私の日記帳

主に趣味の旅行やダイビングのことを記していましたが、
このごろは母の思い出日記のようになっています。

病院に不信感

2009-05-15 | 日記
さて
私が母を失ったことで、一番心に引っかかることは
ずっと通っていた大学病院のこと。
裏切られたというか、捨てられたというか
負の印象しか残っていません。
膵がんが見つかる前から、
持病のかかりつけだったから
かれこれ6年も通院し続けていた。
なのに終わり方があまりに酷い・・・・
大学病院だからデータをとるのも大事だろうけど
もっと大事なことがあるだろうと思う。

3月に入って、急展開

抗癌剤の後、母がCTを撮っている間、
私は主治医に呼び出された。
「抗癌剤も効かないので、
治療はやめて緩和ケアにうつろうと思う。
薬と放射線で痛みを抑えます。
そうなると毎日通院してもらいますが付き添えますか?」
「・・・」
「痛み止めの麻薬の量を2倍に増やしておきますね」
「はい」
母に気付かれないように、急いでCT室へ戻る。
1時間待って、薬の順番が来た。
麻薬の量はいつも通り。しかも他に足りない薬が何種類もある。
いい加減だなぁ、と思いつつ、外来へ行きその旨伝え
また薬の順番を待つ。

後日
母と私に主治医が言う
「治療が困難になってきたから、緩和ケアに入りますね」
「・・・・・・・」
「今までの薬と抗癌剤では効き目が悪いから
明日から放射線にしましょう。
今から放射線科に行って説明を聞いてきてください」
「・・・・・・・」
放射線科に到着。
放射線科の医師がCT画像を見ながら説明を始める
「放射線は無理ですね。
コレだけガンが大きいとできませんし、
いろんなところにありすぎます。
それにこれだけ衰弱が激しいのに
、いまの状態では体力がもちません」
「・・・・・・・・・・・・」
「残念ながら、そういうことです。」
「・・・・・・・・・・・・」
「今から外科の先生ともう一度ご相談ください」
「・・・・・・・・・・・・」
私はショックで言葉が出なかった。
悲しさよりも怒りを感じた。
母はもっとショックだっただろう。
車椅子での移動とはいえ
広い大学病院内を行ったり来たり。
体力は限界間近。
しかも、こんな話を聞かされるなんて。
すっかり気落ちしてしまっている。
そして再び外科に戻る。
「困りましたね・・・」
「・・・・・・・」
「通院も難しい体になってきましたし
在宅医療に切り替えましょう。
今からソーシャルワーカーと相談してください。」
「へ?」
ということで
往診してくれる病院
ホスピス
訪問看護
等が紹介された。
そして、その日も足りない薬がいろいろあった。

医師にしてみれば、
私達はもう無用という気持ちなんだろう。

残酷な仕打ちだと思った。

翌日
母は傾眠状態に入った。

生きているけど死んでしまった。


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