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世界で必要とされた1000円札の男

2018年05月31日 | 
世界で必要とされた1000円札の男
野口英世。日本人であれば誰もが彼を知っているだろう。功績を知らなくても1000円札なら日常的に見ているためだ。
私が小学生2年生の事、初めて野口英世の本にであった。当時の夏休み課題図書だったためだ。
 生い立ちはこう、生まれて間もなく炎が燃え盛る囲炉裏の中に転落し左手を大やけど。家が貧しかったため医者に見せる事も出来ずさらしで巻いただけ。しかしそれがいけなかった。しばらくしたら手がグーを握ったまま皮が癒着してしまい開く事が出来なくなってしまった。幼少期は良かったが、小学生になると当然の如くいじめの対象になる。ついた渾名は「テンボウ」手が棒のようだという意味。今であったら自殺してしまうのではなかろうか。しかしながら野口清作(後に英世に改名)は負けなかった。この悔しさを勉強にぶつけた。
小学生高学年にもなると級長として勉強についてこれない生徒に勉強を教える指導員の役目もおこなっている。いわゆる悔しさをバネにとはこの事だろう。
彼は常に逆境に立ち向かっていった。中学生に当たる高等学校時代に手の手術を行い辛うじて物を握る程度に回復したが、癒着していたため指は短く、肌もケロイド状のままだった。
しかし、かれは医学に感激し自らも医学の道を目指す。
当時の日本は今以上に偏見や差別が横行しており、帝国大学を出ていない野口英世は簡単に医者にはなれない。まして彼は戊辰戦争で敗北した会津出身だった。
会津の英雄
野口英世は会津の猪苗代湖湖畔で生まれている。今でも生家は当時のまま保管されており野口英世記念館として多くの方が来場している。私は小学生ながら野口英世の半生に感動していた矢先に実際にこの記念館を訪れて非常に感動した事を30年経った今でも鮮明に覚えている。
アメリカに渡ってから世界を驚かせる発見をした野口英世は15年ぶりに帰国した日本の対応に驚きと怒りも感じていただろう。自分を帝国大学出身ではないという理由から認めなかった日本。世界各国は出身地や過去の学歴などよりも実績重視のため世界の有名大学で博士号を授与。しかしながら世界有名大学で博士号取得となるやいなや手のひらを反すように野口博士など持成し、日本の鏡などとたたえた。そして会津に帰郷した英世の胸中はどんな心境だったのだろうか。故郷の翁島では大変な騒ぎになったと記録が残っている。
世界の野口英世。彼の人生を振り返りながら一度野口英世記念館を訪れる事をお勧めします。
私も娘が小学生になったら野口英世の本を与え、野口記念館へ連れて行こうと思っています。

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