
「白黒つけろ!」
さて、つぶやきの部屋98(「一刻も早く救済して!」)の続きです。
何の咎も無いのに13年に亘って囚われの身となっていた観世音菩薩坐像
が昨日(5月12日)に韓国の浮石(プソク)寺から福岡を経由して12日
未明、フェリーで対馬市に到着し、無事観音寺に戻ってきました。
まずはメデタシ、メデタシと云いたいところですが、気になることが。
返還するに当たって韓国側からとんでもない次の提案があったのです。
「最後にもう2つ作りたい」。何を?それがなんと坐像のレプリカ。
3Dプリンターを使って作ると云うのです。
それに何故「2つ」なのか?
5月に返還されることが決まって、3月7日に観音寺で協議を開きました。
メンバーは長崎県や対馬市の文化財担当者と約20人の檀家の人々で、協議
内容は返還後の保管方法についてでした。
結論としては、住民の高齢化もあって、盗難防止の見回りなどが難しいの
で、常設での展示を条件に対馬博物館に預けることに決まりました。
その代わりに観音寺にはレプリカが置かれることになりました。
このことを聞き知った韓国側が、もう一つ余分に作ってそれを浮石寺にと
云うのならまだ理屈は通るのですが、どうも100日間の法要と同時にレプリ
カ制作の要望を出したらしいのです。ならば時期は、上記協議より以前の
こと(昨年6月)になります。
今年の1月に一旦観音寺に変換されることになっていた坐像は、韓国側の要
望(100日間法要)に応えたため、貸し出しと云う形で韓国に留め置かれた
のです。
浮石寺での法要の間は、ずっと韓国検察が押収していたので手を出すことが
出来なかった坐像が手元にある状態になりました。
で、密かに作っちゃったのかも知れません。一つは日本へのお礼の意味を込
めて、「2つ作りたい」と云ったのかも知れません。
でも、この間に上記協議会でのレプリカの話が伝わってきて、これはマズ
イと思ったのでしょうね。で、韓国メディアによると、浮石寺の僧侶は「我
々ができなかったことを子孫がすることを強く願う」と話したらしい。
(当分、レプリカ?はどこかに秘蔵。)
3つあるかも知れない観世音菩薩坐像。こんなヤバそうな状況だと云うのに、
至極簡単な鑑定が行われただけで返されたのです。
坐像の特徴や像内にあった結縁文に天暦3年(1330年)とあることから、また
銅造と云うことですから、銅の組成分析を用いることで、金属の産地や時代
を推測することできるので、本物かどうかしっかり調べるべきです。
かって仏像のマスコットをお土産に対馬の「観音寺」を訪れ、「同じ仏の弟
子」だからいいじゃないかなんて説得しようとした連中ですからね。同じ顔
かたちならどっちでもいいじゃないかなんて言い出し兼ねない。
民法上の「取得時効」で観音寺に軍配が挙がったのを逆手に取られてしまう
のかどうか分かりませんが、時をおかずに白黒つけるのが肝心かと。(-_-;)
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