この絵は、中山忠彦画伯の「サッフォー」と題する絵を模写したものです。
やはりパステル画ですが、20号(72.7 x 50.0cm)くらいの大きな絵です。
(実際はもっと明るい色彩の絵なのですが、暗いところでフラッシュを焚かず
に撮ったので、こんな色合いになってしまいました。)
模写に使用した図録、それは月刊の美術雑誌に掲載されていたのですが、
ハガキの半分くらいの大きさで、それを拡大して仕上げたのですが、
昨年、日本橋の高島屋で開催された「中山忠彦 永遠の女神展」に展示
されてあった実物(油彩)は、もっと大きくて80号(145.5×97.0cm)もありました。
それにしても、30代前半は根気もあったし、目も良かった。今ではとても
無理です。
中山画伯は、白日会の伊藤清永に師事しましたので、この頃(S47)の作品には
(伊藤清永はルノワールに師事していたので)その影響が多分に現れています。
絵のモデルは、作品の大半がそうであるように、画伯の夫人の良江さんです。
画伯も若い頃(このとき37歳)には未だ貧しくて、純白の薄着の衣裳は夫人の
手作りに依るものですし、右手が軽く握るハープは鏡の縁を利用したそうです。
僕は、その純白のドレスにピンクの帯、それと緑の背景といった色彩のコント
ラストに惹かれたのですが、顔だけは意識するしないに関わらず、僕好みの
ものになってしまいました。(画伯の絵では、奥様の凛とした佇まいがその
表情によく現れているのですが、僕の方は少し妖艶です。)
中山画伯が何故「サッフォー」と題したのか全くもって存じませんが、サッフォー
は紀元前6世紀頃に活躍した古代ギリシアの女流詩人です。
恋愛を扱った作品(その中には女友達を讃美したものもありました)が多かった
こともあって、後になってのことですが、キリスト教の隆盛とともに異教的頽廃的
とされ、有り難くない代名詞を戴くことになります。
「サフィスト」といっても分からないかも知れませんが、彼女の出身地である
レスボス島からとった「レスビアン」なら分かりますよね。
僕が中山画伯を知る切っ掛けとなったのは、赤坂にあった本社ビルのロビーに画伯の
絵が飾られてあったからです。「サッフォー」より少し前(S41)に制作された「椅子
に倚(よ)る」という絵で、夫人と結婚した翌年の、そして夫人をモデルにした三作目
の、そして第9回新日展に見事入選した、作品です。(この絵、珍しくルノワール風
ではなくて、小磯良平風です。)
同じ題名の作品がもう一点ありますが、本社にあったのは、椅子に座った夫人の衣裳
が薄地の純白の半袖ブラウスに、胸のところに黒い結び紐の付いた袖無しの赤い服
(何と呼ぶのか分からないのですが、「THE SOUND OF MUSiC」のレコードジャケット
のマリアの服装に似た物です。前年に映画が公開されていますので、触発された可能
性はありますね)、そして刺繍の入ったイエロー系のエプロンを着けたもので、背景
がグレーで、正面ではなくて斜め45°に向いた構図の作品です。
この衣裳も知人から借りたそうですし、エプロンは鏡掛けを代用したそうです。
この絵、社友から寄贈されたものとばかり思っていたのですが、そのうちに姿を消した
ところを見ると、借り受けていただけだったのですね。現在は、ウッドワン美術館蔵と
なっています。
借り物尽くしのお話でした。
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