もうすぐ小学校の同窓会が来る。
私は小学校では会話のできないおとなしい子どもだった。教室でもどこにいるのか分からない子どもだった。
それが高校になってからまわりに存在感があるようになった。
そんな会話は得意ではなかった。
私に話しかけてくれる人がいると会話のできた。
今後ろで聞こえる。
嘘や、そんな考えられへん。
それが会話は今も上手くできない。
だから絶対に喧嘩ができない。
言われると返す言葉がでてこないので夫に言われている。
電車の中で化粧している女を見ても注意するなと。あんな人の言葉に絡まれたらお前は会話が返せないという。
そんな子ども時代を過ごした私、小学校の同窓会に言ってもほとんど会話をしていないので何を話していいのかわからないのでいつも黙っている。
高校時代の知り合いがいると話もできるがほとんど話せないのでだまって人の話しを聞いている。
1昨年の還暦を迎えたときの同窓会の席だった。
誰かが突然に言った。
「ヒラカワさん。継母やろ」という。
そうか、みんなずっとそんなふうに思ってきたのか。それともそのへんがはっきり分からないのでむずむずしていたのだろうか。
そして私は言った。
「継母と違う。13歳離れてやっと弟ができて1番上の私は母親にこき使われていたんや。妹は体弱いし私が1人で家のことしてきたけどほんまの母親。私を18歳で産んだからものすごく母親にこき使われた」
と、話したら同窓会の会場は爆笑になった。
ほんま。在日の1世の母親は人使いが荒かった。
朝学校に行く前に縁側を拭いていくようにとか---。
それに夕方学校から帰ると、私は廃品回収業の商いをしている母親のところら弟を引き取りに言って自宅に連れて帰って、子守をしながら家事をした。
夕方、弟を負ぶって外に七輪を出して魚をよく焼いていた。
こんな光景に継母の子どもに見えたのだろう。
それが母親は私の親です。
近年、親戚に言われる。
「だんだん母親に似てきたわ」
そのたびに娘をこき使った母親を思い出して「そんな母親に似るなんていややからそんなこといわんといて」と言葉を返している。
さて、これから家の掃除をしよう。
私は小学校では会話のできないおとなしい子どもだった。教室でもどこにいるのか分からない子どもだった。
それが高校になってからまわりに存在感があるようになった。
そんな会話は得意ではなかった。
私に話しかけてくれる人がいると会話のできた。
今後ろで聞こえる。
嘘や、そんな考えられへん。
それが会話は今も上手くできない。
だから絶対に喧嘩ができない。
言われると返す言葉がでてこないので夫に言われている。
電車の中で化粧している女を見ても注意するなと。あんな人の言葉に絡まれたらお前は会話が返せないという。
そんな子ども時代を過ごした私、小学校の同窓会に言ってもほとんど会話をしていないので何を話していいのかわからないのでいつも黙っている。
高校時代の知り合いがいると話もできるがほとんど話せないのでだまって人の話しを聞いている。
1昨年の還暦を迎えたときの同窓会の席だった。
誰かが突然に言った。
「ヒラカワさん。継母やろ」という。
そうか、みんなずっとそんなふうに思ってきたのか。それともそのへんがはっきり分からないのでむずむずしていたのだろうか。
そして私は言った。
「継母と違う。13歳離れてやっと弟ができて1番上の私は母親にこき使われていたんや。妹は体弱いし私が1人で家のことしてきたけどほんまの母親。私を18歳で産んだからものすごく母親にこき使われた」
と、話したら同窓会の会場は爆笑になった。
ほんま。在日の1世の母親は人使いが荒かった。
朝学校に行く前に縁側を拭いていくようにとか---。
それに夕方学校から帰ると、私は廃品回収業の商いをしている母親のところら弟を引き取りに言って自宅に連れて帰って、子守をしながら家事をした。
夕方、弟を負ぶって外に七輪を出して魚をよく焼いていた。
こんな光景に継母の子どもに見えたのだろう。
それが母親は私の親です。
近年、親戚に言われる。
「だんだん母親に似てきたわ」
そのたびに娘をこき使った母親を思い出して「そんな母親に似るなんていややからそんなこといわんといて」と言葉を返している。
さて、これから家の掃除をしよう。
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