この景色は残念ながら近鉄奈良線では見当たらない。ほとんどと住宅、住宅で埋め尽くされている。かろうじて生駒山麓の新芽の木々ら新しい命を感じ取るぐらいである。
それが近鉄京都線は学研都市開発でほとんど宅地化にされる予定であっても各駅の周辺にもたくさん田園風景が残っている。
田んぼを耕して水をはられたところにいつのまにか田植えが終わっている。きちんと整然と植えられた苗は10センチほど水面から出している。これが整然としている。たぶん機械で植えられたものだろう。
草取りも機械がするので人間はただ機械を動かすだけで昔のように腰を屈めて草取りもしなくなった。
整然と並んだ田んぼにまた整然と苗が植えられ後は雨と太陽の恵みを受けて苗はどんどん育っていく。8月あたりになるとしっかりと根の張った稲になりつつある。真夏の太陽を照りつける中も稲に成長するために青々と勢いよく伸びている。
けれど私は植え始めの田植えのこの時期の田んぼの風景が好きで車窓から思わず田んぼの風景が見える大久保駅あたりまで見ている。しばらく住宅街が続くが小倉駅を過ぎるとまた少し田んぼが広がる。この光景にまだまだ日本は広いと思ってしまう。桃山御陵前にくるともうここからは住宅街で田んぼの景色が見えなくなる。
電車は精華町の新祝園(しんほうそうの)、狛田(こまだ)、興戸(こうど)あたりはまだまだ田舎の風景が残っている。
ここを興戸にある同志社大学のキヤンバスに通う大学生が何人か連れ立った田舎の道、田んぼと田んぼの間を自転車で走っている。
ふと自分の中学生や高校のころに重なってしまう。
今は木津の町は住宅や工場などが建ち田んぼの風景は駅の周辺からなくなった。JR木津駅の東側にはまだ小高い山があって山麓にまだ田んぼがたくさん残っているがほとんど田んぼは町の中からなくなってしまった。
私の子どものころは田んぼばかりでこの田んぼの間の道を自転車でよく走ったものだ。そのときの都会は国道24号線を走る修学旅行の観光バスだけだった。その何台も続く観光バスに都会を思い憧れたものだった。
そんな光景を思い出す彼らたちの自転車通学風景である。
そしてその両脇には植えられたばかりの苗が水面から顔を出して6月の田植えの風景を作っている。田舎だから見られる風景である。
農業する人の優しくも大変な仕事の様子が目に浮かんでくる。
結婚して15年は田んぼや古墳群のある佐紀町で暮らした。奈良市内の町の真ん中に引越しをして20数年になる。田んぼの景色はみることが少なくなった。それでも田んぼの田植えの景色にふれるとここちよい気分になる。
やがて7月になると苗はいっそう伸びていて水面がだんだん見えなくなるほど稲に育ち始める。
ほんのいっときの田植えの風景に先日、京都に続けて2日言ったがこの風情のある田植えに車窓から見入っていた。
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