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鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

便利になったものです。

2006-06-18 19:41:11 | 直言!
私は1年に1・2度、サツマイモが食べたくなると2個ほど美味しいサツマイモを買ってきて1人で電子レンジでチンをして食べているので昔とちがって簡単にたべられることを知っている。
それが夫がいる今日初めて作って夫にだしたらびつくりしている。
夫の頭の中は私と同じように昔のサツマイモの蒸し方が頭の中に残っている。
昔はおくどさんと言ってかまどがあった。さつまいもをたくさん洗って両端を切って釜の中にいれる。少し水を釜の底にいれてかまどを薪で燃やしつける。30分ぐらいそうしている。カンで釜の蓋を開けてサツマイモに箸をつきさしてやわらかくなっているか確認して火を消すことができる。この後の消し炭も大事なもので消し炭壷にジュウノで救って入れて蓋をしておくとまたこの消し炭はカンテキコンロに火をおこすときに使って火をおこしてここで煮炊きものをした。
これが私が高校時代までの生活だった。高校3年になつたころだっただろうか。家にプロパンガスが入ってガスコンロがきたときは本当にうれしかった。こんな便利なものがあった。すでに向かいの家では使っておられて2台置いてあった。マッチで火をつけるとすっと1度に炎がでてすぐに煮炊きものができた。うらやましかった
そのうらやましかったガスコンロが我が家にやってきた。
そしてその後のサツマイモの蒸しは蒸し器になった。蒸し器の下に水を入れて上の段に並べた。
子どものころ母親は腹をすかさないようにとご飯だけでなく学校から帰るとおやつの代わりにサツマイモが蒸しておいてあった。
だからお腹をすかせた経験はないがサツマイモは大人になって嫌いになった。
長い間サツマイモから遠ざかっていた。
それが近年、紫色の色艶のいいサツマイモを見ると1・2個買ってきて電子レンジでサツマイモを蒸す簡単な方法も覚えた。
おくどさんがあってかまどでご飯を炊いていた時代のことはどほど記憶にのこっているのだろうか。
そんな時代に私は育った。
だから頭の上の計算をして見えない数字を並べてああだ。こうだと理論されても形のないものには信憑性がないという概念で育ったのでとても理解できない。
形にあるものが目にみえてくると信頼もするが頭の構築は昔から言われているように舌先三寸でほら吹きの代名詞、ふろしきでこれが大きくなると一反風呂敷の人といってまったく信用のない形容詞である。
そんな人たちが今日の政治・経済に関与している。
これを知的財産・頭脳明晰とおごりをしてもらっては困る。それは専門職の人に理解できるもので一般のものには絵に描いた餅の論理にしか聞こえてこない。
だからわかりやすく説明していただきたい。
日銀総裁も現首相も日本の戦後、何もない敗戦国からはいあがってきた時代をしているはずである。
信憑性まのある論理は希望の見える分かりやすい解説をしてもらいたいものである
サツマイモを食べた敗戦の日本、あのころは貧しかったが夢があった。夢は必ず自分にもくると信じていた。だからみんな必死で働いた。
あの時代の夢をもう一度もたちくて中高年はめげずに日本の国家を信頼している。
石原慎太郎知事は時々外国籍住民に対して物議をかもし出すことをいうので好きになれないが、石原慎太郎知事の書いた小説「太陽の季節」は敗戦国日本の夢の原動力になった。あの時代のエネルギーを取り戻したい。それにはまずリーダーシップをとる人が真摯な心意気が望まれる。
政治はミュージカルでも劇場でもない。一国の国を担い背中には多くの人の夢が希望がかかっていること知ってもらいたい。
自分のための政治ではない。利己的をしてはいけない。
この5年間はエゴ的に政治にふりまわされた。
素朴な味のサツマイモに今日はまたそんなことを考えた。
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