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維新の肖像

2018年07月05日 | 
明治維新は太平洋戦争にまで影響した
維新の肖像
二本松藩士として戊辰戦争を戦った父・朝河正澄。その父の生き方を否定しながらも、太平洋戦争へ突き進む日本に対してアメリカから侵略戦争批判をし続けた子・朝河貫一の物語。
父との葛藤
やたらと厳しい父の事が嫌いな息子は昔から多かったのだろ。そんな貫一も父正澄が苦手で離れるのが正当な理由の如くイェール大学で歴史学を教えるためアメリカに渡ったが、そこで待ち受けていたのは日本が対朝鮮半島や中国に向け侵攻をしていた在米日本人には暗黒の1930年代であった。
この頃は上海事変、満州事変と中国侵略著しく、日本の軍国主義は世界中の国から批判の嵐であった。そのことを感じていた貫一は日露戦争後の日本に危惧し、このままではアメリカと戦争になってしまう事を日本の政治家などに奏上したがその想いは届いていなかった。
反日運動も厳しく貫一への嫌がらせも日々エスカレートしていく。そんな中、父から託された「幕末日誌」を見つけた。父正澄が二本松藩士としてどのように戊辰戦争を戦ったのかが記されていた。そこで父の半生を小説として書き残そうとするのだが…。

日本軍部の暴走
父が経験した戊辰戦争を綴ってみると、日本軍部が行っている事は幕末期の薩摩藩や長州藩と変わらす、自作自演の暴挙で相手を陥れようとする手段が正攻法のように行われている事に気が付く。薩摩藩が江戸で放火、強盗、強姦を重ね幕府軍が立ち上がるのを待ってから蜂起。先に武力抗生に出た方が負け。悪者になってしまう。これは上海事変や盧溝橋事件などでも同じ。日本軍の演習場へ中国軍が先に発砲したとし武力衝突を開始する。また帝を抱え込み偽物の勅許であたかも正しい物として物事を正当化する。これも清国最後の皇帝愛新覚羅溥儀を皇帝に祭り上げて満州国という日本の傀儡国を設立した。昭和初期の日本軍の動きはまさにこの薩長の謀略と同じだ。その後、西南の役でその薩摩の指導者であった西郷隆盛が反逆者として倒れ、木戸孝允は病で、大久保利通は防寒に襲われて命を絶った。
昭和恐慌の中、また日本は同じ過ちを犯すのではないだろうかと思っていたが、その後の日本のたどる道は皆さんがご存じのように無残な敗戦を迎え、新しい日本へ生まれ変わるのだが、当時の日本人で暴挙の侵略を批判していた人は少ない。貫一ももっと早く父の残した戊辰戦争のあり方を学んでおけばよかったと後悔するのですが…。

父・朝河正澄
朝河正澄は二本松藩藩士の次男として生まれ、江戸藩邸に派遣されていた時に薩摩藩邸焼き討ち事件に関わる。江戸市中見回りを庄内藩と二本松藩が担っていたからである。そこで彼は初めて人を斬る実践を体験する。この事が後に薩長軍と向き合う戊辰戦争で経験値を生かして重要な任務を任命される。そして二本松城がどのように落城し、どのように生き延び、どんな思いで薩長の政府の元で生きてきたのか。初めて苦手だった父の背中を見た気がした…。
そんな戦争を起こす側の本質が読み取れる一冊だと思います。

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