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銭の花《商魂》 ♯007ーB

2023-08-07 21:00:00 | 日記

 ■レゴ・ブロック

 2002年12月期は「スター・ウォーズ」シリーズによって営業利益で8億デンマーク・クローネ(当時で約140億円)と過去最高を記録したが、映画公開のない年は業績が大きく落ち込み、2004年12月期には損益18億デンマーク・クローネ(当時で約310億円)の赤字となり、自己資本比率は5.9%と危険水域まで下がり、身売りの噂が流れるようになった。

 ・1991年
  電気部品と電気システムの標準化を行う。
 トレインシリーズのモーターをテクニックシリーズと同様に9Vにして、他のレゴシリーズにも合うようにした。

 ・1992年
  デュプロに螺旋回し、レンチ、ナット、ボルトが特徴のツーロ(Toolo)シリーズが追加。
 また、女の子向けにふんだんにパステルカラーを用いたパラディサ(Paradisa)シリーズが登場。

 ・1993年
  デュプロトレインと、レゴブロックを床から回収するブロック掃除機(Brickvac)が登場した。

 ・1995年
  生後6か月から2歳向けのレゴ・プリモが発売された(当初はレゴ・デュプロのプリモシリーズとして登場し、1997年にレゴ・プリモとして独立。
 2000年にレゴ・ベビーに改称)。
 ブロックのポッチの部分が丸くなっており、踏んでも怪我をしにくくなっている。
 専用のジョイントパーツを用いることでデュプロブロックとつなぐこともできた。

 ・1998年
  プログラム可能なブロック「RCX」をシステムの中心に据えたマインドストーム(MINDSTORMS)シリーズが発売された。
 RCXは光センサーなどの入力端子とモータなどを動かす出力端子を持ち、内蔵するマイコンによる制御が可能で、自立的なロボットを作ることもできる。
 RCXのプログラムはパソコンを使用し赤外線を使って転送する。

 ・1999年
  レゴブロック初のライセンス商品としてレゴ・スター・ウォーズ・シリーズが登場、デュプロからはくまのプーさんが登場した。

 ・2000年
  テクニックシリーズから男の子向けアイテム「バイオニクル(BIONICLE)」が発売。
 それまで導入されてきた「スライザー」「ロボライダー」といったテクニックシリーズ規格のニューアイデアをより洗練させたもので、おもに人型の機械生命体を主人公とし、球体関節を用いたさまざまなポーズでの固定が最大の特徴だった。
 バイオニクルシリーズが大きなヒットとなったことを受け、DVDや漫画、ゲーム、文庫本など様々なメディアでも展開された。

 ▼リストラと再生

 2004年、クリスチャンセンCEOは入社3年目、35歳の元コンサルタント、ヨアン・ヴィー・クヌッドストープをCEOに抜擢した。
 クヌッドストープは全社員の3分の1である1,200人をカットし、製品も3割削減、直営店も閉鎖し、ゲームやテレビ番組制作事業から撤退するとともに、レゴランドを投資ファンドに売却した。
 その後、創業者の理念「子どもたちには最高のものを」をもとに、新しい価値観として「最大ではなく最高を目指す」と定め、高級玩具市場をターゲットに絞って高いシェアを獲得することを目指した。
 最後にレゴが手掛ける中核事業をブロックの開発・製造に改めて定義し、収益管理を徹底するため、製品毎に利益やコストの目標を定める数字を伴ったルールを導入するとともに、製品開発にも使えるパーツを制限する、顧客との対話を徹底するなどのルールを導入した。
 同年、レゴ・エクスプロアを終了し従来のベビー、デュプロにブランドを戻した。
 またデュプロシリーズより低年齢層向けのクワトロ(Quatro)シリーズが追加された。
 このブロックは乳幼児向けのため素材も通常製品より柔らかく、デュプロシリーズより一回り大きくなっている。
 従来製品よりも外れやすい反面、怪我をしにくいように改良されている。
 またデュプロシリーズとは互換性があり混在可能となっている。

 2006年より製品の企画・開発時にすべての要素を可視化する「イノベーション・マトリクス」を導入した。
 製品開発の全工程が一覧できるようになり、ノウハウが可視化されて全社員に共有されることにより、新製品の展開に伴う戦術が立てやすくなった。
 2010年、ミニフィグ同士をスピナーにセットし回転させバトルするレゴ・ニンジャゴーが登場。同時に、レゴ社初のアニメーションテレビ番組『スピン術の使い手 レゴ・ニンジャゴー』も制作された。
 この年、『Working Mothers magazine』誌において、「働く女性のための会社上位100」にレゴ社が選ばれた。
 2012年、女の子向けの新シリーズ、レゴフレンズが登場した。
 2013年12月期は売上高営業利益率32%、ROE58%を達成し、2014年上期の業績ではマテル(バービー人形などを制作)を抜き、玩具世界一となった。
 2016年の売り上げ額は約380億クローネ、従業員数は1万8,200人となっており、売上額は10年前の約5倍、従業員数は4倍強と成長した。
 この間、工場の所在地もメキシコやハンガリー、デンマークにも開設している。

 ▼現在

 プラスチックのブロックが世に出て以来、数千ものセット商品が販売されて来た。
 その題材は多岐にわたり、銀河、ロボット、海賊、中世の城、恐竜、街、郊外、西部開拓時代、北極調査隊、船艇、レーシングカー、鉄道、スター・ウォーズシリーズ、ハリー・ポッター、スパイダーマン、バットマン、インディ・ジョーンズ、トイ・ストーリー、パイレーツ・オブ・カリビアンなど、さまざまである。
 こうしたテーマの広がりの中、1990年代中盤以降の一時期、製品の部品構成の簡素化が進み、車なら車の形状がある程度できあがっているようなセットすら登場したこともあったが、2000年代に入ってからはこうした製品は影をひそめ、きちんと段取りを踏んで形を作る製品が復活している。
 また、ミニフィグ基準のスケールでできた製品にとどまらず、小さく精密なセットやかつてのモデルチームシリーズの流れを汲むような複雑なセットが多くラインナップされるようになった。
 日本のレゴブロック愛好者のなかには、年々増えるブロックの種類によって写実性のある表現が可能になる満足感を持つ一方で、過去の製品の現実的過ぎない記号性への憧憬という相反する思いを持つ者もいる。
 また、その固さから、幼児でも容易に扱えない難点が指摘される。

 造形に用いられるブロック部品以外にも、モーター、歯車、ライト、音が出る装置、カメラなどの部品があり、ほかのレゴ部品と一緒に使うことができる。前述のようにMINDSTORMSでは、パソコンでプログラミングを行えば、非常に複雑な動作をさせることもできるようになった。2016年6月、レゴ・エデュケーションはレゴ マインドストームよりも対象年齢を下げ、小学生から使える子ども向けのロボットプログラミングキット「Lego WeDo 2.0」を日本で発売した。それまでの「Lego WeDo」はレゴの教育用セットとして教育機関や法人向けで、かつPCからの制御のみであったが、Lego WeDo 2.0」は一般向けで、Windows、MacのほかにAndroidとiOSのタブレットでも制御可能となっている。 女の子向けの路線もいくつか強化を受け、旧来のレゴ部品の範囲で、テクニックシリーズのような大きな可動人形が特徴の女の子向けのシリーズのBelville、 さまざまなパーツのつけ替えが楽しめるアクセサリーセットのClikitsなどが発売された。 2014年現在、「スター・ウォーズ」や「レゴムービー」など、何らかのストーリーに沿って開発された「プレイテーマ」が年間400近く開発され、その新商品の売り上げが年間収益の約6割を支えている[6]。 2022年現在販売されているブロックは、対象年齢が小さい順に大まかに分けるとレゴ・デュプロ、レゴブロック(4+)、レゴブロック、レゴ・テクニックである。レゴ・デュプロはサイズが2倍大きな1.5〜5歳向けのシリーズである。デュプロの穴2個分でレゴブロックの穴8個分となり、互換性がある。レゴブロック(4+)は普通のレゴブロックと同じサイズであるが、ある程度形になった大きなパーツが含まれており、シール貼りの作業も工程にない、「組立」を学び始める4歳向けのシリーズである。レゴブロック、レゴ・テクニックの対象年齢はセットによって異なっている。

 《日本でのレゴ》

 レゴブロックは、1962年から貿易商社の朝日通商が窓口となって日本市場にも導入され始めた。
 しかし、当初は都市部のデパートや、大きな玩具店などにしか出回ることがなかったうえ、その価格も当時で数百円から数千円と非常に高価であり、裕福な家庭の親が買い与える知育玩具というイメージが強かった。
 1969年からは知育玩具輸入販売会社「不二商」がレゴブロックの販売を担当していたが、1978年、レゴ社は現地法人「日本レゴ株式会社」を設立し直接輸入販売を手掛け始めた。
 レゴブロックはまだ国産品に比して高価な印象があったうえ、ヨーロッパから非常に遠いアジアの市場規模では需要も決して多いとはいえず、発売されるアイテム数も本国に比べると非常に見劣りするものであったが、徐々に日本市場へ浸透していった。
 その後、レゴブロックが広く知れ渡るにつれ、似たアイデアのものや、寸法まで同一の商品が1960年代を中心に日本市場にも出回った。
 このうち特に有名なものは河田のダイヤブロックと任天堂のN&Bブロックである。
 ダイヤブロックは「複数の突起を持った表側とこれをはめ込む裏側のある直方体形状」という構造は似ているが、規格寸法は異なる。
 N&Bブロックは、基本となる直方体の形状と寸法がレゴブロックと寸分たがわず、訴訟にもなった。
 レゴブロック自体の知名度と比例するように、欧州に存在するLEGOブロックテーマパークレゴランドの日本進出を期待する声が高まったが、まずレゴランド誘致都市として名乗りを上げた千葉県千葉市は、諸般の事情により2003年に誘致を断念した。
 それから約10年間が経過した2014年に愛知県名古屋市港区に立地する金城ふ頭に日本初のレゴランドとなる「レゴランド・ジャパン」を進出するとの決定が、デンマークのLEGO本社から発表された。
 2015年には名古屋市内で着工式典が行われ、2017年4月1日にオープンした。

 ・1969年
  知育玩具輸入販売会社「不二商」がレゴブロックの販売を担当。

 ・1978年
  レゴ社は現地法人「日本レゴ株式会社」を設立し直接輸入販売を開始。

 ・1989年
  「日本レゴ株式会社」から「レゴジャパン株式会社」へと組織変更。

 ・1990年代
  千葉県千葉市の幕張地区にレゴランドを誘致する計画が浮上した。
 しかし日本のバブル崩壊の影響などもあって最終的に計画は断念された。

 ・1991年
  レゴ社とナムコが提携し、プライズマシン用のレゴブロックのミニセットを製造。
 車の他、お城や海賊のセットなどがラインナップされた(ナムコの季刊無料雑誌『ノワーズ』第3号および第7号)。

 ・1998年
  レゴお城シリーズに「忍者」テーマが登場。以後3年ほど継続された。内容的には「外国から見た日本趣味」的な色が濃いものの、服装や小物などの造形は比較的正確なものといえた。
 カバヤ食品が、レゴブロックのミニセットとガムをパッケージにした玩具菓子の販売を始める。
 テーマはお城、テクニック、バイオニクルなど多岐に渡った。
 天皇・皇后(いずれも当時)がレゴランドビルンを訪問。

 1999年〜1990年代末より、レゴブロックをサブカルチャー的なアイテムとしてとらえる動きが多くなる。
 渋谷パルコにて「レゴ・マニアックス展」が開催されたのに続いて、翌2000年にも「レゴ・デラックス展」が開催されている。
 また、同年より「スター・ウォーズシリーズ」が発売されたことで、従来あまりレゴブロックに縁がなかったファン層の獲得に成功した。

 2000年、前年の松屋銀座における小規模な展覧会「建築家とレゴ展」を踏み台に青山スパイラルで「レゴと建築展」が開催された。
 日本初のレゴ専門店「クリックブリック」の展開が始まった。

 2002年、コカ・コーラ社のプロモーションとして、「サッカー」テーマのミニセットが飲料のオマケに付いていた。
 コカ・コーラ社からは、これ以外にも「スタジオ」シリーズのプロモーションセットがリリースされた。

 2003年、渋谷パルコにて「レゴで作った世界遺産展」が開催された。
 これは全国各地を巡回したあと、さらに新作を加えて2008年にも同所で開催された。

 2004年、栃木県那須郡那須町にある遊園地「那須ハイランドパーク」で、「レゴ博」が開催された。
 これを契機として、2006年より常設展示の「レゴスタジアム」がオープン。
 東京タワーや渋谷・浅草などの日本の風景を総数約150万個のレゴブロックで再現している。
 レゴモデルビルダーの仕事場を忠実に再現した「レゴビルダー工房」や、限定商品や新製品を扱うショッピングエリア、自由に遊べるプレイエリア「ふあふあ&プレイエリア」なども設置されている。

 2005年、テレビ東京系の番組「TVチャンピオン」にて、レゴブロックをテーマにした対決が放映された。
 これは2008年の第3回まで続き、2010年と2011年には復活特番として開催されている。
 第2回では決勝をデンマークのレゴランドにまで遠征して行った。
 なお、第2回まではレゴという商標は表立っては使用されず、「ブロック玩具王選手権」として放映された。

 2006年、人型ロボットを製品ラインの主役に据えた「エクソ・フォース」テーマの展開が始まった。
 日本的な人物名とカラフルなツンツン髪などアニメ的な容姿のキャラクター、パッケージやロボットのボディに配された漢字などが、日本のロボットアニメを強く意識していることを伺わせている。
 このシリーズの日本における販売プロモーションには「超時空要塞マクロス」などのアニメ作品のメカデザイナーとして知られる河森正治が関わっており、その影響もあってシリーズ最後期にはよりアニメ的センスを加えた製品がリリースされるに至っている。
 なお、河森は以前より、ロボットの変形システムの検討にレゴブロックを多用していることを公言している。

 2008年、王子ネピアとのコラボレーションにより、フィギュアスケーター・浅田真央をかたどったジャンボフィグ(ミニフィグを店頭販促用にスケールアップしたもの)を1体制作、応募者に抽選でプレゼントするキャンペーンが実施された。
 彼女はレゴ好きとして知られ、スケートの大会では演技後に花束などとともにレゴ製品の入った袋を渡されたりするシーンが見られる。

 2009年、那須ハイランドパークにおいて「レゴタワー(レゴブロックを塔状に積み上げる)」を製作するイベントが開催され、世界新記録(当時)となる高さ29.7メートルのタワーを作ることに成功した。
 このタワーには43万個ものブロックが使われたという。また、同年11月には無印良品とのコラボレーションで「紙とあそぶレゴブロック」が展開された。

 2010年、ミニフィギュアシリーズを発売。
 日本ではタカラトミーアーツからガチャガチャで同年7月に第1弾(SIDE A・B各8種の計16種)が発売された。
 海外ではブラインドによる一般的な販売方法で展開しているが、日本では唯一カプセルトイとしてガチャガチャで発売している。
 以降のシリーズもガチャガチャで展開している。
 同年12月には忍者をテーマにした「NINJAGO」を2011年の新シリーズとして発売した。

 2011年〜2009年ごろから有人潜水調査船「しんかい6500」をレゴにしようという試みが、レゴ社公認の商品化サイト「LEGO CUUSOO」で行われ、商品化に必要な1,000票以上を獲得、商品化が実現した。
 この商品は日本限定販売であり、パッケージに日本語の解説文を書き込み、日本語の解説ブックレットが封入されるという初めての試みがなされている。
 同年1月からは商品の宣伝や一般の子どもたちの作品を紹介する『レゴスタ』をコロコロコミックやテレビ東京(関東ローカル)にて開始した。
 同年7月には戦艦大和などの大作を制作したことで知られる三井淳平が日本人で初めてのレゴブロックのプロビルダーに認定された。
 2014年 - この年限りで日本限定セットとして長年親しまれた赤いバケツ、青いバケツの生産を打ち切る。

 2015年(〜2016年)、昭和シェル石油が同ブランドのハイオクガソリン「V-Power」のプロモーションの一環として、同製品購入者に限りフェラーリのミニキット(車両および情景セット計6種)が購入できるというキャンペーンを行った。

 2016年2月から第2弾(商品は同一)が行われたが、今回はそれだけでなく同社の決済システム「EasyPay」新規会員には同キットが1点プレゼントされた。

 2015年、愛知県名古屋市の金城ふ頭地区にレゴランドが初進出することが決まり、着工式典が挙行された。

 2017年4月1日、日本国内初のレゴランドとなる「レゴランド・ジャパン」がグランドオープン。

     〔ウィキペディアより引用〕

 


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