goo blog サービス終了のお知らせ 

鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

今日は晴れている。

2008-06-01 08:27:59 | 直言!
そんな風にテレビの気象予報では言っていた。
昨日はどんよりした雲だった。近鉄奈良駅から京都特急を乗ったのは11時5分だった。30代の女性2人(主婦だと思う)がスターバックスのコーヒーを持ってのってきた。このコーヒーの匂いの強烈さでまわりに迷惑をかかることにまったく気がついていない。自己中心の女性たちばかりである。
私の前の座席に座った。
座るなりギヤハハハ、と笑い声も大きく話し声も大きい。
コーヒーの匂いは我慢するとしてもこの大きい声で京都まで話されるとかなわんなと思ってギャハハの笑う声にうんざりして前の女性に「やかましい」と一言言って知らん顔した。
そしたら女性2人はとたんに静かになって小さな声で京都駅まで話して行ってくれた。言わないと気がつかないのだろうか。

今、京都駅は改装中、トイレは近鉄京都駅にあるが電車を降りて後方にいかないといけない。改札口を出ても遠いと考えて列車内のトイレを使うことにした。
そしたら直ぐ通路の横の金具に太ももがあたった。あたったときは大分痛かった。あたったところの座席を見ると座席の横についている簡易テーブルを出してその上に頭をのせてうつぶしているためその蓋が開いたままである。蓋の角にあてた。本来簡易テーブルは食べ物を置いて食べるもので頭を乗せて寝るのもではない。
横を見ると若い女性のようだったがとりあえずそのままトイレに行った。
トイレであたった太ももを見ると赤くなっている。これが薄いスカートだったらもっと傷をしている。
小さい子どもの目線のたけ、目に当たったらと思うとぞっとした。
今もそのところが押さえると痛い。
席にもどっていくときその席の若い女性はテーブルにまだ頭を乗せたまま寝ているその光景はなんともだらしがない。
この若い女性の普通のことが分からないのだろうか。もし子どもだったら事故になっていると考えて私は戻るときに「こんなもんここに出したままなので私が膝にあたって赤くはれている。こんなもの中にしまって下さい」といったが一瞬顔を上げたがまたうつぶして寝ていた。
この女性たちがやがて結婚して子育てをしていく。
自分だけのことしか分からない。そして子どもが事故になって相手のせいにして損害賠償だとか何かと騒ぐ。日頃、こんなことすればどうなるかと考えていくと簡易テーブルに頭を乗せて寝ないだろう。
近鉄電車さんも若い女性の注意散漫に今後のあり方を考えなければならないだろう。
あたったところを押さえるとまだ痛い。

それまで気分よく車窓の田園を少し見ていた。
どんよりしている曇空 だが水田には水が入れられ田植えの準備また田植えしているところもあった。電車の窓から写真をとるが電柱が窓の向こうに飛んでいく。電柱が入っても仕方がないと思っていたが入らなかった。
曇空だが木津川を越えるまでの京都府相楽郡精華町の田園風景である。
やはり生まれて暮らした相楽郡の景色が懐かしい。今は相楽郡の1部は木津川市になった。市になることを夢見て生徒たちの前で何度も話していた高校教師がいた。人文地理の教師だったが伊賀上野から木津まで通勤をしていて伊賀上野から急行(急行券が別料金)に乗って奈良にでて奈良からまた1区間後戻りして木津駅で降りていた。
午後の昼下がり、そろそろ居眠りが出てくる頃にこんな話をしてくれた。
「市になれば急行が止まる。何も奈良まで行って後戻りすることはない。木津駅の駅長に急行を止めて欲しいと話してきた。木津駅は大阪の長尾に行く始発駅で関西線の他に京都・奈良間の線もあるから急行を止めてもいいものだ」と。そしたら「木津市になったら止まると言った。人口5万人になったら市になる。必ず将来は人口5万人になって市になる」と力説していた。
その話を聞いている生徒たち、田舎の田舎に住んでいる自分たちの町が市になるとことが想像できない。周りは山々に田んぼ、日常の物は木津で買えるが本にしても奈良に行かないとないものがあった。映画館も奈良の方がたくさんあった。木津は1軒しかなかった。この映画館も寂れてやがて閉鎖されていくということも知っていた。
都会の風は唯一、国道24号線を走る京都・奈良間の観光バスだった。
そんな田舎が市になるとは想像できなかった。
誰かが言う。
「そんな市になれへんわ」
そしたら教師は「必ずなる」と力説していた。
それが木津・長尾間は宝塚まで線が延びた。大阪の都心部に近くなった。関西線は大和路快速になって何本も大阪梅田まで乗り入れている。
奈良線も宇治にも急行で止まるようになった。
高校教師の力説から紆余曲折40数年、山田川に木津川台ができて人口が増加して5万都市になった。そして昨年3月、木津町は山城町と加茂町と合併して木津川市になり高台の駅は階段しかなかったのに改装されてエスカレターにエレベーターもついている最新式の駅に生まれ変わった。
(1953年8月15日未明<昭和28年>の山城水害で木津川が氾濫寸前になり水が町に流れるまでにこの高台の駅に逃げようと町のものは夜寝ないで外にでて夜を明かしたことがあった。水が引いてくれて氾濫せずに助かった。そんな記憶もよみがえってくる)
高校教師の思いが通じたのか。先見の目があったのか。
木津川市になった。精華町はやがて人口が増えていくだろう。いつか精華町だけで市になるだろう。
車窓から見える田園風景に高校教師の「木津川市になる」と熱弁を振るった授業を思い出していた。

1枚、精華町の水田の写真を入れておきます。どんより曇った空の下の水田風景です。





コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 今日はすごい女の子がいた。 | トップ | 今日は雨が降りそう。 »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Unknown)
2008-06-03 11:27:27
自分の注意が散漫だったんじゃないの?
ちゃんと前見て歩かないと危ないですよ。
返信する

コメントを投稿

直言!」カテゴリの最新記事