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人斬り半次郎 賊将編

2018年06月27日 | 
西郷の懐刀 西南戦争にて敗北す。
人斬り半次郎 賊将編
人斬り半次郎こと中村半次郎も明治新政府陸軍の高官になると名前を「桐野利秋」と改名し、陸軍少将として陸軍大将西郷隆盛に片の確固たる地位を確立する。
征韓論で揉めて下野
師である西郷隆盛が征韓論で敗れ、鹿児島へ引き上げた。西郷シンパは西郷の後を追うようにそれぞれ職を辞して鹿児島に帰ることになる。篠原国幹、村田新八、永山弥一郎、そして従兄弟の別府晋介。彼らと共に鹿児島へ引き返した人数は600人を超えるといわれている。もちろん、明治政府側に残った人もいる。西郷隆盛の弟従道、従兄弟の大山巌など。数年後に起こる西南の役では完全に敵味方に分かれてしまう。明治政府側に残る人達を裏切り者と憤慨していた。
私学校
西郷隆盛は鹿児島に自給自足の農業立国設立を目指していたといわれている。桐野利秋は元々貧しい下級武士の出身。開墾をして自給自足で生活する事に何の抵抗もなく私学校では自ら鍬や鍬で畑を耕してサツマイモの栽培を行っていたという。私学校大幹部の桐野が率先して農業に従事した事に西郷は非常に高い評価をしていた。もしかしたら人斬りなんかよりサツマイモの栽培の方が好きだったのかもしれませんね。西郷が私学校で挙兵をすると噂になり政府側からスパイが送り込まれた。そのスパイを捕えたり斬り捨てる事は桐野利秋の仕事である。西郷に刺殺を送り込んだ政府を許すわけもなく、結局西郷を挙兵の道へ進ませてしまった事は死の直前まで悔やんでいたそうだ。
 薩摩藩邸焼き討ち事件から会津戦争に至るまで常に戦の前線にいた桐野利秋にとって徴兵された農民兵など取るに足らず強行突破といった戦略に出たが、熊本城を落とすことは出来ず、ここから敗戦を重ねてついに鹿児島まで退却をしなければならなかった。ここでも、指揮官自ら前線で戦っていたが新式の銃には勝てず犠牲者を増やすばかりだったがそのことも責任を感じていたようだ。
死に際
鹿児島の城山に籠って明日にも総攻撃を受け死する時になっても、桐野利秋は香水をつけていたそうだ。フランスの香水がお気に入りで外出する時はこの香水をつけていたという。この西南の役の最後でも軍服に香水をふりかけ好きな香りに包まれながら戦場に向かった。そして西郷を担いで挙兵したあげくに敗北した事の責任を負うかのように敵陣に突撃。多数の銃撃を受けて戦死した。この西南戦争を終結に導いた政府軍の指揮官は桑名藩雷神隊隊長であった立見尚文である。彼は戊辰で新参を舐めたが西郷隆盛と桐野利秋を葬った。戊辰戦争で賊軍の将となってから10年が経っていた。ここで官軍と賊軍といわれた立場が逆転したのだった。
巨匠、池波正太郎に描かれている人斬り半次郎は生き生きとしていた。
2018年のNHK大河ドラマで西郷隆盛が主人公になるので改めて人斬り半次郎を読み直すのもいい機会なのではないでしょうか。


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