鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

今日はクリスマスイブでした。「メリークリスマス」

2006-12-24 19:36:36 | 直言!
子育てをしているころは財布の中が乏しくても24日か25日にケーキーを買ってきて食卓に並べた。
子どもが大学進学で沖縄に行ってからは夫婦2人の生活になった。私は仕事が猛烈に忙しくなって家庭を顧みなかったのが1987年から95年まで約8年、この時期はいくつか忘年会も入って夜もいつも遅かった。
ケーキーのことなんか心の中になかった。
忘年会もほとんど仕事のつながりで遅く自宅にもどると必ず夫は「ケーキー」を買ってきたかと言った。
ほったらかしにされている夫のいたたまれない言葉だったと今はそう思っている。
「ケーキーなんかない」と言ったら「そうか」とさぴしそうにしているときもあれば「なんでケーキーを買ってこなかったんや」と文句をいうときもあった。
それからまだ2・3年、忙しく働いたが忘年会など夜でることに私自身が躊躇するようになったことから、ようやくこの時期に仕事が終えて自宅にいるようになったのが55歳過ぎてからである。
時間にゆとりができてから円い大きいケーキーは2人では食べきれないので小さなショートケーキを2個買ってきて夫婦でメリークリスマスをするようになった。
そして今年、私がケーキーのことすっかり忘れていた。
今日、夫がスーパーに買い物に行ったときにお菓子屋さんをのぞいたがケーキーがなかったと言って帰ってきた。
それで私は「それは近鉄奈良駅の店に行かないとないわ」と言った。
22日はその前の店を通っているのにまったくケーキーのことに気がつかなかった。
明日は近鉄奈良駅に行く用事があるので明日は買ってこよう。
パソコンが起動しているので心配事が1つなくなったので明日は買ってこよう。
クリスマスのケーキーの頃になると子育てをしていたころのクリスマスの過ごしていたわが家族、そして夫婦2人暮らしになって私の40代から50代の初めまで猛烈に家庭を顧みないで仕事をした頃のクリスマスを思い出してしまう。
夫にずいぶんさびしい思いをさせてきたと年を重ねてきてようやく気がついた。
また当時そうしなければ書くということで自分を作ることができなかった。
自分のために動いていたように思う。
40代、50代は自分の存在のために必死で働いた。また息子の下宿代の仕送りのために必死に働いた。
私が息子にやってやれることは教育をつけてやるしかない。
財産も何もない。教育をつければ後は自分で考えて人生を切り開いていくだろう。それのみを信じて必死になって大阪・京都・神戸の現場をかけずりまわった。
ようやく50代の半ばで少しゆとりがでてきた。もちろんなにもかも生活は目減りしたがこれからの私たち夫婦にとってこれでよいと思った。
しかし必要とされているあいだ現場のあちこちにいけることはありがたいと思っている。
私の女友達は私より3歳年上、塾講師をしているが彼女も塾ではなくてはならない存在である。コーヒーを飲みながら「お互いに必要とされるあいだはがんばろうね」と話している。

そうだった。今日はクリスマスイブである。
今年のクリスマスは暖かい。若い人たちは外でクリスマスイブを楽しんでいるだろう。家族連れは外食をたのしんでいるだろう。
うちの夫婦は普段と変わらない。さきほど夫は眠たいと言って5時半ごろ早々戸寝てしまった。

「メリークリスマス」からは縁が遠い我が家、今年も穏やかに平凡に迎えたクリスマスである。
普通の日を過ごしている私はふと猛烈に駆け回ったころの自分とさびしくしていた夫を思い出している。私もかつては家庭を顧みないで仕事オンリーになったときがあった。こんなことをふと思い出している。
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