来週からまた仕事と所用で忙しい。年の瀬が迫ってくるのに現場の仕事が入っている。ありがたいことであるが加齢とともに年の瀬、あわただしさについていけない。なかなか体がテキパキと動いてくれない。
こんなときは息子と同居していればもうこんなことに心配しないでのんびりと過ごせるのだろうかと思ったりするが---。
しかし同居は毎日のことになるとそんな甘いものではない。
嫁さんをもらったら息子は他人と思う事柄が度々とある。
こんな子に育てた覚えがないと母親のプライドは動くが周りの人たちの話も同じである。
嫁さんに言いたいことがあっても嫁さんには言えないので息子にそっと言っている人の話しも聞いた。
ほとんどの人が「娘がいいよ。娘は口うるさいけれど母親の立場を1番理解してくれる」と話す。
娘がいれば娘が味方にできたのにと娘が居なかったことが悔やまれる。
もう1人子どもを作ればよかったのかと後悔するが結婚してすぐに心の病になり1人の子どもをまともに育てることでせえいっぱいだった。
きちんと育てたはずなのにと母親のプライドが左右する。
おもいきっり息子に不満を言いたいが言ったところで息子は兄弟もいない。誰にも相談できないことを考えるとかわいそうになって母親が心の中でモンモンとしている。
こんな気持、息子は知るはずもないだろう。
自分の家庭を作れば自分の家族が1番である。
しかし今の家族の上は親があってなりたっていることを知ってもらいたいと母親のプライドはそう思ってしまう。
周りは息子の近くの沖縄に移住したらというがやっぱり住み慣れた奈良が好きでなんと言っても同級生が多くすんでいる私の故郷、木津川市木津に近い。
仕事がなくなって老後ブラブラするようになったら同級生を訪ねてお茶を飲むのが楽しみ。だから沖縄には行きたくない。
私の住みなれたところはここだと思っている。
四季のある関西の方が住み心地がいい。
四季の変化が見られない沖縄に私の持っている感性がしずんでしまいそうに思うが沖縄が好きになると沖縄に永住する人が増えているのも現実である。
沖縄大好きの人が多いのに私は夏の沖縄は好きになれない。
1月から3月半ばの季節なら沖縄が好きである。
私の息子も住み心地がよくて沖縄の大学を卒業してそのまま就職して住みついてしまった。
奈良に戻ってくるとせせこましい奈良が落ち着かないという。
私はそうかな。奈良公園という雄大な自然公園があるのにと思う。
沖縄の人たちはまだ人情があると言う。
そうかな。とその言葉に絶句してしまう。
せちがらい世相は奈良も同じ。佐紀町にいた時は村志向の村社会のしきたりをたくさん見た。そんなことも息子の頭にあるのだろうか。
しかし待って。村社会という地域が地元社会を作り家庭と地域が繫がっていた。家庭と地域そして学校と繫がっていた。
それなりに地元の人情があった。
しかし新興住宅が建ち並び地域の存在が揺れ始めた。
今の子どもたちの残酷な事件の数々にこんな時代の世相にあってくる。さてはもうこの時に家庭と地域のつながりの崩壊ができ始めていたのだろうか。
よそ者と区別された地域社会が今の世相を作っていったのだろうか。
なんかそんなこと考えている。
背後からまた聞こえる。
「息子なんて他人、他人、親に頼らないで自分で生活していたらそれでええんやか」
「仕事やめたら息子の近くスープの冷めへん距離に移住したら」
と、声が聞こえる。
心の中はそれでも
「苦労して育てのは私、やっぱり私が親や。沖縄の移住、まあ長生きしたらそのとき考えるわ」と思っている。
こんなときは息子と同居していればもうこんなことに心配しないでのんびりと過ごせるのだろうかと思ったりするが---。
しかし同居は毎日のことになるとそんな甘いものではない。
嫁さんをもらったら息子は他人と思う事柄が度々とある。
こんな子に育てた覚えがないと母親のプライドは動くが周りの人たちの話も同じである。
嫁さんに言いたいことがあっても嫁さんには言えないので息子にそっと言っている人の話しも聞いた。
ほとんどの人が「娘がいいよ。娘は口うるさいけれど母親の立場を1番理解してくれる」と話す。
娘がいれば娘が味方にできたのにと娘が居なかったことが悔やまれる。
もう1人子どもを作ればよかったのかと後悔するが結婚してすぐに心の病になり1人の子どもをまともに育てることでせえいっぱいだった。
きちんと育てたはずなのにと母親のプライドが左右する。
おもいきっり息子に不満を言いたいが言ったところで息子は兄弟もいない。誰にも相談できないことを考えるとかわいそうになって母親が心の中でモンモンとしている。
こんな気持、息子は知るはずもないだろう。
自分の家庭を作れば自分の家族が1番である。
しかし今の家族の上は親があってなりたっていることを知ってもらいたいと母親のプライドはそう思ってしまう。
周りは息子の近くの沖縄に移住したらというがやっぱり住み慣れた奈良が好きでなんと言っても同級生が多くすんでいる私の故郷、木津川市木津に近い。
仕事がなくなって老後ブラブラするようになったら同級生を訪ねてお茶を飲むのが楽しみ。だから沖縄には行きたくない。
私の住みなれたところはここだと思っている。
四季のある関西の方が住み心地がいい。
四季の変化が見られない沖縄に私の持っている感性がしずんでしまいそうに思うが沖縄が好きになると沖縄に永住する人が増えているのも現実である。
沖縄大好きの人が多いのに私は夏の沖縄は好きになれない。
1月から3月半ばの季節なら沖縄が好きである。
私の息子も住み心地がよくて沖縄の大学を卒業してそのまま就職して住みついてしまった。
奈良に戻ってくるとせせこましい奈良が落ち着かないという。
私はそうかな。奈良公園という雄大な自然公園があるのにと思う。
沖縄の人たちはまだ人情があると言う。
そうかな。とその言葉に絶句してしまう。
せちがらい世相は奈良も同じ。佐紀町にいた時は村志向の村社会のしきたりをたくさん見た。そんなことも息子の頭にあるのだろうか。
しかし待って。村社会という地域が地元社会を作り家庭と地域が繫がっていた。家庭と地域そして学校と繫がっていた。
それなりに地元の人情があった。
しかし新興住宅が建ち並び地域の存在が揺れ始めた。
今の子どもたちの残酷な事件の数々にこんな時代の世相にあってくる。さてはもうこの時に家庭と地域のつながりの崩壊ができ始めていたのだろうか。
よそ者と区別された地域社会が今の世相を作っていったのだろうか。
なんかそんなこと考えている。
背後からまた聞こえる。
「息子なんて他人、他人、親に頼らないで自分で生活していたらそれでええんやか」
「仕事やめたら息子の近くスープの冷めへん距離に移住したら」
と、声が聞こえる。
心の中はそれでも
「苦労して育てのは私、やっぱり私が親や。沖縄の移住、まあ長生きしたらそのとき考えるわ」と思っている。
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