2015年以来ブログが中断しています。病気で入院などしたことがない私も後期高齢者に仲間入りした途端、脊椎刊狭窄症の手術を受けたことは以前紹介しましたが、その後加齢黄斑変性症の手術(眼球に注射)を定期的に施行、その後パーキンソン病を発症、白内障の手術等々、病院通いのオンパレードでブログは正直忘れた状態でした。加齢というものを嫌と言うほど味わっています。
趣味のバードカービン(鳥の木彫り)で作成したハクセキレイです
町の広場や駐車場などに降り立ち、お尻を上下に振りながらちょこちょこ歩く可愛らしい鳥です
針金で足を作り、後はアクリル絵の具で色を塗るだけです
木のブロック、これをナイフや彫刻刀で削っていきます
70歳を超えるといろいろと身体に不調が出てきます。
20歳代後半頃から続いていた腰痛が遂に牙をむき、夏頃には左足が夜も眠れない程の激痛で、歩行も松葉杖に頼る状態、MRI検査の結果「腰部脊注管狭窄症」つまり下半身へ通じる神経群が通る、脊椎の内側が椎間板や骨の変形により狭くなり、そこを通っている神経や血管を圧迫することで、痛みやしびれが生じるというものです。神経はかなり我慢をしているが、遂に耐えられなくなり炎症を起こして、このような症状になるとの事です。このまま炎症が治まるのを我慢していれば、また元の生活に戻れるようですが、将来また繰り返すのは嫌なので、手術を選びました。神経が通っている脊椎の管の内側を削るという、一見怖い手術でしたが、2週間余りの入院で済みました。今までの痛みは嘘のように消えましたが、年内はリハビリのつもりで無理をせず、来シーズンに備えようと思います。
1月25日15℃、4月の暖かさになるというので、久しぶりに箱根大観山へ行った。
標高1000m超の大観山は4℃、さすがに真冬の寒さだが、雪を頂いた霊峰富士山、
そのはるか左後方には南アルプス連山が見え感動。手前の湖は芦ノ湖。
凍結はないが路肩は雪、路面は凍結防止剤(塩化カリ)が撒かれて真っ白、
雪のようで不気味だ。
この寒いのに数台の風の子ライダーが訪れていた。
この冬最低気温の正月明けの朝、カブ主トリオのスーパー爺(70歳超え)は、躊躇なく新年初乗りショートツーリングに出かけた。東名高速が上を走る中井付近の谷間で記念撮影、曇り空で気温は2~3℃、でも気持ちはホットであった。
毎週毎週台風に見舞われた秋も、そろそろ紅葉の季節、11月に入って最初の土曜日、友人と2台で富士周遊に出発した。
1カ月前までは、底が見えそうだった丹沢の宮ヶ瀬湖も台風のお蔭で満水状態で輝いたいる
宮ヶ瀬から道志街道もワインディングを楽しみ、”道の駅道志”で最初の休憩、気温11℃山伏峠を越え山中湖、ここからは139号線、通称”富士パノラマライン”を雲で姿を見せない富士山を左に、”道の駅鳴沢”までほぼ渋滞も無く快走、ここで一休み。
鳴沢から左折して、上九一色村の樹海の中を走る富士宮鳴沢線へ、ここはさすがに富士の北側、樹海の紅葉が進んでおり、思わず停止して写真を撮る。
朝霧高原でいつも昼食に寄る”フェアリーテイル”は今回パスし、富士山に登る方向に約1km程登るとある”イーハトーブの森”というオープンデッキのカフェに寄る。
ここ”イーハトーブの森”で昼食および食後のコーヒーを堪能。
店舗の前はトライアルの練習コースになっており、若者たち(若干おじさんも)がインストラクターの指導の下、不整地走行の練習に励んでいた。
昼食後、富士宮まで南下、ここからは富士山の南側を森の中を走るが、弱い雨が降り出す。ウェアーには多少の防水性能を備えているので、全く気にせず御殿場まで森林浴をしながらの走行。
御殿場ICから東名高速に入り、足柄SAで最後の休憩、後は一気に高速走行で帰宅。
一寸寒かったが、久しぶりのロングラン(250km)はとても楽しく、ストレス解消の一日だった。
米国で保存されている、世界で唯一飛行可能なゼロ戦(海軍零式艦上戦闘機)が、2013年8月末まで所沢航空発祥記念館に里帰りしているので見学に行った。
ゼロ戦はあまりにも有名なので、その説明は省く、性能の良いものは、美しいの一言に尽きる。
このゼロ戦は、1944年サイパン島で米軍に捕獲されたゼロ戦で、その後民間に払い下げられたが、それを現在まで飛行可能な状態に維持しているのもすごいと思う。
こちらはゼロ戦に似ているので、映画などで似非ゼロ戦としてよく使われている、T6テキサン米練習機、似ていると行っても、武骨でゼロ戦のような美しさはない。
この写真は前回1995年に竜ヶ崎飛行場で実際に飛行して見せた、里帰りしたゼロ戦と米戦闘機P51ムスタング、P51はゼロ戦よりかなり後発で高性能、ジェット機に近い美しさがある。
1995年竜ヶ崎飛行場にて実際にデモ飛行したゼロ戦とムスタング、戦時中は敵同士だったが、平和の空を仲良く飛行。ゼロ戦は離陸直後に宙返りをして我々観客を喜ばせてくれた。
P51は終戦間際にB29爆撃機を硫黄島やテニヤンから護衛して来て、東京上空で暴れまわった。私は5歳の時、空襲の後、先が尖った銀色の米戦闘機が大空を我が物顔に飛び回り迎撃のため上がってきた日本機を次々に撃墜、火達磨になりながら落ちて行く日本の戦闘機を目撃したのを今も鮮明に覚えているが、この時の米戦闘機がP51だったのではと思う。
久しぶりに、暑さしのぎに西伊豆スカイラインを走った。
西伊豆スカイラインは、伊豆戸田峠から尾根伝いに走、そのまま西天城高原線に通じ、仁科峠まで天空を我が物に出来る実に快適な高原道路だ。
スカイラインに入る前の達磨山から見た、富士山、沼津市、駿河湾、今日は靄がかかりハッキリしないのが残念。
仁科峠、ここを下ると西伊豆宇久須に至る。右のフェンスは鹿除け
ここ伊豆でも、鹿が増えすぎて農作物への被害が甚大のため、鹿の移動を制限するフェンスを設けているとの説明が書かれているが、フェンスは低く鹿なら苦も無く飛び越せそうだ。
仁科峠より尾根近くを走る西天城高原線を眺める。西伊豆スカイラインと合わせて約20kmの快適道路