何気なしにつけたテレビに「ロマンス娘」の映画が放映されていた。
インターネットで検索すると19560年、東宝製作、ロマンス娘は美空ひばり、江利チエミ、雪村いずみ、宝田明、森繁久弥などで皆若いし綺麗。そして可愛かった。それに東京の街が写しだされている。
高い建物がなく車を走る道も混雑した道路でなく広々とした道をアメリカ製の車が走っている。
なんとも平和な時代の映画、戦争が終わってまだ10年と少ししかたっていないのになんとも人間関係が平和である。画面から見え隠れしている。
製作する人たちは戦争体験者、2度と戦争をしたくないという心意気が画面から溢れていた。3人娘を起用したこの映画はヒットしたそうだが筆者は当時まだ12歳そこらへんだった。小学5・6年あたりだった。ようやく日本社会も戦争の傷あとから立ち直ってやっと衣服もお金さえ出せば買えるようになっていた。小学5年だったと思う。グリーンの半オーバ、ボタンが上に1つあって丸襟のデザインだった。この服が好きで着ていたが1年が過ぎて翌年着ようとしたら母親が嘆いていた。深いグリーンがはげてしまって薄いグリーンになっていた。嘆く母親に布地のデザインの型彫りをしていた父親は母親に「緑色の染料ははげやすい」と言っていた。
子どもごころにこの言葉はずっと記憶に残っていてグリーンの服をみると父親の言葉を思い出したものだった。
映画の最後の場面、たぶん荒川の土手だと思う(当時の撮影はよくここで行われた)自転車は2人乗りで2人がペダルをこぐ自転車、3人娘がそれぞれに男性たちを乗せて走るシーンである。
その映像になおさら製作者の平和を願う気持がこめられていると気がついた。
明るくて人間味あふれた映画、そして最後の場面なのに夢を持たせるような画面だった。ようやく復興期にはいるところの日本のそのものの現風景の憧れだった。
韓国の動乱で日本は軍儒景気になっていた。少し豊かになった日本だったが製作者の「2度と戦争はしてはいけない」という気持が込められていた。
しかし日本に住んでいた在日コリアンは「外国人とみなす」機構の法的地位、不安定な機構にくみこまれていく。そして在日コリアンの北朝鮮の帰国運動が始まっていく。日本が平和を願う気持の裏に在日コリアンの社会は複雑化したのもこのころだった。平和と平和の裏返しを思い日本が戦争を放棄したうれしさが映画の画面画面にあふれていた。
今けっしてこんな映画は作れないだろう。
現在の政治家たち、苦虫を噛み潰した日本の政治家たちどこへ行こうとしているだろうか。
平和を願う気持は強いのに平和と裏返しに日本はどこに向かっていくのだろうか。明るい映画の材料なのにいろいろ考えさせられた。
インターネットで検索すると19560年、東宝製作、ロマンス娘は美空ひばり、江利チエミ、雪村いずみ、宝田明、森繁久弥などで皆若いし綺麗。そして可愛かった。それに東京の街が写しだされている。
高い建物がなく車を走る道も混雑した道路でなく広々とした道をアメリカ製の車が走っている。
なんとも平和な時代の映画、戦争が終わってまだ10年と少ししかたっていないのになんとも人間関係が平和である。画面から見え隠れしている。
製作する人たちは戦争体験者、2度と戦争をしたくないという心意気が画面から溢れていた。3人娘を起用したこの映画はヒットしたそうだが筆者は当時まだ12歳そこらへんだった。小学5・6年あたりだった。ようやく日本社会も戦争の傷あとから立ち直ってやっと衣服もお金さえ出せば買えるようになっていた。小学5年だったと思う。グリーンの半オーバ、ボタンが上に1つあって丸襟のデザインだった。この服が好きで着ていたが1年が過ぎて翌年着ようとしたら母親が嘆いていた。深いグリーンがはげてしまって薄いグリーンになっていた。嘆く母親に布地のデザインの型彫りをしていた父親は母親に「緑色の染料ははげやすい」と言っていた。
子どもごころにこの言葉はずっと記憶に残っていてグリーンの服をみると父親の言葉を思い出したものだった。
映画の最後の場面、たぶん荒川の土手だと思う(当時の撮影はよくここで行われた)自転車は2人乗りで2人がペダルをこぐ自転車、3人娘がそれぞれに男性たちを乗せて走るシーンである。
その映像になおさら製作者の平和を願う気持がこめられていると気がついた。
明るくて人間味あふれた映画、そして最後の場面なのに夢を持たせるような画面だった。ようやく復興期にはいるところの日本のそのものの現風景の憧れだった。
韓国の動乱で日本は軍儒景気になっていた。少し豊かになった日本だったが製作者の「2度と戦争はしてはいけない」という気持が込められていた。
しかし日本に住んでいた在日コリアンは「外国人とみなす」機構の法的地位、不安定な機構にくみこまれていく。そして在日コリアンの北朝鮮の帰国運動が始まっていく。日本が平和を願う気持の裏に在日コリアンの社会は複雑化したのもこのころだった。平和と平和の裏返しを思い日本が戦争を放棄したうれしさが映画の画面画面にあふれていた。
今けっしてこんな映画は作れないだろう。
現在の政治家たち、苦虫を噛み潰した日本の政治家たちどこへ行こうとしているだろうか。
平和を願う気持は強いのに平和と裏返しに日本はどこに向かっていくのだろうか。明るい映画の材料なのにいろいろ考えさせられた。
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