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2023-06-27 21:00:00 | 千思万考

■オウム真理教という怪物

 オウム真理教事件一連

 オウム真理教事件
(オウムしんりきょうじけん)
 1980年代末期から1990年代中期にかけてオウム真理教が起こした一連の事件の総称である。

 オウム真理教の教祖である麻原彰晃(本名・松本智津夫)が、宗教を隠れ蓑に日本国を転覆して、自らその王として君臨するという野望を抱き、それを現実化せんとする過程で、世界各国での軍事訓練や軍事ヘリの調達、自動小銃の密造や化学兵器の生産を行い武装化し、教団と敵対する人物の殺害や無差別テロを実行した一連の事件をいう。29人が死亡し(殺人26名、逮捕監禁致死1名、殺人未遂2名)負傷者は6000人を超えた。教団内でも判明しているだけでも5名が殺害され、死者・行方不明者は30名を超える。
 社会に与えた影響などから、2014年(平成26年)に警視庁の行ったアンケートで「警視庁140年の十大事件」一位とされている。
 特に注目された事件として、教団と対立する弁護士とその家族を殺害した1989年(平成元年)11月の坂本堤弁護士一家殺害事件、教団松本支部立ち退きを求める訴訟を担当する判事の殺害を目的としてサリンを散布し計7人の死者と数百人の負傷者を出した1994年(平成6年)6月27日の松本サリン事件、教団への捜査の攪乱と首都圏の混乱を目的に5輌の地下鉄車輌にサリンを散布して計12人の死者と数千人の負傷者を出した1995年(平成7年)3月20日の地下鉄サリン事件が挙げられる。多数の死傷者を出したこれら3つの事件に対して、毎日新聞では「オウム3大事件」と表現している。
 神奈川新聞、日刊スポーツ、スポーツ報知など他のメディアも、2018年(平成30年)7月のオウム死刑執行の報道では、オウム死刑囚が3大事件のどれに関与したかを報じている。

 2011年(平成23年)12月、それまでに起訴された全ての刑事裁判が終結し、189人が起訴され、13人の死刑判決と5人の無期懲役判決が確定した。
 同年12月31日には16年以上にわたり逃亡を続けてきた平田信が警視庁に出頭し、翌2012年(平成24年)1月1日に逮捕され、平田を匿って逃亡に協力していた元女性出家信者も同年1月10日に逮捕、両者とも起訴された。
 同年6月3日には同じく逃亡していた菊地直子が潜伏先で逮捕され、同月15日には同じく逃亡を続けていた高橋克也が、東京都大田区西蒲田の漫画喫茶で身柄を確保され、同日逮捕された。
 これで警察庁からオウム真理教事件に関する特別指名手配を受けていた3人は、すべて逮捕・起訴された(平田は2016年(平成28年)1月13日に懲役9年、菊地は2017年(平成29年)12月27日に無罪が確定)。
 最後のオウム事件被告である高橋は、最高裁まで争い2018年1月18日付で上告棄却、1月25日付で異議申立ても棄却されたことにより無期懲役が確定し、これをもってオウム事件裁判は完結。
 7月6日に麻原と側近の計7名、7月26日には他の側近6名の死刑がそれぞれ執行され、刑事上では収束となった。

 ▶オウム真理教事件一覧

▼ 1988年9月22日 在家信者死亡事件(立件なし)
▼ 1989年2月10日 男性信者殺害事件
▼ 1989年11月4日 坂本堤弁護士一家殺害事件
▼ 1990年 国土法違反事件
▼ 1991年 女性信者殺害事件(立件なし)
▼ 1992年9月14日 オカムラ鉄工乗っ取り事件(立件なし)
▼ 1993年6月6日 逆さ吊り死亡事件
▼ 1993年6月28日 第一次亀戸異臭事件(立件なし)
▼ 1993年7月2日 第二次亀戸異臭事件(立件なし)
▼ 1993年11月 第一次池田大作サリン襲撃未遂事件(立件なし)
▼ 1993年11月~ サリンプラント建設事件
▼ 1993年12月18日 第二次池田大作サリン襲撃未遂事件(立件なし)
▼ 1994年1月30日 薬剤師リンチ殺人事件
▼ 1994年2月~ 自動小銃密造事件
▼ 1994年3月27日 宮崎県資産家拉致事件
▼ 1994年5月~ LSD密造事件
▼ 1994年5月9日 滝本太郎弁護士サリン襲撃事件
▼ 1994年6月27日 松本サリン事件
▼ 1994年7月~ 覚醒剤密造事件
▼ 1994年7月10日 男性現役信者リンチ殺人事件
▼ 1994年7月15日 元仙台支部長死亡事件(立件なし)
▼ 1994年7月28日 元女性看護師拉致監禁事件
▼ 1994年9月~ チオペンタールナトリウム密造事件
▼ 1994年9月20日 江川紹子ホスゲン襲撃事件(立件なし)
▼ 1994年11月20日 鹿島とも子長女拉致監禁事件
▼ 1994年12月?日 府中運転免許試験場侵入事件
▼ 1994年12月~1995年3月 メスカリン密造事件
▼ 1994年12月2日 駐車場経営者VX襲撃事件
▼ 1994年12月9日 大阪における拉致監禁事件(元自衛官)
▼ 1994年12月10日 ビアにスト監禁事件
▼ 1994年12月12日 会社員VX殺害事件
▼ 1994年12月28日 三菱重工研究所侵入事件
▼ 1995年1月 自動車免許証偽造事件
▼ 1995年1月4日 被害者の会会長VX襲撃事件
▼ 1995年2月28日 公証人役場事務長逮捕監禁致死事件
▼ 1995年3月15日 霞が関駅アタッシュケース事件(立件なし)
▼ 1995年3月19日 大阪における拉致監禁事件(大学生)
▼ 1995年3月19日 島田裕巳宅爆彈事件
▼ 1995年3月19日 東京総本部火災瓶投擲事件
▼ 1995年3月20日 地下鉄サリン事件
▼ 1995年3月20日 名古屋における老女拉致事件
▼ 1995年3月22日 第6サティアン礼拝堂信者監禁事件
▼ 1995年3月22日 第10サティアン信者監禁事件
▼ 1995年4月 - 5月 新宿駅青酸ガス事件
▼ 1995年5月16日 東京都庁小包爆彈事件

 その他関連事件・問題

 ▼村井秀夫刺殺事件

 村井秀夫刺殺事件
(むらいひでおしさつじけん)

 1995年(平成7年)4月23日に発生した殺人事件。オウム真理教の幹部であった村井秀夫が、東京都港区南青山にあった教団東京総本部前で、山口組傘下の右翼団体「神州士衛館」構成員を名乗る在日韓国人の徐裕行(ソ・ユヘン)に殺害された事件。

 《概要

 1995年4月23日20時35分、教団東京総本部ビル前において、山梨県西八代郡上九一色村(現・南都留郡富士河口湖町)のサティアン群から戻ってきた村井が、犯人によって刃物で左腕と右脇腹を続けざまに刺された。
 村井ら教団幹部は、東京総本部に出入りする際は地下通用口を使用していたが、事件当夜はなぜか施錠されており、村井が外階段を引き返し1階出入口に向かおうとした際に襲われた(後述の通り教団の事件関与を疑う見方もあったが裁判では認定されていない)。
 事件の瞬間はTVニュースで繰り返し放映され、日本中に衝撃を与えた。刺された後、直ちに村井は東京都立広尾病院に救急車で搬送されたが、右脇腹に受けた深さ13 cmの刺し傷が致命傷となり、出血性ショックによる急性循環不全のため翌4月24日2時33分に死亡。実行犯の徐は事件後直ちに逮捕された。

 ▼TBSビデオ問題

 TBSビデオ問題(TBSビデオもんだい1989年(平成元年)10月26日、
 東京放送(現在のTBS)のワイドショー番組『3時にあいましょう』のスタッフが弁護士の坂本堤がオウム真理教を批判するインタビュー映像を放送前にオウム真理教幹部に見せたことで、9日後の11月4日に起きた坂本弁護士一家殺害事件の発端となったマスコミ不祥事・報道被害である。

 《概要

 TBSは、1989年(平成元年)10月に当時すでにサンデー毎日『オウム真理教の狂気』特集などで批判されていたオウム真理教の取材映像を放送予定であったが、反オウムの弁護士坂本堤のインタビュー映像が合わせて放送されることを知ったオウムは、坂本のインタビュービデオ(以下ビデオ)を見せるようTBSに要求し、オウム真理教幹部の早川紀代秀(坂本弁護士事件実行犯の1人)らがTBS内でこのビデオを視聴した。
 信者がビデオを見たことがどれだけ影響を与えたかは不明瞭だが、その後11月に麻原彰晃は坂本堤の殺害を指示、11月4日に坂本弁護士一家殺害事件が発生。
 事件後、早速オウム真理教の関与が疑われたものの、オウム真理教に対し特に目立った捜査も無く、坂本弁護士事件は(1995年まで)迷宮入りとなった。
 この時、TBSの担当者は事件直前にオウム真理教幹部がビデオを見に来たことを公表しなかったため、もし公表していれば捜査に影響を与えたのでは、そもそも何故ビデオを見せたのか、殺害決行のきっかけになったのではないか、などと批判された。

 ▼シガチョフ事件

 シガチョフ事件(シガチョフじけん)は、ドミトリー・シガチョフ (Дмитрий Сигачёв) を首犯とするオウム真理教のロシア人信者による教祖麻原彰晃(松本智津夫)奪還を目的としたテロ未遂事件である。
 2000年7月の沖縄サミット直前に東京、青森、札幌の三都市にある幼稚園や橋など公共施設での爆弾テロが計画されていたが、日露当局者の協力により未遂に終わった。

 ロシアにおけるオウム真理教

 1991年、オウム真理教教祖麻原彰晃が、ロシアを初訪問した。モスクワにおいて麻原は、当時ロシア副大統領だったアレクサンドル・ウラージミロヴィッチ・ルツコイやヴィクトル・チェルノムイルジン、ユーリ・ルシコフ等ロシア政界の上層部と接触。翌年には後に安全保障会議書記となるオレグ・ロボフが来日し麻原から資金援助の申し出を受けるなど、オウムのロシア進出に拍車がかかった。 ロシアの声やラジオマヤーク(ロシア語版、英語版)によるラジオ放送が流され、「キーレーン」というオーケストラが組織された。
 日本からロシアの特殊部隊施設での射撃訓練ツアーがオウム関連の旅行会社によって主催されたり、他にもロシアからヘリコプターなどの軍事物資が輸入されている。
 更に麻原は、ロシアに数か所の支部を開設。ソビエト連邦の崩壊後に精神的支柱が揺らいでいた当時、ロシアの多くの若者がオウム真理教に惹きつけられた。その中には、1993年に入信したドミトリー・シガチョフもいた。
 1993年までに、ロシアでは、かなり強力な組織が形成された。
 その構成員は、説法集を読むことで修行していたが、その中には、軍事科学を研究する個別の戦闘グループも存在した。
 同年、麻原は再びロシアを訪問した。この時、シガチョフは、麻原によって個人的にサマナ(出家修行者)に昇格させられた。
 しかし、地下鉄サリン事件は、教団とその信者が危険であることを全世界に示した。日本では、麻原ら主要幹部が逮捕され、多くの国でこの運動は禁止された。ロシアでも、1995年4月18日付モスクワ・オスタンキノ地区自治体間裁判所の決定により、オウム真理教は禁止された。
 しかし、教団が禁止されたにもかかわらず、その多くの構成員は教祖を信仰し続け、さらに互いに交流を続けてさまざまな計画を生み出した。

     〔ウィキペディアより引用〕




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