10時半過ぎてからだったのだろうか。
テレビにニュース速報のテロップが流れた。
そのほんの少し前に携帯電話がなった。
携帯で話をしながらニユース速報のテロップを見るとサリン事件で逃走していた容疑者の身柄を確保したという。
携帯電話を切って早い昼食の支度をしながらテレビのニユースを見ることにした。やはりNHKが11時からこのニュースを取り上げた。
身柄を拘束された現場が騒然となっていた。
その場所は東京都大田区蒲田、なつかしい言葉が聞こえてくる。
私の青春が甦ってくる。
高校時代から20歳ぐらいまで長いこと文通していた人の近くだった。
手紙には「蒲田」「川崎」の言葉をよく目にした。
残念ながら日本人男性でそれに親戚が会社経営をしているというそれなりのぼんぼんだった。結婚を考えたところでどうすることもできない。
いつのまに疎遠になっていた。
けれど私の心の中ではずっと残っていた。
関西で2度あったのだろうか。
しかしずっと引きずっているわけにはいかなかった。
彼が結婚したと聞いてそれっきりになった。
私は長いこと忘れていることなのに今日のニュースの中で蒲田という言葉が多く使われている。若き青春の記憶が甦ってきた。
1度、JR鶴橋駅ホームで見た。
8・9年前になるだろうか。
JR環状線、大阪から乗って私は鶴橋で降りた。降りようと思ったら目の前の男性が私を見て微笑んでいる。私はどこかで見た人だなあと思ったが仕事の中で見た人なのかもしれないと思って深く気にもとめないで降りた。
降りて立ち止まって考えていた。
ドアがしまったとたんに思い出した。
彼だった。
電車は発車していた。
追いかけていくほどもう情熱もなかったが私の顔を見て微笑んでいたあの顔は今もふとしたときに思い出す。まだ会社は定年退職間際ギリギリのところだっただろう。東京都大田区に本社のある会社だが全国に工場や支店がある。
若い時は新幹線が開通すると出張で関西によく来ていた。
そんなこともあったので出張で来ていたのだろう。
奈良県内にも出張所があった。
奈良に来られたのだろうかと何日間は気になっていたが日々の生活に追われて私の記憶から離れていった。
そして今日のニュースに蒲田がしきりにでてくる。
ふとどうしているのだろうか。
手紙によく出た多摩川もテレビの中で使われている。
私の青春の1ページ、このことはあんまり誰にも話さず心に封印してきたが今日のニユースでずっと心の中にあったものがこのブログで書いている。
彼は1970年代半ばからコンピューターを使って会社の経営管理をしていた。
たぶん今もコンピュターは生活の必需品になっているだろう。
私の本名も知っていた。
どこかでこのブログを開いているかもしれないとかすかなことを思いながらも人にこの話をしてこなかった。
青春の秘密を少しだけ吐露してしまった。
私と同じ年、元気でおられると思っている。
会いたいとは思っても会うものではないと考えて心の中で彼のことは封印してきた。つい蒲田、京浜急行蒲田駅の言葉に懐かしく思い出している。思い出は苦しいことも美化されていく。
4時です。夕食の支度です。
テレビにニュース速報のテロップが流れた。
そのほんの少し前に携帯電話がなった。
携帯で話をしながらニユース速報のテロップを見るとサリン事件で逃走していた容疑者の身柄を確保したという。
携帯電話を切って早い昼食の支度をしながらテレビのニユースを見ることにした。やはりNHKが11時からこのニュースを取り上げた。
身柄を拘束された現場が騒然となっていた。
その場所は東京都大田区蒲田、なつかしい言葉が聞こえてくる。
私の青春が甦ってくる。
高校時代から20歳ぐらいまで長いこと文通していた人の近くだった。
手紙には「蒲田」「川崎」の言葉をよく目にした。
残念ながら日本人男性でそれに親戚が会社経営をしているというそれなりのぼんぼんだった。結婚を考えたところでどうすることもできない。
いつのまに疎遠になっていた。
けれど私の心の中ではずっと残っていた。
関西で2度あったのだろうか。
しかしずっと引きずっているわけにはいかなかった。
彼が結婚したと聞いてそれっきりになった。
私は長いこと忘れていることなのに今日のニュースの中で蒲田という言葉が多く使われている。若き青春の記憶が甦ってきた。
1度、JR鶴橋駅ホームで見た。
8・9年前になるだろうか。
JR環状線、大阪から乗って私は鶴橋で降りた。降りようと思ったら目の前の男性が私を見て微笑んでいる。私はどこかで見た人だなあと思ったが仕事の中で見た人なのかもしれないと思って深く気にもとめないで降りた。
降りて立ち止まって考えていた。
ドアがしまったとたんに思い出した。
彼だった。
電車は発車していた。
追いかけていくほどもう情熱もなかったが私の顔を見て微笑んでいたあの顔は今もふとしたときに思い出す。まだ会社は定年退職間際ギリギリのところだっただろう。東京都大田区に本社のある会社だが全国に工場や支店がある。
若い時は新幹線が開通すると出張で関西によく来ていた。
そんなこともあったので出張で来ていたのだろう。
奈良県内にも出張所があった。
奈良に来られたのだろうかと何日間は気になっていたが日々の生活に追われて私の記憶から離れていった。
そして今日のニュースに蒲田がしきりにでてくる。
ふとどうしているのだろうか。
手紙によく出た多摩川もテレビの中で使われている。
私の青春の1ページ、このことはあんまり誰にも話さず心に封印してきたが今日のニユースでずっと心の中にあったものがこのブログで書いている。
彼は1970年代半ばからコンピューターを使って会社の経営管理をしていた。
たぶん今もコンピュターは生活の必需品になっているだろう。
私の本名も知っていた。
どこかでこのブログを開いているかもしれないとかすかなことを思いながらも人にこの話をしてこなかった。
青春の秘密を少しだけ吐露してしまった。
私と同じ年、元気でおられると思っている。
会いたいとは思っても会うものではないと考えて心の中で彼のことは封印してきた。つい蒲田、京浜急行蒲田駅の言葉に懐かしく思い出している。思い出は苦しいことも美化されていく。
4時です。夕食の支度です。
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