今朝も5時半に起きた。
夫の車で送ってもらって近鉄奈良駅に7時25分に着いた。行きつけの喫茶店まで2分程度。店に入った時はそんなお客さんが居なかったが8時前になると少しずつ常連さんが入ってこられた。この喫茶店を8時に出た。近鉄奈良駅に着くと8時6分、8分の難波行があるがいつものホームと違った。次の15分に乗ることにした。
先日の7時半に乗る電車は車内が混んでいたが30分遅いと混み具合が和らいでいる。少し気持ちが楽だった。生駒で降りるときやはり年齢の重ねた人に座って下さいと声をかけている。男性であれ女性であれつい年の重ねた人に声をかけている。
生駒に出て地下鉄中央線に乗り換えた。乗り換える前にトイレを済ませた。
8時40分にホームに行きコスモスクエア行きに乗る。
住之江公園行きに乗り換えてトレードセンターで降りた。
駅に降りると9時40分、卒業式は10時から。
式典を終えて学校関係者のある人と一緒にトレードセンターへ昼食に行った。御馳走になった。ここで昼食を済ませて電車に乗ったのが1時過ぎ、一緒に行った人と本町まで一緒だった。
ここから生駒に戻ると2時10分、生駒から奈良に戻って2時半、朝、立寄った喫茶店に寄った。朝は新聞1紙読んだだけ、また立寄ってもう1紙を読んだ。
店を出たのが3時30分、文房具に寄って資料をコピーして今度は本屋に寄った。
取り寄せてもらっている本を頂いてそのままスーパーに寄らないたでまっすぐ家に帰った。
文房具屋の前で小学校の同級生にあった。お互いに忙しい。
時間があれば文房具屋の前に新しくオープンした喫茶店に入りたいと思ったが双方、夕食の支度があるので「また」と言って分かれた。
また小学生の同級生と春に会えるのが楽しみ。気の使わない小学校の同級生と会う楽しさがわかった。
中循環バスが来た。バス停に下りると1羽の鳩が空ビルの上から見ている。
大通りの向こう側にマンションがある。
マンションに向かって歩くと空ビルにいた鳩が私の歩く方向に向かって歩いて来る。
こんな仕草を見るとかわいいと思う。
しかし自宅に戻ると案の定、ベランダのサンに1つの糞をしていた。
さっそくふき取った。そのまま置いておくとそこらへんに糞をして仲間たちに「ここは大丈夫」と知らせているということを何かで読んだ。
見つけると必ずその場でふき取って綺麗にしている。
空きビルにいた鳩、じっと座って私の部屋の方を見ている。
洗濯を取り入れたりしているのを見ている。
その間に私はお風呂に湯を入れた。
湯が入ると風呂に入った。この間に空きビルにいた鳩はいなくなっていた。塒にもどつたのだろう。
風呂から上がるとお米を磨いで炊飯器にかけた。
今日はポテトサラダを作ろうと思って卵を鍋に入れてゆで卵を作り電子レンジでジャガイモを蒸した。今、ジャガイモを冷ましている。皮を向いてつぶして胡瓜やハム、ゆで卵を入れてポテトサラダを作る予定。その前に今日のプログを書いている。
昨日は鱈と大根の汁、韓国料理の惣菜だがこれは唐辛子も何もいれない。
しかし美味しい。夫の好物で昨日、たくさん作った。
まだ豚キムチの炒めたものが残っている。
これからオクラと長芋を炊いて野菜の惣菜を作ろう。
今日はバタバタして過ぎていく。
明日から3日間支度、しかし記事が4本もたまっている。
明日から記事書きに追われていく。
今日はこのへんで。朝方、南港を歩いていると春の息吹を感じた。もうそこまで春が来ている。しかし夕方になると寒くなっている。
春はまだなのかと首をかしげている。
昔、小柳ルミ子の歌で「春のおとずれ」という歌があった。
「春のなぎさをあなたとゆくの---」
若いときいったい誰と歩くのか。
夫でもない。あの人でもない。この人でもない。
迷い悩んでいるうちにとうとう年齢は60歳近くになったとき、1番気の使わない夫といる時間が落ち着くと思えるようになった。
それから5年過ぎてなおさらそう思う。そして健康であることが1番の願いと思っている。
あんなときこんなときと迷い悩んだ頃、輝いて活動していたけれどいつも何か胸の中でつかえるものがあった。60歳近くになってストーンとつきものが落ちるようにそんな悩み多かった40代の気持ちがなくなってしまった。
年齢を重ねることはこんなことだったのかとやっと何も思わない気楽な気持ちになれることの大事さがやっと分かった。
男性仲間と会っても何も思わないで話しができる。こんな日々の暮らしができることに年齢を重ねてきてようやく自分の身に備わってきた。
とても気楽な気持ちで男性たちと会える。穏やかで暮らせることに感謝している自分がいる。もう5時半です。今日はこのへんで。
夫の車で送ってもらって近鉄奈良駅に7時25分に着いた。行きつけの喫茶店まで2分程度。店に入った時はそんなお客さんが居なかったが8時前になると少しずつ常連さんが入ってこられた。この喫茶店を8時に出た。近鉄奈良駅に着くと8時6分、8分の難波行があるがいつものホームと違った。次の15分に乗ることにした。
先日の7時半に乗る電車は車内が混んでいたが30分遅いと混み具合が和らいでいる。少し気持ちが楽だった。生駒で降りるときやはり年齢の重ねた人に座って下さいと声をかけている。男性であれ女性であれつい年の重ねた人に声をかけている。
生駒に出て地下鉄中央線に乗り換えた。乗り換える前にトイレを済ませた。
8時40分にホームに行きコスモスクエア行きに乗る。
住之江公園行きに乗り換えてトレードセンターで降りた。
駅に降りると9時40分、卒業式は10時から。
式典を終えて学校関係者のある人と一緒にトレードセンターへ昼食に行った。御馳走になった。ここで昼食を済ませて電車に乗ったのが1時過ぎ、一緒に行った人と本町まで一緒だった。
ここから生駒に戻ると2時10分、生駒から奈良に戻って2時半、朝、立寄った喫茶店に寄った。朝は新聞1紙読んだだけ、また立寄ってもう1紙を読んだ。
店を出たのが3時30分、文房具に寄って資料をコピーして今度は本屋に寄った。
取り寄せてもらっている本を頂いてそのままスーパーに寄らないたでまっすぐ家に帰った。
文房具屋の前で小学校の同級生にあった。お互いに忙しい。
時間があれば文房具屋の前に新しくオープンした喫茶店に入りたいと思ったが双方、夕食の支度があるので「また」と言って分かれた。
また小学生の同級生と春に会えるのが楽しみ。気の使わない小学校の同級生と会う楽しさがわかった。
中循環バスが来た。バス停に下りると1羽の鳩が空ビルの上から見ている。
大通りの向こう側にマンションがある。
マンションに向かって歩くと空ビルにいた鳩が私の歩く方向に向かって歩いて来る。
こんな仕草を見るとかわいいと思う。
しかし自宅に戻ると案の定、ベランダのサンに1つの糞をしていた。
さっそくふき取った。そのまま置いておくとそこらへんに糞をして仲間たちに「ここは大丈夫」と知らせているということを何かで読んだ。
見つけると必ずその場でふき取って綺麗にしている。
空きビルにいた鳩、じっと座って私の部屋の方を見ている。
洗濯を取り入れたりしているのを見ている。
その間に私はお風呂に湯を入れた。
湯が入ると風呂に入った。この間に空きビルにいた鳩はいなくなっていた。塒にもどつたのだろう。
風呂から上がるとお米を磨いで炊飯器にかけた。
今日はポテトサラダを作ろうと思って卵を鍋に入れてゆで卵を作り電子レンジでジャガイモを蒸した。今、ジャガイモを冷ましている。皮を向いてつぶして胡瓜やハム、ゆで卵を入れてポテトサラダを作る予定。その前に今日のプログを書いている。
昨日は鱈と大根の汁、韓国料理の惣菜だがこれは唐辛子も何もいれない。
しかし美味しい。夫の好物で昨日、たくさん作った。
まだ豚キムチの炒めたものが残っている。
これからオクラと長芋を炊いて野菜の惣菜を作ろう。
今日はバタバタして過ぎていく。
明日から3日間支度、しかし記事が4本もたまっている。
明日から記事書きに追われていく。
今日はこのへんで。朝方、南港を歩いていると春の息吹を感じた。もうそこまで春が来ている。しかし夕方になると寒くなっている。
春はまだなのかと首をかしげている。
昔、小柳ルミ子の歌で「春のおとずれ」という歌があった。
「春のなぎさをあなたとゆくの---」
若いときいったい誰と歩くのか。
夫でもない。あの人でもない。この人でもない。
迷い悩んでいるうちにとうとう年齢は60歳近くになったとき、1番気の使わない夫といる時間が落ち着くと思えるようになった。
それから5年過ぎてなおさらそう思う。そして健康であることが1番の願いと思っている。
あんなときこんなときと迷い悩んだ頃、輝いて活動していたけれどいつも何か胸の中でつかえるものがあった。60歳近くになってストーンとつきものが落ちるようにそんな悩み多かった40代の気持ちがなくなってしまった。
年齢を重ねることはこんなことだったのかとやっと何も思わない気楽な気持ちになれることの大事さがやっと分かった。
男性仲間と会っても何も思わないで話しができる。こんな日々の暮らしができることに年齢を重ねてきてようやく自分の身に備わってきた。
とても気楽な気持ちで男性たちと会える。穏やかで暮らせることに感謝している自分がいる。もう5時半です。今日はこのへんで。
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