鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

朝からまたバタバタしている。

2008-11-20 10:17:53 | 直言!
午後2時半の約束だがまた行くまでにすることが多い。
朝から「電車の中--」1本を作ってセットアップ、そして韓国の知人に送る物があってA4版1枚の手紙をパソコンで入力した。
そしてメールの送受信をしてやっと今日のブログのパソコン入力、また今日も自宅に戻るのが夕方になる。
バタバタと忙しい。
空は晴れているが外の風が冷たいようだ。
暖かくしていかないと風邪を引きそうだ。
今日は夫が早く帰ってくるだろう。
なぜかしら。テレビ番組、魔法のレストランが好きで早く帰ってくる。私から見れば食い意地をはった夫の好きな番組と思っている。
夫はいいわけをする。女優の水野真紀さんが好きで見ているという。
私は別に好きでも嫌いでもないのに-----。
寒くなった。
昨日からエアコンの暖房を入れるようになった。
パソコンに座っていると肌寒く感じるので暖房を入れてしまう。
もっと寒くなるとこの暖房よりストーブの方があったかいのでストーブを入れるがほんの少しの間の暖房である。
外では風が泣いているような吹き方、寒いのかもしれない。
何を書こうかと迷っているともう9時50分--。

思い出した。
昭和30年代に年金関係者が事件に巻き込まれている。
昨日・今日のニユースのあらましを見ていると当時の関係者は外国籍の在日韓国・朝鮮籍を排除した年金制度を作っていったのだろうかと疑問に思いながらテレビを見ていた。
1世のあるハルモニ(おばあさん)が話していた。
「年金が入れるようなって1ヶ月の年金が3万円といわれてそんなの払えるわけがなかった」
この払えない時期、どうして在日コリアンは経過措置として日本政府が補償しなかったのか。当時の関係者の在日コリアンに対する差別が見え隠れする。
それでも1世は日本に来て苛酷な苦労、人生の辛酸をなめてきたので泣き寝入りしていた。
しかし3世たちは大学を出てそれなりの知識を積んできた。これはおかしいということで「高齢者無年金訴訟」として裁判をして訴訟を起こしている。それでも情もなにもなく冷たく却下されて敗訴になっている。
沖縄の返還後は沖縄県民には年金の経過措置をとり中国残留孤児の帰国者も経過措置を取って日本政府がカラ年金を保障した。どうして在日コリアンにはカラ年金が補償できないのかこのへんが日本の政府のあり方がわからない。日本に来なければならなかった日本の植民地支配の影響、歴史的背景に対する補償でカラ年金措置を取ってもいいと普通の人なら誰もがそう思う。

そしてようやく年金の改ざんに日本の世論は言葉を上げ始めた。
どこか歯車が狂っているのだろう。
そう思うと1世たちはよく耐え忍んで生きてきたと今さらながら驚いている。
1世たち、裕福な人はごく一部、ほとんどが今も苦労している。
こんな現実、日本政府は知らない。
事件は深い根があるように思うが素人の私はよく分からない。
ニュースを見ていて年金制度をふりかえって昭和30年代というと1950年代になるのだろうか。日本の敗戦後に審議され始めた。
日本が在日コリアンに対して「外国人とみなす」機構に組み入れあらゆる社会制度や法的地位などかにら排除してきた時代と一致している。
法的地位や社会制度に対して在日コリアンが運動して制度化されたものである。決して日本政府からしてもらったものではない。すべて在日コリアンや日本の市民運動で勝ち取ったものである。
テレビのニュースのコメンテーターが言っていた。
日本の戦前のようなテロ事件と言っている。
この言葉に何が隠されているのか1944年生まれの私には理解できない。
おかしな国、日本になりつつあると指摘していた。

事件の背景に何があるのか。
年金制度がつくられた歴史を振り返る研究材料を仕向けられたような事件。何があるのだろうか。素人の私は見当がつかない。
そろそろ外出の準備、このへんで。
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