娘がいるとこんなことだったのかと何度もかみしめている。
先日、親しくしている在日韓国人3世の女性に初の子どもができたのでお祝い金を送った。年齢差の開きがあって現在の若い女性の好みが分からない。
それで半分は自分のものを買う足しに半分は赤ちゃんのものを買う足しにと少しばかりを送った。けっしてお返しはしないようにと念じながら送った。親がきちんと躾よく育てられたので何事もきちんとする女性なので手紙に書くと催促しているように見えるのでそんなことは一言も書かないで心で念じながら送った。
そして着くと直ぐに携帯に電話が入った。
もうこれで十分、これで十分声が聞くことができて嬉しかった。
そして母の日に彼女から宅急便が届いた。
開けるまではまた気を使って半返しをしてきたのかと思っていた。
そして開けると「母の日にあわせての贈物です」と手紙に添えられている。
それは私のことをよく知っている食材の贈り物だった。
忙しくしていると佃煮物の保存食があると助かる。とても助かる。
それも韓国料理がそんなに好きでないこともよく知っているので佃煮のブランドであめる会社の瓶詰めの詰め合わせである。
中には高級醤油1本に雑魚の釜揚げの佃煮、鯛のそぼろ、まぐろのそぼろ、日高昆布の佃煮など6種類、こじんまりした瓶詰め、私の好みをよく知っている。
レストランに行ってもたくさん山盛りにされた盛り付けで食欲をなくすことを彼女は知っている。見掛けによらず食べ物に神経質であることは1年間の付き合いで知ったらしい。
「母の日にあわせて贈りました」の手紙に私は心の中でホロホロと泣いていた。
息子はアルコールの好きな父親の好みは分かっているが母親の好みをまだ知らない。嫁さんは嫁さんで気をつかっているがまだまだ私のことは知らない。
彼女は1年間仕事の現場で一緒になった。
在日韓国人の別の新聞社に1年間いたが元の職場に戻って職場恋愛をして結婚した。彼女は小学生の時、韓国系民族学校に通っていたことから韓国JCが主催する韓国語弁論会に出場して最優秀賞を取ったときに私は本人の感想をとりに取材しているという。取材した本人はすっかり忘れていたが名前で思い出していた。
そして韓国の知人が再度、日本に就任したのが韓国系民族学校の校長だった。この校長のとき彼女は高校3年生だったので1年間、学校のどこかであっている。
彼女は見かけはおとなしそうに見えるがなかなかのリーダシープ性を持っている。
一条校認可校なので日本の文部科学省に合わせて3月に卒業していたがこれが彼女には不満だった。
韓国の大学は3月が新学期で入学式なのである。
韓国からきていた子弟たちは親が日本にいても子どもたちは大学入学のために韓国に帰国する子どももいる。
何年間机を並べたクラスメイトと一緒に卒業式ができない。
そういえば卒業式を取材しても韓国から来ている子弟は卒業式に参席していなかった。
彼女は「教師に2月に卒業式をしてほしい。○○高校(大阪にあるもう1校の韓国系民族学校)は1月の末にしている。変更してもいいのではないか」と抗議した。変えるのに理事長の許可などがいる。日本・韓国の教育にも意見をはからないといけない。そういえば新校長として赴任してきた韓国の知人はが赴任早々の新学期から騒がしいことがあった。私は取材で学校に行き近くの食堂で知人と昼食をしているとき「ちょっと心配事がある」と言われたことがあった。内容は一切いわなかった。このことだったと彼女に聞いてわかることになった。職員会議などを経てようやく卒業式2月に挙行され韓国の帰国組みも一緒に参列できることになった。その突破口にしたのが彼女だった。
弁論大会から長年を経てまた彼女と出会って1年間、現場であうと親しくなった。私と一緒に食事をして奈良にもどるとき「これはお母さんのお土産」と言って少しばかりの菓子折りを渡していた。元の職場に戻ったときに私とあうときは必ず夫の好きな韓国料理を持ってきてくれた。私の家事を少しでも助けるためにとその気の使い方に感心するほどだった。
そしてやがて彼女も20歳半ばになって結婚していった。
結婚すればそれきりになると思ったが彼女はそれをしなかった。きちんと携帯で音信を届けてくれている。
娘がいたらこんなことかなと思いながら携帯のメールをワクワクして開けている。そして今度は母の日に合わせての贈物、それも私の好みをよく知っての贈物の吟味、嬉しいというより胸に熱いものがこみ上げてくる。
少しの間の出会いだったのにこうして気遣ってくれる。娘をもつことはこんなことかなと娘をもたなかった母親の気持が理解できるようである。
大事に夫と一緒に食卓に並べて食べている。
久しぶりに今、この原稿を書いている時に携帯にメールを入れた。電話をかけるのはちょっと気を使う。赤ちゃんが寝ていると悪いと思うのでメールを入れた。
在日韓国人の男性に彼女を紹介したことがあったが大卒の彼は高卒の彼女にこだわった。しかし私は心の中で逃がした魚は大きいと思っていた。口にはださなかったが彼女の人柄を知るとお嫁さんにしたくなる女性だった。
日本人と恋愛して結婚した。
彼女ならやっていけると思っているが本当に大丈夫だろうかと2世の屈折した気持がどこかにあって心配している。
時代は変わった。2世が考えているほどもう日本人家庭もそう屈折していないだろう。彼女ならやれると静かに見守っている。
それしても美味しい食材の目の付け所が心憎い。私のことをよく知っている彼女ならの選び方だった。
ありがとう。ありがとう。ありがとう。
先日、親しくしている在日韓国人3世の女性に初の子どもができたのでお祝い金を送った。年齢差の開きがあって現在の若い女性の好みが分からない。
それで半分は自分のものを買う足しに半分は赤ちゃんのものを買う足しにと少しばかりを送った。けっしてお返しはしないようにと念じながら送った。親がきちんと躾よく育てられたので何事もきちんとする女性なので手紙に書くと催促しているように見えるのでそんなことは一言も書かないで心で念じながら送った。
そして着くと直ぐに携帯に電話が入った。
もうこれで十分、これで十分声が聞くことができて嬉しかった。
そして母の日に彼女から宅急便が届いた。
開けるまではまた気を使って半返しをしてきたのかと思っていた。
そして開けると「母の日にあわせての贈物です」と手紙に添えられている。
それは私のことをよく知っている食材の贈り物だった。
忙しくしていると佃煮物の保存食があると助かる。とても助かる。
それも韓国料理がそんなに好きでないこともよく知っているので佃煮のブランドであめる会社の瓶詰めの詰め合わせである。
中には高級醤油1本に雑魚の釜揚げの佃煮、鯛のそぼろ、まぐろのそぼろ、日高昆布の佃煮など6種類、こじんまりした瓶詰め、私の好みをよく知っている。
レストランに行ってもたくさん山盛りにされた盛り付けで食欲をなくすことを彼女は知っている。見掛けによらず食べ物に神経質であることは1年間の付き合いで知ったらしい。
「母の日にあわせて贈りました」の手紙に私は心の中でホロホロと泣いていた。
息子はアルコールの好きな父親の好みは分かっているが母親の好みをまだ知らない。嫁さんは嫁さんで気をつかっているがまだまだ私のことは知らない。
彼女は1年間仕事の現場で一緒になった。
在日韓国人の別の新聞社に1年間いたが元の職場に戻って職場恋愛をして結婚した。彼女は小学生の時、韓国系民族学校に通っていたことから韓国JCが主催する韓国語弁論会に出場して最優秀賞を取ったときに私は本人の感想をとりに取材しているという。取材した本人はすっかり忘れていたが名前で思い出していた。
そして韓国の知人が再度、日本に就任したのが韓国系民族学校の校長だった。この校長のとき彼女は高校3年生だったので1年間、学校のどこかであっている。
彼女は見かけはおとなしそうに見えるがなかなかのリーダシープ性を持っている。
一条校認可校なので日本の文部科学省に合わせて3月に卒業していたがこれが彼女には不満だった。
韓国の大学は3月が新学期で入学式なのである。
韓国からきていた子弟たちは親が日本にいても子どもたちは大学入学のために韓国に帰国する子どももいる。
何年間机を並べたクラスメイトと一緒に卒業式ができない。
そういえば卒業式を取材しても韓国から来ている子弟は卒業式に参席していなかった。
彼女は「教師に2月に卒業式をしてほしい。○○高校(大阪にあるもう1校の韓国系民族学校)は1月の末にしている。変更してもいいのではないか」と抗議した。変えるのに理事長の許可などがいる。日本・韓国の教育にも意見をはからないといけない。そういえば新校長として赴任してきた韓国の知人はが赴任早々の新学期から騒がしいことがあった。私は取材で学校に行き近くの食堂で知人と昼食をしているとき「ちょっと心配事がある」と言われたことがあった。内容は一切いわなかった。このことだったと彼女に聞いてわかることになった。職員会議などを経てようやく卒業式2月に挙行され韓国の帰国組みも一緒に参列できることになった。その突破口にしたのが彼女だった。
弁論大会から長年を経てまた彼女と出会って1年間、現場であうと親しくなった。私と一緒に食事をして奈良にもどるとき「これはお母さんのお土産」と言って少しばかりの菓子折りを渡していた。元の職場に戻ったときに私とあうときは必ず夫の好きな韓国料理を持ってきてくれた。私の家事を少しでも助けるためにとその気の使い方に感心するほどだった。
そしてやがて彼女も20歳半ばになって結婚していった。
結婚すればそれきりになると思ったが彼女はそれをしなかった。きちんと携帯で音信を届けてくれている。
娘がいたらこんなことかなと思いながら携帯のメールをワクワクして開けている。そして今度は母の日に合わせての贈物、それも私の好みをよく知っての贈物の吟味、嬉しいというより胸に熱いものがこみ上げてくる。
少しの間の出会いだったのにこうして気遣ってくれる。娘をもつことはこんなことかなと娘をもたなかった母親の気持が理解できるようである。
大事に夫と一緒に食卓に並べて食べている。
久しぶりに今、この原稿を書いている時に携帯にメールを入れた。電話をかけるのはちょっと気を使う。赤ちゃんが寝ていると悪いと思うのでメールを入れた。
在日韓国人の男性に彼女を紹介したことがあったが大卒の彼は高卒の彼女にこだわった。しかし私は心の中で逃がした魚は大きいと思っていた。口にはださなかったが彼女の人柄を知るとお嫁さんにしたくなる女性だった。
日本人と恋愛して結婚した。
彼女ならやっていけると思っているが本当に大丈夫だろうかと2世の屈折した気持がどこかにあって心配している。
時代は変わった。2世が考えているほどもう日本人家庭もそう屈折していないだろう。彼女ならやれると静かに見守っている。
それしても美味しい食材の目の付け所が心憎い。私のことをよく知っている彼女ならの選び方だった。
ありがとう。ありがとう。ありがとう。
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