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太平洋戦争 秘密兵器大全

2016年09月05日 | 
秘密兵器大全

秘密兵器と聞いてワクワクしてしまう人も多いだろう。私もその一人だ。

「富嶽」
日本がアメリカのB29より大型の爆撃機を作る計画があったのを知っていますか?
中島超爆撃機「Z計画」 1トン爆弾を20発搭載しアメリカ本土の爆撃を計画。
20ミリ機銃96挺以上を装備。地上施設や航空機攻撃用「Z掃射機計画」
この強力兵器に武装落下傘部隊200人を輸送する「Z輸送計画」が計画されていたんですよ。
またエンジンも5000馬力エンジン搭載を予定していたが、昭和18年段階で満足できる2000万馬力のエンジンでさえ開発できていなかった事を考えると驚異的な計画だったはずだ。
陸海軍の正式開発機になった富嶽だが、昭和19年以降の戦局に間に合わない機体の計画は中止となった。
もし完成していたならば、アメリカ本土を爆撃し日本と同じように焦土化させる事ができただろうか。


「信濃」
戦艦大和を凌駕する戦艦「信濃」。しかしながら戦局は信濃を待っておらず超ド級の空母に変更した。戦艦大和:武蔵の主砲が46センチ砲(戦時中米海軍は45センチと予測していた)であったが、それを超える50センチ連装主砲3基6門が搭載。この戦艦の完成は昭和23年から25年とされていたが戦局は厳しく急遽空母に変更された。
しかし空母となった信濃は昭和19年11月瀬戸内海で試験運行中にアメリカ潜水艦の雷撃を受けて沈没。実戦で活躍する事は出来なかった。


「100トン戦車」
日本陸軍が主力としていた三十八式戦車は防御も攻撃力も経連合軍の戦車と比べても貧弱であった。しかし水面下では昭和14年ノモンハン事件をキッカケに戦車の強化が計画された。それが陸の大戦艦「100トン戦車」だ。戦艦同様に太平洋戦争前はなんでも巨大化することでその戦力を強大なものとしようとした計画が多い。
 ノモンハン事件後に設計完成し昭和15年走行試験が行われたが、直進するだけでキャタピラが沈み、旋回すると転輪が脱落してしまう。
コンクリートも割れて沈下し試験が行われた相模造兵廟は大騒ぎになったらしい・・・。
結局、実践活用には不向きという事で処分されたらしい・・・。
実は同じようにドイツでも120トン戦車が開発されていたが同じく直進する事すらままならず計画倒れ。アメリカやイギリスも超重戦車の開発をしていたが実践に登場することはなかった。

「列車砲」
日本陸軍には列車に大型砲を積んだ列車砲というのがあった。主に満州を通る満州鉄道のための新兵器だった。フランスでは正式採用されていた。しかもこの列車砲は日本陸運が開発したのではなくフランス軍から輸入した。着弾誤差100メートル以内という列車砲としては極めて優秀な射程誤射だが満州鉄道はソ連を敵国想定のため配備。昭和20年8月9日にソ連軍が攻め込んできた時には扱える兵士がいなかったため実践では使用される事はなかったようだ。残念。

「震電」
プロペラが後ろに付いた戦闘機をご存知ですか?
実践に間に合いませんでしたが時速750キロ、30ミリ機銃4挺を装備。B29要撃用に開発された戦闘機です。昭和20年6月1号機試験。8月になってから実践向け試験がおこなわれている最中、日本は連合軍に無条件降伏のため実践に出る事はなかった。歴史ifはいけないがこの震電が量産の暁には連合軍など…とドズル中佐のような感想です。

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