.夜道1人歩く恐さ
「かわやん」のブログに夜の道を歩く恐さ、私は12・3年前に体験した。それからどんなに遅くなっても市内循環のバスに乗ることにしている。
市内循環バスは8時過ぎると近鉄奈良駅からJR奈良駅を通って大森町、八軒町、幸町、高畑と廻り近鉄奈良駅に戻ってくる。こちら側は8時過ぎると昼間より本数が少なくなり9時台になると1時間に1本になる。
大体9時すぎると反対廻り、近鉄奈良駅から県庁前、春日大社大仏前、高畑、幸町、八軒町、大森町そしてJR奈良駅、近鉄奈良駅と廻る循環バス、9時台は3本、10時台になると2本で運行、11時、12時台は1本だけになる。気長く待てばバスは来る。
遅くなると遠回りになるが県庁前、奈良公園を廻る循環を利用する。
私は「綿町(綿町)」で県庁前廻りを乗ってもやや遠回りするだけである。
しかし11時、12時過ぎに仕事から近鉄奈良駅に戻りなるべくバスを待つ。
タクシーを乗るのに気が引ける。ワンメーターほどである。時にはワンメーターなのに1メートル走って料金追加になることもある。
これがまた気分が悪い。だから自宅に戻るとき近鉄奈良駅からはタクシーはめったに利用しない。
それがバスの出たあと、45分から50分待つこともある。
若いときはそんな時は近鉄奈良駅から歩いた。待つ間に自宅に帰れると思って歩いた。
夫には危ないからバスかタクシーを乗るように言われていた。
私が40代の後半ごろ、小西町からまっすぐ来ると小学校がある。ここは街燈が少なくて暗い。いつのころからか「痴漢」が出没すると言われていた。
「まさかこんなおばさんに」と言うと夫は「痴漢はおばはんも何も関係がない」と言って注意をしていた。
ある日、12時前に近鉄奈良駅についた。バスは40分ほど待てば来る。しかし歩くと20分もあれば帰ることができると考えた。
やすらぎの道を南に向かって歩いた。
中途あたりに奈良市内では美味しいと好評の「おでんの店」がある。
その横を通ると夕方6時ごろ食べたが空腹になっている。自宅に帰って遅くから台所に入って食べた後の片付けが嫌だなと思い「おでんの店」に入った。
カウンターでうどんとおでん2個を食べた。
そうすると斜め向かい側に座っていた50歳をとうに過ぎた男性が私の方をちらちらと見ている。気になるなあと思いながら気にしないふりをしてうどんとおでんを食べた。
食べ終えて外にでるとその男性も出てきた。
気持悪いなあと思いながらやすらぎの道を歩き出した。
そうすると車で私を追いかけてきた。
車のドアを空けて停まった。
私は恐怖であわてて急ぎ足で駆け出した。
また車が追いかけてくる。
そして言う。「乗れ。乗れ」と言う。
私はとっさに「結構です。歩いて帰ります」と言うとまた大きい声で「乗れー。乗れー」と怒鳴る。
もう恐い。「結構です」「結構です」と言って一目散に走った。走った。
車はやっとスピードを出して私のところから走り去った。
それでもマンションに入っても恐かった。どこかで潜んでいるようで恐かった。
夫に話しをした。
「お前はアホやな。1人でそんな遅くうどん食べていると年増女の1人暮しと間違われたんや。1人暮しで寂しい思いしていると思われたんや。だいたい普通の主婦はそんな夜中にうどんなんか食べにいかへんやろ」とおでんの店に入ってきたことに怒られた。
それから運動のためと言えども夜道をあることを一切しなくなった。
それから1年後のことだろうか。
JR奈良駅に大阪八尾市から戻って10時前についた。
しばらく待った。あんまり寒いので待合にある自動販売機でコーヒーを買って飲んだ。
そしたら1年ほど前に見た男性がバス停で立っていた。
嫌だなと思ったが知らん顔してバスにのった。
「綿町」で降りた。まさか男性は降りてこないと思っていたのに降りてきた。
私の体は凍りついた。恐怖が走った。
降りたバス停の前に現像写真屋さんがある。遅くまで店を開けているので助かった。
店に飛び込んだ。そして「後ろに男性につけられている。ストーカーみたいなんや」と言った。そしてそこから携帯で夫に電話をした。「自宅前の写真屋さんにいる。理由は後で話しをするから迎えに来て」と言ったら夫は写真屋さんまで迎えにきてくれた。
夫に電話をしているのを見ていた男性は隣のマンションに隠れた。姿は見えなかった。
夫が迎えにきたことで私は1人暮しでないことが確認しただろう。
それから男性と町の中で会うことはなくなった。
それまでおでんの店で見てから2・3度、奈良の町の中で見かけて身震いしていた。
これは12・3年前のことである。
このころから観光都市奈良の町の治安が崩れかけていた。
この後、奈良市内には暴走族が走りJR奈良駅から近鉄奈良駅の三条通の散策もゆったりとできなくなった。一般の者は若者たちの危険にさらされていた。
そして風紀の悪い三条通、奈良の町になった。
1度、車で追いかけられてから決して歩かなくなった。昼間は時には運動のために歩くこともあったがどんなに遅く奈良に戻ってきてもバスを待った。そして夜の食事は1人では外で行かないようにした。あの恐怖は今も残っている。
「かわやん」のブログに夜の道を歩く恐さ、私は12・3年前に体験した。それからどんなに遅くなっても市内循環のバスに乗ることにしている。
市内循環バスは8時過ぎると近鉄奈良駅からJR奈良駅を通って大森町、八軒町、幸町、高畑と廻り近鉄奈良駅に戻ってくる。こちら側は8時過ぎると昼間より本数が少なくなり9時台になると1時間に1本になる。
大体9時すぎると反対廻り、近鉄奈良駅から県庁前、春日大社大仏前、高畑、幸町、八軒町、大森町そしてJR奈良駅、近鉄奈良駅と廻る循環バス、9時台は3本、10時台になると2本で運行、11時、12時台は1本だけになる。気長く待てばバスは来る。
遅くなると遠回りになるが県庁前、奈良公園を廻る循環を利用する。
私は「綿町(綿町)」で県庁前廻りを乗ってもやや遠回りするだけである。
しかし11時、12時過ぎに仕事から近鉄奈良駅に戻りなるべくバスを待つ。
タクシーを乗るのに気が引ける。ワンメーターほどである。時にはワンメーターなのに1メートル走って料金追加になることもある。
これがまた気分が悪い。だから自宅に戻るとき近鉄奈良駅からはタクシーはめったに利用しない。
それがバスの出たあと、45分から50分待つこともある。
若いときはそんな時は近鉄奈良駅から歩いた。待つ間に自宅に帰れると思って歩いた。
夫には危ないからバスかタクシーを乗るように言われていた。
私が40代の後半ごろ、小西町からまっすぐ来ると小学校がある。ここは街燈が少なくて暗い。いつのころからか「痴漢」が出没すると言われていた。
「まさかこんなおばさんに」と言うと夫は「痴漢はおばはんも何も関係がない」と言って注意をしていた。
ある日、12時前に近鉄奈良駅についた。バスは40分ほど待てば来る。しかし歩くと20分もあれば帰ることができると考えた。
やすらぎの道を南に向かって歩いた。
中途あたりに奈良市内では美味しいと好評の「おでんの店」がある。
その横を通ると夕方6時ごろ食べたが空腹になっている。自宅に帰って遅くから台所に入って食べた後の片付けが嫌だなと思い「おでんの店」に入った。
カウンターでうどんとおでん2個を食べた。
そうすると斜め向かい側に座っていた50歳をとうに過ぎた男性が私の方をちらちらと見ている。気になるなあと思いながら気にしないふりをしてうどんとおでんを食べた。
食べ終えて外にでるとその男性も出てきた。
気持悪いなあと思いながらやすらぎの道を歩き出した。
そうすると車で私を追いかけてきた。
車のドアを空けて停まった。
私は恐怖であわてて急ぎ足で駆け出した。
また車が追いかけてくる。
そして言う。「乗れ。乗れ」と言う。
私はとっさに「結構です。歩いて帰ります」と言うとまた大きい声で「乗れー。乗れー」と怒鳴る。
もう恐い。「結構です」「結構です」と言って一目散に走った。走った。
車はやっとスピードを出して私のところから走り去った。
それでもマンションに入っても恐かった。どこかで潜んでいるようで恐かった。
夫に話しをした。
「お前はアホやな。1人でそんな遅くうどん食べていると年増女の1人暮しと間違われたんや。1人暮しで寂しい思いしていると思われたんや。だいたい普通の主婦はそんな夜中にうどんなんか食べにいかへんやろ」とおでんの店に入ってきたことに怒られた。
それから運動のためと言えども夜道をあることを一切しなくなった。
それから1年後のことだろうか。
JR奈良駅に大阪八尾市から戻って10時前についた。
しばらく待った。あんまり寒いので待合にある自動販売機でコーヒーを買って飲んだ。
そしたら1年ほど前に見た男性がバス停で立っていた。
嫌だなと思ったが知らん顔してバスにのった。
「綿町」で降りた。まさか男性は降りてこないと思っていたのに降りてきた。
私の体は凍りついた。恐怖が走った。
降りたバス停の前に現像写真屋さんがある。遅くまで店を開けているので助かった。
店に飛び込んだ。そして「後ろに男性につけられている。ストーカーみたいなんや」と言った。そしてそこから携帯で夫に電話をした。「自宅前の写真屋さんにいる。理由は後で話しをするから迎えに来て」と言ったら夫は写真屋さんまで迎えにきてくれた。
夫に電話をしているのを見ていた男性は隣のマンションに隠れた。姿は見えなかった。
夫が迎えにきたことで私は1人暮しでないことが確認しただろう。
それから男性と町の中で会うことはなくなった。
それまでおでんの店で見てから2・3度、奈良の町の中で見かけて身震いしていた。
これは12・3年前のことである。
このころから観光都市奈良の町の治安が崩れかけていた。
この後、奈良市内には暴走族が走りJR奈良駅から近鉄奈良駅の三条通の散策もゆったりとできなくなった。一般の者は若者たちの危険にさらされていた。
そして風紀の悪い三条通、奈良の町になった。
1度、車で追いかけられてから決して歩かなくなった。昼間は時には運動のために歩くこともあったがどんなに遅く奈良に戻ってきてもバスを待った。そして夜の食事は1人では外で行かないようにした。あの恐怖は今も残っている。
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