武者だって用意しているよ。だから、特徴的な体つき、髪形
を殊更に顕示して、ちょっとした違いが分からないようにしている。
でもね、アメリカは、金正恩のDNAをばっちり押さえているようだから、しかもDNAで追尾できる無人偵察
機があるようだから、いつどこで寝首を掻かれるか分からない。側近がブルータスになることだって十分
あり得るだろうし。●~*
無人偵察機がレーザーを照射して、照射した人物のDNA判定が可能と、17日の日テレ「ミヤネ屋」で
やっていましたが、仕組みは不明。いずれにせよピンポイントでの殺害が可能とのこと。
アメリカは、仕掛けてくるのを待って叩く作戦とこの隠密作戦との二面作戦なのかしらん(?_?)
※一部誤りがあったので、再投稿しました。
『ことばの歳時記』(金田一春彦著)の今日(5月4日)のお題は、「琵琶」。
なぜ琵琶を採り上げたのかと云うと、次の与謝蕪村(1716~1783)の俳句がこの頃の時節を
表わしているからなんですね。
「行く春や 重たき琵琶の 抱き心」
この句を枕にして、“晩春のけだるい哀愁を蕪村は古雅な楽器に託してたくみに表現したが、
この「琵琶」ということばはいうまでもなく、中国伝来のことばで、しかも中国でもほかの
国から輸入した外来語だったと察せられる。岸辺成雄博士によると、琵琶は元来西域の楽器
で、ペルシャ語でバルバットといい、またビーバーといった。これが中国語に輸入され、そ
の音を表わす「琵琶」という字があてられたのだろうといわれる…”と言語学者らしい薀蓄
に繋がります。
なぜ「みどりの日」に因んだ緑の薀蓄にならなかったかと云うと、『ことばの歳時記』が東
京新聞(と中部日本新聞)の紙上に連載されていた昭和40年(1月から12月までの1年間)に
は、まだ「みどりの日」が無かったから。
夕刊紙上に連載していたときの題名は『ことば歳時記』。それが翌41年に単行本として文
藝春秋社から出版されるときには『ことばの博物誌』となり、さらに昭和48年に新潮社か
ら文庫本として出るときに『ことばの歳時記』となった。
いずれのときにも加筆、差替えがなされているものの、やはり未だ「みどりの日」は無か
った。
みどりの日が制定されたのは、昭和64年のこと。もともとは、昭和天皇の天皇誕生日(4月
29日)に変わる祝日だったのですが、その名が相応しいかどうかと云うよりも、これからも
その天皇に相応しい命名を考えるのが面倒臭いと考えたのが本音のように思うのですが、平
成19年からは「昭和の日」と祝日名が変わりました。
「みどりの日」となったのは、昭和天皇の造詣の深かった植物に因んだ「緑」を付けた
からとのこと。
で、「みどりの日」は、それまで「国民の休日」と呼ばれていた5月4日に移動。
平成19年から実施されるようになった「みどりの月間」(4月15日~5月14日)に合わせて
の移動。
で、また「琵琶」に戻って。
琵琶湖って、昔は近淡海、近江の海、鳩(にお)の海などと呼ばれていたそうなんですよね。
冒頭の蕪村の句の頃は、既に琵琶湖と呼ばれていた。1689年の貝原益軒の日記に琵琶湖の地
形が琵琶に似ているとして「故に琵琶湖と言う」とあり、このときから広くその名が使われ
るようになったとか。
琵琶の伝来は古く、ペルシャ・アラビアを起源とし、インド・西域・中国を経て、奈良時代
に日本に遣って来ました。
ここからは日本らしいのですが、時代・用法・形状などによって、楽(がく)琵琶、盲僧(も
うそう)琵琶、平家琵琶、薩摩琵琶、筑前琵琶などが作られます。
楽琵琶:他の琵琶より大型で、主として管弦合奏用。
盲僧琵琶:耳なし芳一など盲僧用。平家琵琶の源流であり、近世以降は薩摩琵琶と筑前琵琶
へと発展。
平家琵琶:平曲の伴奏用。
薩摩琵琶:筑前琵琶に比べて男性的で勇壮な楽曲(「白虎隊」、「城山」など)向き。
筑前琵琶:薩摩琵琶より小型で、優美な楽曲(「湖水渡」、「壇の浦」など)向き。
つらつら思うに、日本人のなんと柔軟なことか。それが日本文化の本質なんだけどね。!(^^)!
明日(5月14日)は、「母の日」。
そもそもは、1907年5月12日のこと。米国人女性アンナ・ジャービスが母の追悼式にひと箱の
カーネーションを捧げたことがその始まりだとか。
米国は1914年ウィルソン大統領のときに、5月の第二日曜日を「母の日」と制定。
日本は昭和の初期から皇后誕生日である3月6日がそうであったのですが、先の大戦での敗北
以降は米国にならって同じ日とするようになりました。
僕の母は卒寿ですが、有り難いことに今も元気で、僕の胸に飾るカーネーションは赤。
赤と云えば深紅のバラの花、と無理やり掲題へ繋げるのですが…(^^ゞ
「百万本のバラ」と云う歌がありますよね。日本では加藤登紀子の訳詩によるものが有名です
が、オリジナルはラトビアの歌謡曲『Dāvāja Māriņa』(ダーヴァーヤ・マーリニャ。「マーラ
【ラトビアの女神の名前】が与えた人生」の意)で、その歌詞の内容は大国(ロシア)に運命を
翻弄され続けてきた小国ラトビアの苦難を暗示するもの。
ラトビアは、18世紀にロシアの支配下に入り、1918年に独立するも、1940年にはソ連に編入さ
れ、1991年のソ連崩壊にともない独立した。
邦訳(岩谷時子、1984年)したものを小田陽子が歌っています。以下のところで聴くことがで
きます。
https://www.youtube.com/watch?v=Isn2Trf5JNI
こんな内容が世界中に広まってはさあ大変!なんて思ったかどうか。ソ連は翌1982年に歌詞(作
詞:アンドレイ・ヴォズネセンスキー)を恋物語に変えて、アーラ・プガチョワ歌唱によるシン
グル盤を発売するとともにテレビやラジオで流し、絶大な人気を博し、現在に至ります。
アーラ・プガチョワの歌は以下のところで聴くことができます。
https://www.youtube.com/watch?v=zDjotWBFi4Y
その恋物語ですが、グルジアの画家ニコ・ピロスマニがマルガリータという名の女優に恋したと
いう逸話に基づいているとか。でもね、ピロスマニはマルガリータをモデルにした絵を何点か残
しているそうですから、そして恋人同士でもあったと云いますから、歌詞にある片思いの画家と
はシチュエーションが大分違う。
因みに「百万本のバラ」のロシア語の歌詞を邦訳すると、次のようになります。
♪ひとりの絵描きがおりました 財産といえば小さな家とカンバスだけ
そんな絵描きが 女優に恋をした
女優は花が大好きでした 絵描きは小さな家と彼の絵とカンバスを売り払い
そのお金で全部で買ったのは あふれる海ほどの花でした
百万本の真っ赤なバラを
窓から窓からあなたが見てる
心から心から愛するあなたへ
すべてを花に変えて捧げましょう
朝あの人は窓辺へ来て きっとびっくりするでしょうか
まだ夢を見ているのではないかしらと 広場を埋め尽くすバラの花に
いいえ、ふと我に返り どこのお金持ちの酔狂だろう?と
窓の下にはそっとはにかむように 貧しい絵描きが立っておりました
百万本の真っ赤なバラを
窓から窓からあなたが見てる
心から心から愛するあなたへ
すべてを花に変えて捧げましょう
出会いはかように短く 晩には女優を乗せた列車が去ってゆきました
だけど彼女の人生には 咲き誇るバラの歌がずっと響いておりました
すべてを使い果たした絵描きはひとり 貧しさの日々を送りました
けれど彼の心にはいつまでも 広場一杯の花の思い出が残りました
百万本の真っ赤なバラを
窓から窓からあなたが見てる
心から心から愛するあなたへ
すべてを花に変えて捧げましょう
百万本の真っ赤なバラを
窓から窓からあなたが見てる
心から心から愛するあなたへ
すべてを花に変えて捧げましょう
百万本の真っ赤なバラを
窓から窓からあなたが見てる
心から心から愛するあなたへ
すべてを花に変えて捧げましょう
百万本の真っ赤なバラを
日本語にすると、饒舌すぎて舌を噛みそうです。
加藤登紀子の訳による歌詞(1987年)は、ロシア語版をよく踏襲しているが故にちょっと歌い難い
ですね。
歌詞の中には、も少し適当な語彙が無かったのかしらん、と思わせるものも散見できます。
例えば
♪どこかのお金持ちが ふざけたのだと思った
よりも、2002年の山川啓介による訳詞
♪暇なお金持ちの 悪いいたずらだわ
の方が洗練されています。
同様に
♪出会いはそれで終わり 女優は別の街へ
真っ赤なバラの海は はなやかな彼女の人生
貧しい絵かきは 孤独な日々を送った
けれどバラの思い出は 心にきえなかった
よりも同上の訳詩
♪女優は旅立ち 実らない恋も
バラも枯れ やがて絵描きは世を去った
けれども孤独な 人生のキャンバス
一面のバラは 死ぬまで鮮やか
の方がスマートです。
シチュエーションは若干違う(貧しい絵描きは同じだが、若者との形容が付いている。また、恋し
た女性は女優では無くて踊り子としてある)が、松山善三による訳詩(1983年)が素敵だ。
例えば上述した箇所は
♪出会いは短く あなたはもういない
あなたは踊り子 街からまた街へ
夜汽車の窓べで あなたは思うだろう
見えない愛の灯が この世にあるのだと
と、より詩的です。
さらにこの後に
♪くるくる くるくる くるくる廻る
真っ紅なサテンの トウシューズ
残った僕の 熱い心には
甘い思い出 涙のしずく
貴女に 捧げた バラの花は
枯れても 枯れても 枯れても わがいのち
貴女の 貴女の 貴女の胸に咲く
あなたの姿は 遠く消えても
と、リフレイン(繰り返し)するのです。
加藤登紀子版では原曲と同じく(曲の最後を除いて)リフレインはありません。
松山善三版は、詩的である反面、やはり言葉が多くて、かなり早口で歌わざるを得ません。
べつに名前に「早」が入っているからではありませんが、久保田早紀の歌(1988年)ではそのよう
なことを感じさせません。でも、僕だと舌を噛みそう。それも何度も。
やはりリフレインを使っているのが山川啓介版で、しかも同じ(一か所だけ若干の違い有り)文言
なので、しかも歌詞全体が饒舌では無いので、覚えやすくて良いですね。
因みにそのリフレインは
♪真っ赤な 真っ赤な バラの花で
町中探した バラの花で
あなたのために 描いたのです
百万本の バラの海
真っ赤な 真っ赤な バラの花は
誰も知らない 僕の心
あなたをそっと 見上げている
おろかで熱い 僕の涙
「大事なことだから二度云う」といったキャッチコピーがかって有りましたが、リフレインがある
と情感が増すのですよね。
山川啓介版はウィスパーボイスの伊東ゆかりが歌っているのですが、何だかんだで僕は一番気に入
っています。!(^^)!