鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

そうなんです。けっこう知人はみているのですね。

2007-01-29 09:03:55 | 直言!
「元気そうですね」と言われることがある。あれ。私この人に長いことあっていないのに「なぜ」と首を傾げてしまう。
まして私のことそんなにいいように思っていない人はぜったいに私にブログを見たとはいわない。
それがその人の口でなくてその人の関係筋あたりから聞いているのだろう。「なぜ」と最初は思ったがだんだんわかってきた。
私がくたばってねこんでいることに内心喜んでいる人がいるのだろう。そうした人が1人でも私のブログをたまに見てそしてその体が具合悪いところだけを見て内心ふふと笑っているのだろう。その人の口から他の人に他の人からまた他の人に「鄭さん体が悪いのやて」「もう仕事でけへんかもしれへんねんて」と伝わっている。私は仕事をできないと1度も言った覚えがないのにそんな言葉が飛び交っている。
そして私は思いなおす。
それだけ私のブログを読んでいる人がいることなんだ。
だったらいいほうに解釈をしょうと思っている。
けれど生身の人間、ときどき落ち込む時もあるが必要とされる間はがんばらないといけない。みんなに助けられてここまできたのだからと思い直すことにしている。

それほどブログを通しての近況の波及は大きい。

私になんとも思っていない同胞記者らが「鄭さん見ています」と言われると気恥ずかしいがうれしい。知らない人にはアドレスが言えないのでとにかく「ジャーナリスト・ネットを検索してみて下さい。いい意味で個性豊かな人たちが原稿を寄稿しています。また見る人から見ると一風変わった人たちといわれるかもしれませんがユニークな原稿です」と言っている。
先日も取材の現場でかつて同胞新聞の記者でずっと先輩だった人、阪神大震災ではずいぶん助けて頂いた大先輩に「たまに鄭さんの見ていますよ」といわれると気恥ずかしいけれどうれしい。大先輩なので「同胞の悪口は書かないこと。南北の政治のことは新聞紙上で発表されているところで抑えています」と話したら「そうだな」と言っていた。
新年会などでお会いしていたがたいてい忙しくしておられてゆっくりと話すことはなかったが先日は少しゆっくりと話ができた。
大先輩が「見ている」という言葉にうれしくなりブログの波及の大きさが分かる。
私はそう特ダネのようなこともない。身辺雑貨を書いている。私の家の冷蔵庫の中身もわかってしまうがありのままかくのもまた記録になるだろうと思ってそのままに書き込みしている。

テレビでは3月上旬の暖冬だと言っている。世の中は様々で暖冬だと困る人もおられるだろうが私は温かいほうがいい。過ごし易い。しかし暖冬でも体は反応している。膝は2年半治療を続けているので痛みはほとんどないが何かの時に痛みがくる。
先日会場が暑かったのか窓が開けられた。冷たい風が私のうなじに走っていた。そしたらその風は体に染みとおっているのだろうか。鶴橋から電車にのって奈良におりるときに膝が痛くなった。たぶん冷えだと思うのでズボン下の保温を考えなければならない。
若いときはバンテイストッキング1枚でもどうってことなかったのに-----
老いは確実に来ている。

けれどブログを読んでいないそうな人から「お体いかがですか」といわれると「なぜ」と思う。はっきり「ブログを見ています」といわれるほうがうれしい。見ず知らずの人からでもどこかの取材現場であったときに「読んでいます」といわれるととてもうれしい。これは私の分だけでなくて「ジャーナリスト・ネット」の波及効果にものすごくうれしい。

「暖冬」と世間は騒いでいる。スキーが出来ないと言っている。地球温暖化は次に何をもたらすのかそれは怖いが私は温かい冬がいい。
今日は高円山の上は晴れている。明るい。雲もかかっているが明るい。墨絵のようなどんよりした空に冬をおもわせるがこの晴れ間だったらなんか春がすぐきそうに思う。しかし自然はそう甘くない。ちゃんとどこかで帳尻を合わせて春に向かっていく。必ず寒くなるときがあるだろうと私は思っている。

そういえば昨日、夫は気の早いことを言っていた。
「もうすぐ節分や。かぶりつきの太巻き買ってきてや」と言っていた。
普通の海苔巻より握り寿しが好きな人なのに節分になると「太巻き、太巻き」と言い出す。先日鶴橋で「韓国海苔巻き」を買った。今作りたてのような新しく感じる韓国海苔巻きを買って帰った。夫は「これは美味しい。美味しい」と言って食べていた。私は夫が海苔巻きはあまり食べないので買って帰ることがなかった。テレビの韓国料理を見て「あんなんあるのやて」と言っている。私は「何度も食べている。韓国旅行に行くと朝食や昼食の変わりに韓国のコンビニで買って来て食べている」と言ったら「なんでお前だけ食べているのや。俺も食べたい」という。なんでもテレビにでるといいものと思っているのだろうか。世の中の一般の感覚のおっちゃんである。

韓国料理を食べにいくと夫は「どじょう汁」を食べる。
昔日本の暮らしの中で家の前にどぶという溝があってどぶ板をして年1回どぶ掃除をしていた時代があった。そのころ在日同胞の1世はそんなところにいたどじょうも丁寧に泥を吐き出させてどじょう汁を作ったという。
私も子どものころそんな話を父から聞いたが我が家では一切なかった。父は知っていても自分は食べる気がなかったのだろう。
どぶ掃除をするとどぶ板の下でどじょうがウロウロしていたことは覚えている。

町の中からどぶという溝がなくなり下水道に変わって人の力ではもちあげられないコンクリートの板が置かれるようになった。
あのどじょうたちはどこにいったのだろうか。
夫は母親が作っていたどじょう汁がなつかしいのか韓国料理店に行きメニューにあるとどじょう汁を食べている。
在日同胞は物のない時代でも自然にあるものをうまく調理して栄養料理を作った。山々の山菜にしても今は現代風のいいところの奥様風の人も山菜料理を楽しんでおられるが在日同胞は自然の季節に合わせて山菜を取り自然乾燥して長期保存まですることを知っていた。これは1世が韓国でくらした体験をそのままに持ち込んだ。日本人が見向きもしなかった韓国の山菜料理に人気があつまっている。それもこれも1世たちが持ち込んだ食材である。
たまたま学問がなかったのでそれを家族や知人、友人と一緒に食べることで自然食の意味を大切にしてきた。
しかし韓国からこられたニューカマーはそれなりの学力があるので日本社会で゜広めることをされたが山菜料理は日本植民地時代に渡日した1世たちの故郷の味をずっと2・3・4世に今も受け継がれている。

こんなことを思うと高円山の麓には春になると山菜がいっぱいなるだろうなと思って見ている。
若いときは夫の兄弟たちと滋賀県の山に入って山菜取りもしたが私は仕事を持つようになってそれもできなくなったことともう1つの理由は夫の兄弟たちと少し離れて1人で奥に入って蕨とりをした。そして今度は出てくるのに難儀した体験がある。それから怖くて山に入ることはしなくなった。
だから目の前に山菜が豊富な山々があるのに行く気持ちになれない。
山菜フアンに怒られそうだ。

こんなことの書き込みに「そうそう」とうなずいてくれる人が1人でもいれば幸いである。
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