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そして「トワイライト」は伝説になった 誰も知らない豪華寝台列車「ラストラン」秘話

2015年04月15日 21時07分18秒 | コラム・ルポ

そして「トワイライト」は伝説になった 誰も知らない豪華寝台列車「ラストラン」秘話(東洋経済オンライン) - goo ニュース

東洋経済オンライン2015年4月15日(水)06:00

そして「トワイライト」は伝説になった 誰も知らない豪華寝台列車「ラストラン」秘話
(東洋経済オンライン)

多くの人が見守った、3月12~13日の「トワイライトエクスプレス」ラストラン。ファンやマスコミがおおいに盛り上がったその舞台裏で、もうひとつのドラマが展開されていたことをご存知だろうか。上り最終列車の料理長を務めた三浦伸敏チーフの話を中心にお届けする。

悪天候で最終列車のディナー用食材が届かない!

まずは時計の針を3月10日、「ラストラン2日前」に戻そう。トワイライトエクスプレスの食堂車クルー10人は、札幌駅到着後、車両基地に引き上げた列車内で待機していた。

通常なら、9時52分に札幌駅に到着すると、仮眠を取った後すぐに14時05分発の上り大阪行きに乗務する。しかし悪天候によって、10日の上り列車は運休が決定。夜になって、翌11日も運休が決まった。

残るは、12日発の最終列車のみ。一足先に乗務を終えるはずだったクルーたちは、思いがけずラストランに乗務することになった。だが、天候次第ではそれも運行できるかわからない。クルーたちはナプキンで「てるてる坊主」を作り食堂車に吊した。

翌11日、10人は札幌市内のホテルに移動した。冬は天候が荒れるため、こうした事態はさほど珍しくない。だが、よりによってラストランでもう一つ、思わぬ事態が発生した。最終列車のディナーの食材が届かないのだ。

トワイライトエクスプレスのフランス料理ディナーは完全予約制で、毎日必要な数が異なる。運休で日程がずれた場合、足りない食材は大阪から空輸することになっていた。ところが、悪天候により新千歳空港の滑走路が閉鎖され、食材が届かない事態となったのである。

食堂車、ダイナープレヤデスのサービスはJR西日本の関連会社であるジェイアール西日本フードサービスネットが担当している。

最終列車の料理長を務めることになった三浦伸敏チーフは入社9年目。豪華客船のコックに憧れ、ホテルやレストランで経験を積んだ後にトワイライトの門を叩いたフランス料理の専門家だ。

その三浦氏に、大阪にいる伊福部雅司担当部長から電話が入った。

「君にすべて任せる。現地で食材を調達し、できる限りグレードを下げずにディナーのメニューを再現するように」

伊福部部長は、トワイライトエクスプレスの総料理長にあたる人物である。

「その部長から、”任せた”という言葉をいただき、料理人として燃えるものがありました」(三浦氏)

札幌駅周辺の高級食材店を駆けずり回った男たち

11日午後、三浦氏は乗客サービス担当の室巻智大マネージャーと二人で駅近くの喫茶店に入り、対応を検討した。ひとたび列車が発車したら、補充は一切できない。ディナーを再現するために必要な食材を書き出し、厨房スタッフと共に札幌市内の高級食材を扱う店を駆けずり回った。

「お店では怪訝な顔をされました。男4人が、最高級の和牛肉をブロックでどかどか買っていくのですから(笑)。トワイライトエクスプレスの名前は出しませんでした」(三浦氏)

最終列車のディナー予約は51人。車内にある食材ではその半分程度の量しかまかなえない。

残りを現地で調達するのだが、全く同じものを数時間で揃えることは不可能だった。

本来のメインディッシュは、「トワイライト厳選の黒毛和牛のグリエと牛舌の煮込み、里芋のムースリーヌ」。和牛は本来フィレ肉を使うことになっていたが、納得できる品質の肉は鹿児島産のロースしかなかった。

そこで、手持ちのフィレと新たに購入するロースを合わせて提供することにした。

容易に手に入ると思われたイクラも、醤油漬けが多く生のものがなかなか見つからない。何軒もまわって、ようやく味の付いていない筋子を見つけた。

どうしても調達できない食材もあった。デザートはパルフェ・グラッセ(生クリームを使った氷菓)が中心だったが、どうしても手に入らない。これは、アイスクリームで代用することにした。

午後を丸々使って食材を揃え、ホテルに戻ると間もなく12日運行決定の情報が届いた。いよいよ、自分たちがラストランのクルーとなる。普段とは違う、静かな熱気が10人を包んだ。

夜になり、新千歳空港の閉鎖が解除されると、大阪から「増援」として2人のクルーが到着した。ラストランの食堂車クルーは、これで厨房5人、ホール7人の総勢12人。通常は厨房・ホール各3人の6人が基本で、下り最終列車でも10人だ。総勢12人という体制は、トワイライトエクスプレス始まって以来の大所帯となった。

増援組の一人、村井智彦氏は、三浦チーフの顔を見ると照れくさそうに笑った。彼は、ラストランの乗務を熱望しながら一度は叶わず、列車内で待機中の三浦チーフにメールを送っていたのだ。そこには、「100年後も語り継がれるであろうトワイライトエクスプレス」への熱い思いが綴られていた。

クルーだけの夕食は、会社のはからいで全員揃って札幌市内のジンギスカン店へ。みんなで同じ料理をつつき、「明日は頑張ろう、トワイライトの有終の美を飾ろうじゃないか」と誓った。

全額返金、無料提供となったディナー

翌12日、ラストラン当日。クルーたちは食材を持ってタクシーで車両基地に移動し、列車に乗り込むとすぐに準備を始める。札幌駅に入線する頃には厨房は戦場だ。約1000人が集まったホームの状況や、14時05分の出発時刻を気にする余裕はなかった。

ラストランという特別な状況に加え、食材の現地調達によって作業の段取りも普段とは大きく異なる。厨房には前夜ホテルで作成した段取り表が掲示され、通常17時30分から始まるディナーは30分遅らせて18時からのスタートとされた。

「本日のディナーは、都合により内容に多少の変更がございます。本来お約束した内容と異なりますので……」

室巻マネージャーが、乗客に説明した。

「お食事代は全額返金させていただきます」

実はディナーの全額返金、無料提供は、前日伊福部部長から三浦チーフに電話があった時から、会社の方針として決まっていた。

トワイライトエクスプレスのディナーは、2月1日以降、辻調理師専門学校でフランス料理技術顧問を務める西川清博氏らがプロデュースした「さよなら特別メニュー」が提供されている。

しかし、現地調達した食材で提供されたメニューは、どれだけ工夫を重ねても本来のレシピとは異なる。料理人のプライドとしても、また西川氏への礼儀から言っても、所定の代金を受け取るわけにはいかなかった。

「やるだけのことはやりましたが、自分の責任で料理を提供し、お客様の反応を見るというのは初めてのこと。怖くもあり、緊張しました」(三浦氏)

乗客からは、「何が変わったのかわからない。このまま代金を払わせて欲しい」という声があがった。

「その声を聞いて、ホッとしました」(同)

90分×2回転のディナータイムは無事終わり、続いて予約不要のパブタイムが始まった。リーズナブルに食事ができるとあって、毎回通路には順番待ちの列ができる。通常は23時ラストオーダーだが、この日は「並んだお客様には、食材がある限り何時まででも提供しよう」と決めていた。

やがてパブタイム用のメニューは底をつくと、本来下り札幌行き用のランチタイムメニューであるオムライスが提供された。トマトソースは豊富にあり、卵とライスさえあれば提供が可能。前日から、「パブタイムはオムライスで行こう」と決め、十分な数の卵を仕入れてあった。最後のお客が帰った時には、深夜2時を回っていた。

食堂車以外でも、この日は特別な空気に包まれていた。2号車では、スイート、ロイヤルの乗客がスイートルームに集まり、ルームサービスを利用して立食パーティーを開催。

4号車のサロンカー、「サロン・デュ・ノール」では車掌も参加してのジャンケン大会が開催された。乗車証明書ならぬ「乗務証明書」を作成し、乗務員に進呈する乗客もいた。それぞれが、思い思いにトワイライト最後の夜を楽しんでいたのである。

人・人・人・・途切れなかった「手を振る人々」

日本海に沿って走ってきた列車は、早朝4時40分、新津駅に停車した。まだ外は真っ暗だが、ホームでは小さな男の子が列車に向かって手を振っていた。

普段なら所定の寝台で仮眠を取るクルーたちも、この日ばかりは一睡もしていない状態で朝食の時間を迎えた。発車後に注文を取る朝食は、元々十分な量を搭載しており、所定のメニューを提供できる。45分ずつ数回に分けて提供し、最後の回が終わる頃、室巻マネージャーと三浦チーフが挨拶に立った。

「皆さまは、トワイライトエクスプレスでお料理を提供させていただく最後のお客様です」

「空輸トラブルで食材が変わり、ご迷惑や不手際もあったかもわかりませんが、その分腕によりをかけてご提供させていただきました」

乗客から、「美味しかったよ!」という声が上がる。クルーたちは安堵し、列車が終着駅に近づいていることを実感した。

列車は、北陸本線を走っている。窓の外には、絶えずトワイライトエクスプレスに向かって手を振る人の姿がある。中には、手作りの横断幕を振る人もいた。沿線に暮らしている、元クルーだった。

京都駅を発車すると、いよいよラストラン。車掌が最終運行の挨拶を車内放送で行い、室巻マネージャーと三浦チーフも、サロンカー「サロン・デュ・ノール」でもう一度挨拶を行った。乗客たちからは拍手が起きた。

12時54分、定刻から1分ほど遅れて、上りトワイライトエクスプレスは終着・大阪駅に到着した。ホームでは約2000人のファンが出迎えたが、大きな混乱はない。

三浦チーフがホームに降りると、家族が迎えに来ていた。5歳の長男が、初めて見るような高ぶった顔をして、目に涙を浮かべている。

「子どもに、自分の晴れ舞台を見せられたなという思いでした。妻も息子も、私がトワイライトエクスプレスで働いていることを、誇らしく感じてくれていたようです」(三浦氏)

多くのファンと乗客に見送られ、12人のクルーは営業所に戻った。最後の点呼で一人ずつ挨拶をしたが、室巻マネージャーは言葉に詰まり、涙を流す人も多かったという。

「新たな夢」に向けて

3月13日を最後に、大阪-札幌間の運行を終了したトワイライトエクスプレス。JR西日本は5月からスイート・ロイヤルのみの豪華編成に組み替えて、ツアー専用のクルーズ列車として運行することを発表した。

同社管内でのクルーズ運行を通じて、2年後に登場する豪華寝台列車「トワイライトエクスプレス瑞風」の実証的な役割を果たすものと思われる。車内サービスは、従来からのスタッフが引き続き担当する見込みだ。

「私もいくつかの職場を経験してきましたが、トワイライトエクスプレスには、独特の愛着が生まれました」

三浦氏は、以前別の取材で会った時、「料理人としていつかは自分の店を持ちたい」と語っていた。そして、今はもうひとつ、新しい夢があるという。

「新しいトワイライトエクスプレスに乗務して、また誇りを持ってお客様をお迎えしたいです」

惜しまれながら運行を終了したトワイライトエクスプレスだが、そのサービスと伝統は今後も新しい列車に引き継がれていくことだろう。


自分の寝台車の思い出は、専門学校時代の『はくつる』と、新婚旅行で利用した『ゆうづる』だけです。

なかなか乗る機会が無いまま、廃止されていってしまうんですよね。

定年後の楽しみが…。 


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