小学生の注意に私の胸が痛んだ。
昨日9日、高槻の高槻現代劇場で行われた「大阪府教員採用選考受験説明会」に取材で行った。
2時半から受付3時開催だが受付はすごい行列1550人の参加者と聞いた。
それで12時半過ぎに近鉄奈良駅から灘波行き急行に乗った。私が電車に乗り込んですぐすると小学生の男の子が乗ってきた。1番後ろの車両で車掌からも見えている。若い女の子の化粧が嫌で優先座席に近い方にすわる。ここでは携帯電話が使えないが化粧をする女性よりましと考えてこのへんに座る。が、この優先座席でどうどうと化粧しているアホがいる。
小学生の男の子は座るとリュックのカバンの中からパンか何かを取り出して食べた。おにぎりにも見えた。おもわず私は席から立って「おにいちゃん、電車の中だから食べ物は食べないで。匂いがこもるから」と言ったらすぐにやめた。
新大宮をすぎると少年の顔がちょっと悲しそうに見えた。ここで私が注意した言葉でこの子に心の闇を作ることになってはいけないと思いだした。そしたら私のほうが悲しくなって胸が痛くなってきた。少年の席に行こうかと一瞬まよったが子どものことは今きちんと話さないといけないと考えて勇気をだして少年の席の隣に座った。
私は少年に「電車の中で食べ物を食べたらあかんよ。大人になっていくのにそういうことも覚えていかないといけないよ」と言うと頷いていた。
そして私は「食べたかったら駅構内で食べてきてから」と言ったら黙っていた。
私はそれから少年のことを聞いた。
これから学園前の学習塾に行き国語、算数、理科など勉強しているという。小学6年で中学受験をめざしている。教育は各家庭の方針があるのでけっして余計なことはいわないようにしている。そして「1時から始まるのね。何時間勉強するの」と聞くと「2時間」と言った。
少し少年の心がほぐれてきたので安心した。
そして少年に「これから家で30分早起きして朝ごはんは家で食べてこようね」と言うと少年は「うん」と頷いていた。
たぶん少年は家で遅くまで寝ていて学習塾の時間にあわてて母親はおにぎりを作ってもたせたのだろう。子どもは母親の言うことはきかない反抗期の年齢にさしかかっている。
でも親として言わなければならないことはまだまた社会人になるまで言い続けなければならない。そのタイミングが親の知恵のだしどころである。やたら言い続けることもよくない。
少年は利発そうな顔をしていた。今の子どもたちと同様こうした普通の常識がどこかでずれている。
少年はここでたぶん電車の中のマナーを1つ覚えてくれるだろう。注意したかいがあったと思う。
私は少年と学園前まで話した。「おばちゃんもこれから大阪の郊外、高槻まで仕事に行くが見たいテレビもあった。阪神の野球もみたいけれどがまんして仕事にいく。だからがまんしなければならないことはたくさんある。おばちゃんは61歳、君のおばあちゃんと同じくらいかな。塾にいくことはいい。勉強は分からないと学校が楽しくなくなるから勉強はしたほうがいい。勉強が分かればまた勉強がしたくなるから勉強はしなさい。けれど遊びもしなさい。遊びも大事だからね」と話すと「遊び」のところは首をふらなかった。
たぶん中学受験のことで頭がいっぱいなのだろう。
このことは親の教育方針があるので何もいわなかった。
それで学園前に近づいたとき「勉強がんばってね」と言ったら「はい」と言ってきちんと礼をして降りて行った。電車をおりても手を振っていた。
少年に話した。「今度、おばちゃん、どこかで見かけたら声をかけてね。おばちゃん年だからすぐ忘れているから声かけてね」と話すと頷いていた。
私の子育てもけっして自慢できるものではないがこうした公衆道徳は日頃の生活の中で話していた。当時の親たちはみんなそうだった。
私の世代は戦後、物のない時代に育ち親は電化製品も何もない。すべて人間の手でしなければ生活できなかったのに1日中動きまわって育ててくれた。
地域も家族も絆があった。
アメリカの占領下におかれた日本、アメリカは日本の精神構造、家族、地域構造に恐怖を感じた。それで農地改革をして地域社会の破壊、大家族は核家族を普及して地域も家族もバラバラにして個人主義を啓発した。
と、何かの本かどこかで読んだ。なるほどそうだと思った。
日本の個人主義はモラルを破壊、拝金主義をあおり経済構築のバブルから格差社会を生み出した。みんな一緒になって日本の経済を構築してきたのにどうして1部分の人だけが楽に生活できてほとんどの一般庶民が今や生活困窮状態に近づいている。
このことを政府関係者はごぞんじだろうか。
そしてモラルも法律も日本のすることを守ってきたのに未だに理解されない在日同胞の法的地位に参政権等等、これは何が原因で達成できないのだろうか。日本国籍をとることはまだまたふっきれない在日同胞の心の傷、日本植道支配の根の深さがあること日本政府は知ってほしい。これを知らないと言って通り抜けられるものではない。
日本経済構築の協力者、在日同胞の半分以上が多額な納税をして日本経済を支えてきた。
なのに、モラルの崩壊は日本国家のモラルの崩壊なのではないかと一抹の不安が走る。
少年に注意したあとその場で言い聞かせて私はほっとした。これをこのままにしておくと私が胃の痛みを持つことになる。子どもは大人の一言でずっと心の闇をもってしまう。
私にもあった。
子どものころ、父の弟の嫁が自分の子どもがかわいいといい、私の家は妹がかわいいのに姉はなんであんな不細工に子どもにうまれたのだろうかと、もう1人の弟の嫁に話していた。その嫁も「そうやな」と言っていた。それを私は立ち聞きしてしまった。中学1年のことだった。このことはずっとずっと私の劣等感になって思い切って誰とも話せなかった。高校に行ってからも顔のコンプレックスは少々不良少女(当時の不良少女は校則を少し違反したぐらい)で目立つことをして友だちの輪を作った。
今もこのことは心に残っていて子どもにはけっして欠点を言わないようにしてきた。
しかし電車のなかで他人に注意された少年はきっと傷ついているかもしれない。そう思うと今、話さないといけないと考えて勇気をだして少年の隣の席に座った。
利発そうな少年、勉強もしっかりしてそして世の中の善悪を学んでいく友人づくりも大切にしてほしいと心中で願っていた。
子育てをしているお母さん。勉強も大事だが子どもと話し合う時間を大切にして下さい。働いていてもたとえ10分でも子どもと話し合って下さい。1ヶ月に1・2度、小学生の間は後ろからぎゅっと抱きしめてあげて下さい。
背中からおかあさんのぬくもりを絶対に感じるはずです。
このぬくもりは成人した子どもでもずっと忘れないはずですから。
母親のぬくもりは子どもたちに何かのときにそこで思い留める効力があると私は信じています。
昨日9日、高槻の高槻現代劇場で行われた「大阪府教員採用選考受験説明会」に取材で行った。
2時半から受付3時開催だが受付はすごい行列1550人の参加者と聞いた。
それで12時半過ぎに近鉄奈良駅から灘波行き急行に乗った。私が電車に乗り込んですぐすると小学生の男の子が乗ってきた。1番後ろの車両で車掌からも見えている。若い女の子の化粧が嫌で優先座席に近い方にすわる。ここでは携帯電話が使えないが化粧をする女性よりましと考えてこのへんに座る。が、この優先座席でどうどうと化粧しているアホがいる。
小学生の男の子は座るとリュックのカバンの中からパンか何かを取り出して食べた。おにぎりにも見えた。おもわず私は席から立って「おにいちゃん、電車の中だから食べ物は食べないで。匂いがこもるから」と言ったらすぐにやめた。
新大宮をすぎると少年の顔がちょっと悲しそうに見えた。ここで私が注意した言葉でこの子に心の闇を作ることになってはいけないと思いだした。そしたら私のほうが悲しくなって胸が痛くなってきた。少年の席に行こうかと一瞬まよったが子どものことは今きちんと話さないといけないと考えて勇気をだして少年の席の隣に座った。
私は少年に「電車の中で食べ物を食べたらあかんよ。大人になっていくのにそういうことも覚えていかないといけないよ」と言うと頷いていた。
そして私は「食べたかったら駅構内で食べてきてから」と言ったら黙っていた。
私はそれから少年のことを聞いた。
これから学園前の学習塾に行き国語、算数、理科など勉強しているという。小学6年で中学受験をめざしている。教育は各家庭の方針があるのでけっして余計なことはいわないようにしている。そして「1時から始まるのね。何時間勉強するの」と聞くと「2時間」と言った。
少し少年の心がほぐれてきたので安心した。
そして少年に「これから家で30分早起きして朝ごはんは家で食べてこようね」と言うと少年は「うん」と頷いていた。
たぶん少年は家で遅くまで寝ていて学習塾の時間にあわてて母親はおにぎりを作ってもたせたのだろう。子どもは母親の言うことはきかない反抗期の年齢にさしかかっている。
でも親として言わなければならないことはまだまた社会人になるまで言い続けなければならない。そのタイミングが親の知恵のだしどころである。やたら言い続けることもよくない。
少年は利発そうな顔をしていた。今の子どもたちと同様こうした普通の常識がどこかでずれている。
少年はここでたぶん電車の中のマナーを1つ覚えてくれるだろう。注意したかいがあったと思う。
私は少年と学園前まで話した。「おばちゃんもこれから大阪の郊外、高槻まで仕事に行くが見たいテレビもあった。阪神の野球もみたいけれどがまんして仕事にいく。だからがまんしなければならないことはたくさんある。おばちゃんは61歳、君のおばあちゃんと同じくらいかな。塾にいくことはいい。勉強は分からないと学校が楽しくなくなるから勉強はしたほうがいい。勉強が分かればまた勉強がしたくなるから勉強はしなさい。けれど遊びもしなさい。遊びも大事だからね」と話すと「遊び」のところは首をふらなかった。
たぶん中学受験のことで頭がいっぱいなのだろう。
このことは親の教育方針があるので何もいわなかった。
それで学園前に近づいたとき「勉強がんばってね」と言ったら「はい」と言ってきちんと礼をして降りて行った。電車をおりても手を振っていた。
少年に話した。「今度、おばちゃん、どこかで見かけたら声をかけてね。おばちゃん年だからすぐ忘れているから声かけてね」と話すと頷いていた。
私の子育てもけっして自慢できるものではないがこうした公衆道徳は日頃の生活の中で話していた。当時の親たちはみんなそうだった。
私の世代は戦後、物のない時代に育ち親は電化製品も何もない。すべて人間の手でしなければ生活できなかったのに1日中動きまわって育ててくれた。
地域も家族も絆があった。
アメリカの占領下におかれた日本、アメリカは日本の精神構造、家族、地域構造に恐怖を感じた。それで農地改革をして地域社会の破壊、大家族は核家族を普及して地域も家族もバラバラにして個人主義を啓発した。
と、何かの本かどこかで読んだ。なるほどそうだと思った。
日本の個人主義はモラルを破壊、拝金主義をあおり経済構築のバブルから格差社会を生み出した。みんな一緒になって日本の経済を構築してきたのにどうして1部分の人だけが楽に生活できてほとんどの一般庶民が今や生活困窮状態に近づいている。
このことを政府関係者はごぞんじだろうか。
そしてモラルも法律も日本のすることを守ってきたのに未だに理解されない在日同胞の法的地位に参政権等等、これは何が原因で達成できないのだろうか。日本国籍をとることはまだまたふっきれない在日同胞の心の傷、日本植道支配の根の深さがあること日本政府は知ってほしい。これを知らないと言って通り抜けられるものではない。
日本経済構築の協力者、在日同胞の半分以上が多額な納税をして日本経済を支えてきた。
なのに、モラルの崩壊は日本国家のモラルの崩壊なのではないかと一抹の不安が走る。
少年に注意したあとその場で言い聞かせて私はほっとした。これをこのままにしておくと私が胃の痛みを持つことになる。子どもは大人の一言でずっと心の闇をもってしまう。
私にもあった。
子どものころ、父の弟の嫁が自分の子どもがかわいいといい、私の家は妹がかわいいのに姉はなんであんな不細工に子どもにうまれたのだろうかと、もう1人の弟の嫁に話していた。その嫁も「そうやな」と言っていた。それを私は立ち聞きしてしまった。中学1年のことだった。このことはずっとずっと私の劣等感になって思い切って誰とも話せなかった。高校に行ってからも顔のコンプレックスは少々不良少女(当時の不良少女は校則を少し違反したぐらい)で目立つことをして友だちの輪を作った。
今もこのことは心に残っていて子どもにはけっして欠点を言わないようにしてきた。
しかし電車のなかで他人に注意された少年はきっと傷ついているかもしれない。そう思うと今、話さないといけないと考えて勇気をだして少年の隣の席に座った。
利発そうな少年、勉強もしっかりしてそして世の中の善悪を学んでいく友人づくりも大切にしてほしいと心中で願っていた。
子育てをしているお母さん。勉強も大事だが子どもと話し合う時間を大切にして下さい。働いていてもたとえ10分でも子どもと話し合って下さい。1ヶ月に1・2度、小学生の間は後ろからぎゅっと抱きしめてあげて下さい。
背中からおかあさんのぬくもりを絶対に感じるはずです。
このぬくもりは成人した子どもでもずっと忘れないはずですから。
母親のぬくもりは子どもたちに何かのときにそこで思い留める効力があると私は信じています。