世界のどこかで起きていること。

日本人の日常生活からは想像できない世界を垣間見たときに記しています(本棚11)。

「ある知的障害者たちの戦中戦後記」(NHK:ハートネットTV)

2016-10-01 14:48:24 | 日記
NHKハートネットTV シリーズ戦後70年 障害者と戦争 ある知的障害者たちの戦中戦後記

社会が極限状態に陥ったとき、弱い者から切り捨てられます。
戦中戦後、知的障害者は社会の隅に追いやられ、そこで死んでいった事実が日本にもありました。
今回の「世界の片隅」は日本の伊豆大島と山梨県清里です。

伊豆大島に「藤倉学園」という知的障害者施設がありました。
第二次世界大戦末期、伊豆大島は敵を迎え撃つ拠点として位置づけられ、藤倉学園は日本軍から立ち退くように命令されました。
当時は「学童疎開」として国民学校の生徒が田舎に避難する施策が講じられ費用の補助がありましたが、これは国立の学校生徒のみに適用され、私立の施設である藤倉学園は立ち退き命令だけで、疎開先は自分で見つけ、その費用も自分持ちという厳しさがありました。
どの土地と掛け合っても「知的障害者」ということがわかると拒否され続けました。

やっと見つけたのが山梨県清里。
某大学の合宿施設を買い取ってようやく確保できたのでした。
しかし標高1300mの施設は、冬を越すには過酷すぎる環境でした。
水も食べ物も不足し、栄養失調で施設の子どもたちは次々と倒れていきました。
疎開した30人のうち、10人が亡くなりました。

今でこそ清里はリゾート地として有名ですが、当時は入植・開拓が始まったばかりの寒村で、農家が28軒のみ。
痩せた土地で作物も十分に育たず、施設の状況を知りながらも、地元民はサポートする余裕がありませんでした。

今の清里を知る若者の知らない、ほんの70年前の出来事です。

第1回 「消え入った10の命
あらすじ
戦中戦後の知的障害者たちの知られざる境遇を示す記録が、70年ぶりに発見されました。施設の保母が代々、戦前から戦後にかけて毎日記した業務日誌と、記録映像の数々です。
その施設は昭和19年夏、軍の要塞化で温暖な伊豆大島を追われ、何の補償もないまま30人の知的障害者を連れて山梨県の開拓村に疎開していました。日誌には、入園者たちが飢えと寒さで徐々にやせ細り、1人また1人と息を引き取っていく過程が記録されています。1年余りの間に10の命が消え入りました。
なぜ悲劇は起きたのでしょうか? その経緯と背景を追跡します。




第2回「“ニュースさん”が歩んだ道
<あらすじ>
疎開先で知的障害者10人の仲間を失った施設は、終戦後、伊豆大島に戻って運営を再開しました。間もなく、全国の知的障害者施設は福祉施設として公認され、補助金の支給が始まります。
しかし、対象は児童に限定され、教育の義務化は見送られたままでした。その保障実現を訴える施設関係者、保護者らの長い道のりが続きます。
年齢制限の撤廃は昭和35年、教育の義務化は障害者の中で最も遅い昭和54年まで待たされました。疎開生活を生き延びた20人は、いずれも学校教育を受けられないまま一生を終えています。
なぜ救済は遅れたのでしょうか。知的障害者の戦後の処遇を、残された資料と関係者の証言から検証します。


・1960年(昭和35年)3月「精神薄弱者福祉法」、現在の「知的障害者福祉法」が制定
・1961年(昭和36年)親の会「東京都精神薄弱者育成会」がに結成された。知的障害児すべてに学校教育を保障をする「全員就学」を訴えた。
・1979年(昭和54年)障害があるすべての子どもの学校教育が、義務化されることになった。
・2006年、国連総会で「障害者権利条約」が採択された。障害のある人もない人も同じように、自分の選んだ生活を送れるよう保障する人権条約です。

<参考>知的障害者施設「藤倉学園」について
キリスト教徒であった創設者の川田貞治郎(ていじろう)(1879-1959)は、明治初期に渡米し、知的障害者施設を視察。明治30年10月、愛知県と岐阜県を大地震が襲い(濃尾地震)、大量の災害孤児が生まれた。その中に多くの知的障害児がいたという社会背景の中で、大正8年、日本で4番目の知的障害者施設として伊豆大島に開設された。
知的障害児には、一人一人に適した教育があるとの信念の下、川田は独自の方法論で、施設で生活する障害児たちの教育を行なった。1944年7月、伊豆大島の要塞化を進める軍の要請で、施設を明け渡すこととなり、親元へ帰ることができず、引き取り手のなかった30名の入園者とともに、8月山梨県清里へ疎開した。
戦後すぐ、伊豆大島へ戻り、現在では川田の長女・川田仁子理事長の下、知的障害者更生施設として、定員2名と4名の居室で、あるいは、将来的に地域での自立を目指す場合は近隣で学園が運営している1棟5名のグループホームでの個室で居住しながら、農作業、織物、ビーズ細工、食品加工などの日課を行なう入園者たちの生活を支援している。また、知的障害者が地域で働く場として、大島元町にてカフェを運営している。

社会福祉法人 藤倉学園 
大島藤倉学園 
〒100-0101 東京都大島町元町字馬の背128
電話:04992-2-2386