SEIKYO online (聖教新聞社):生きる力は「人間の絆」の中に 逆境に耐え、未来を開く
きのう20日は大寒だった。暦の上では、一年で最も寒いとされる時季。その後、15日目で立春となる。あとどれくらいで春がくるのか分かるので、人は冬を乗り越えられるのかもしれない。だが、人生においては〝厳しい冬〟がいつ終わるかは分からない。ゆえに、その〝寒さ〟は耐え難い。
20年前の阪神・淡路大震災で被災したある婦人部員。自宅は全壊し、並んで寝ていた夫と2人の娘を亡くした。突然、訪れた孤独に自暴自棄になった。そして思った。この苦しみはいつまで続くんだろう――と。
だが、彼女には、いつも寄り添い、励ましてくれる創価学会の同志がいた。会館運営を担う役員にも誘われた。そのおかげで信心から離れずにすんだという。亡くなった3人に喜んでもらえる人生を生きようと前を向いたのは、10年後だった。
「立正安国論」には「蒼蠅驥尾に附して万里を渡り」(御書26㌻)と仰せである。青バエにとっては、駿馬の尾にしがみつき続けることは難儀であろう。しかも、いつまでつかまっていれば、どれほどの距離を進めるのか見当もつくまい。
誰でも、じっと耐えるしかない時には、やり切れなさを感じよう。それでも苦しみを耐え忍び、宿命も使命に変えるのだと同志愛の世界で生き抜けば、いつの日か、思いもよらぬ大きな境涯を開くことができるのだ。
「能忍(能く忍ぶ)」とは仏の異名である。池田名誉会長はかつて「その『能忍』の信心によって、わが生命の大地に、永遠に揺るがぬ『幸福の根』が張られる」と綴った。苦難に耐える強さによって、人は「生きていること」の尊さを実感できるに違いない。
名誉会長はまた「人に『生きる力』を与えるのは何か。それは、自分以外のだれかのために生きようという『人間の絆』ではないだろうか」と述べている。
先の婦人も「悲しみを背負って強く生きようとする、あなたの姿に勇気をもらった」という周囲の声から力を得た。励まされるだけでもなく、励ますだけでもない。〝蘇生〟には、心と心の触れ合いが不可欠なのだ。
ある時、婦人に、友人の一人が語り掛けた。
「商店街で見かけても、誰もあんたがそんな悲しい経験してるなんて思わへん」。それほど幸せに満ちあふれている、と。
「冬は必ず春となる」(同1253㌻)――苦難を乗り越えた一人一人の体験には、御本仏の珠玉の言葉が体現されている。
1カ月近く前の記事ですけど、疲れた心に沁みました。