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大森第一小学校第40期卒業生同期会

卒業して幾星霜、さあ懐かしい面々と再会し、浮世の憂さも忘れて、思い出話に花を咲かせよう!

つぶやきの部屋125

2024-08-25 13:05:34 | Weblog

「ほっととホット」

「(40―40達成は)もちろんうれしい。何より勝てた、最後に打てたことが、
本当に、ドジャースに来てからの、いまのところ一番の思い出になった」
大谷にとっては通過点でのことでしかないとは云え、やはりドラマチックな真夏の
出来事でしたね。

見出しに使った画像は、大谷が満塁サヨナラホームランを捉えた瞬間、その飛球の
行方を追う観客たちの様々な仕草・表情、三塁を回るときのヘルメットを放り投げ
て飛び跳ねる大谷の姿をコラージュしたものです。

「(打席に入り)構えている段階で、いい未来があまり見えていない感じ」
大谷の8月の成績、ホームランこそ7本打っていたけど、打率は1割9分8厘(いずれも
現地22日現在)と不振も不振の大スランプに陥っていた。
だからね、大谷に打席が回ってきたときに、またチャンスを潰すのでは、なんて不安
だったのですよね。
それまで4打数1安打、その安打だって内野安打で決してよい当たりではありませんで
したからね。

「最初分からなかったので、(外野手が)触っているか、フェンスに当たっているか。
審判が(手を)挙げてくれて分かりました」
それほど微妙なグランドスラムだったわけですが、人知の及ばぬ力が働くのがヒーロー
のヒーローたる所以。まるで天による筋書きのようなヒーロードラマでしたからね。

「うれしいっていうよりほっとした感じ。勝って、打てて良かったなっていうのがまず
(スタンドに)入った瞬間はそんな感じだった。興奮っていうよりかは、ほっとした感じ
の方が強かった」
出てきた出てきた掲題が。不振な上にチャンスに弱いなんてレッテルを貼られていたか
らね、安堵もしただろうけど身体は正直。昨年のWBCでトラウトをスイーパーで三振に仕
留めて優勝したときに投手大谷が被っていたキャップを放り投げたのを覚えているでしょ。
昨日もヘルメットをそうした。身体は宙を跳ねていた。ホットだったのですよ。
プレッシャーという名の肩の荷が下りて、心も身も軽くなった。「ほっと」と「ホット」
が、ない交ぜになっていたのですよ。

おまけ。
大谷、髪型変えましたね。ずっと男前になりました。裕次郎くらい短くしても好いかな。


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つぶやきの部屋124

2024-08-19 12:24:47 | Weblog

「二枚目の代名詞」

と云えばこのひと。世界の女性を魅了したアラン・ドロンが亡くなりましたね。
(2024年8月18日歿、享年88)
母国フランスよりも日本での人気が高かったのは、陰のある美男子だったからで
しょうか。何せ陰影礼賛の美意識を持つお国柄ですからね。
 若大将に憧れることはあっても、秘かに心寄せる相手は陰ある男性のような。

僕は、大半のひとと同じく、アラン・ドロンの出世作「太陽がいっぱい」(1960年)
が彼の出演作の中では一番好きですが、「地下室のメロディー」(1963年)や「サム
ライ」(1967年)も好きでした。変わったところでは二枚目を売り物にしていない
「フリック・ストーリー」(1975年)、最後にギロチンに掛けられる「暗殺者のメロ
ディ」(1972年)も心に残る作品でした。

一頃TVで流れていたレナウンのCM「D'urban c'est l'elegance de l'homme moderne」。
カタカナにすると「ダーバン、セ・レレガァンス・ドゥ・ロム・モデルヌ」となる
そうですが、僕には「ダーバン、セ・レレゴンス、ドゥワ・モデーム」と聞こえて
いました。(^^ゞ
ドロンは差し詰め「Delon c'est l'elegance de l'homme moderne」でしょうか。
「ドロンは、現代の男性のエレガンスだ」と、笑点の小遊三師匠が今もオマージュ
を奉げていますし。

合掌


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