鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

昨日は奈良新聞の政財界や文化人の集まりの会合があった。

2007-01-17 08:01:41 | 直言!
長く続いている会合である。和やかな会合である。
私は文化人でもなんでもないが、かつてここの投稿欄であるペングループの創設者の1人である。
また関連企業の雑誌記者をしていた。そして奈良県内に住む在日韓国人の新聞記者ということもあってこの会合に参加している。
私にとっては大事な場所である。仕事の中はほとんど在日同胞の中が多い。
しかし私自信の暮らしは日本人の中で生活している。
共生ということでバランス感覚を養う大切な場所である。かつての先輩たちの中で先輩、後輩という間柄も私にとっては大切なものである。
この中で自分の立場を見極めて静かに参加することの大切さも私自身の学習の場でもある。

昨日は市内の料亭で(財)日本サッカー協会会長の釜本那茂さんが会合の講演の講師に招かれた。サッカー選手としての体験そして育成した現在のサッカー選手。アマチュア時代と93年からプロになったサッカーの組織、そして現在の選手の様子などが話された。
大変わかり易かった。
私が1番興味を引いたのが母親は奈良県桜井市、父親は葛城郡の出身だという。
本人は京都で育った。そして1944年生まれ、私と同世代である。しかも山城高校である。私は京都府の南の端、木津高校で親近感が沸いた。
当時、京都府の高校野球の地方大会ではけっこう山城高校は強かった。木津高校は最下位の弱い学校だった。
しかし都市にいても郡部にいても府内の高校の名前ぐらいは知っていた。
この会場ではよほどでないかぎり後部の方で静かにして懇親会も後部で知人と話している。名刺を出して目立つようなことをしない。それが昨日は同世代ということと府立高校出身ということに親近感がわいて懇親会の前、会場に入られるところで私は名刺交換をした。
思わず「本名で仕事しています」と言って名刺を出した。
懇親会のときが参加者と一緒に和やかに談笑しておられたが私は後部の方で知人と話していた。あっという間に2時前になった。釜本さんが退席されたので私もあわてて会場を出て行った。
料亭の玄関前に来ると2時、待ち合わせをしている女友達との約束の時間は2時、携帯で電話を入れてこれから歩いてそこまで行くから10分ぐらい遅れると言った。ちょうど10分遅れた。

釜本さんのサッカー時代の体験を通しての講演は大変わかり易かった。
「熱いハートを燃やせ」は私たちの世代が生きてきた熱いものを求めて生きた世代のそのままの言葉だった。希望と夢と挫折を繰り返しても這い上がってきた世代の生き方が垣間みることができた。
現在の学校現場でなんらかに生かせることもできる内容だった。
現在、京都の大学で客員教授をしておられる。
現代っ子に対する不安を直接、教壇で指摘されている。これは未来の日本
そして世界を背負っていく子どもの指導で大切なことである。
研究に励んでいる学者さんに申し訳ないが、選手時代、自己の体を張って生きてこられた体験談は大変わかり易かった。
私はスポーツ音痴でサッカーのことは何もしらなかったが話しの中に私は吸い込まれていった・
今朝の奈良新聞に大きく1面に昨日の講演会の様子が記事で掲載されていたのでこのブログにあえて新聞社名と釜本さんの名前を出した。
またどこかの学校などで講演されることを期待している。
子どもたちに伝わるものがある。大人たちにも伝わるものがあったから。
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