1時間程度寝たようだ。
いつもは起きると直ぐに夕食に支度をするが今日は気になるメールがあったのでパソコンを先に開くと気になる人からの受信が入っていなかった。
午前中、一気にあれやこれとしないといけないことを片づけていたのでなんとなくしんどい。昼寝をしたのがしんどかったのか-----。
これから風呂に湯を入れながら家事をして湯が入ったら風呂に入ることにしょう。インターネットで韓国の新聞を少し見ると「韓国の結婚事情」が出ていた。
私の家も息子がもし在日韓国人の女性と結婚していると大層な結婚式になっていたと思っている。
相手がキャンバス恋愛の末の日本人女性、女性の身内に牧師がいたので結婚式は沖縄の教会で双方の親と知人が少し集ってこじんまりとした結婚式を挙げた。
息子たちはこれで済ますことにしていたが夫の身内には1度は嫁さんを披露しなければならない。
私は中華料理店を用意していたが奈良市内の中華料理の大きい所はテーブル席、息子たちの希望で「座敷」になった。よちよちと歩く子どもがいたので座敷にした。奈良市内の和食割烹店でささやかな披露をした。
私と夫の兄弟姉妹を呼んだだけのものになった。
息子が日頃、そんなに付き合いのない私の親戚まではということになって私の父の兄弟姉妹は呼ばずにごく身内だけでした。
この後で父親の兄弟の身内から「なぜ---呼ばなかったの」とクレームがついたが「息子の考えで夫の兄弟姉妹と私の兄弟姉妹だけにした」といったら何もいわなかった。
今も考えることがある。
これでよかったのかどうかと----。
結婚式場を借りて大きくすればよかったのか。
そうなるとまた日本人の嫁さんに雑音が響き渡ってくる。
それを心配したのか息子は夫の兄弟姉妹、私の兄弟姉妹だけでいいと限定したのかもしれない。親としてはお祝いに頂いた祝儀で沖縄の結婚式の費用も奈良での嫁さんの顔見世の費用もこれで足りることができた。
息子にお祝い金の半分を上げればと思ったがまだまだ生活は日々追われていてお祝い金は何かと物入りに消えていった。
はたしてこれでよかったのかと今も時に考える。
過ぎ去ったことだけど何もかも完璧ではなかったのではないかと思っている。
ただ息子たちが沖縄で家族が助け合って暮らしていることに感謝して喜んでいる。
そんなときに見た「韓国の結婚事情」、親は息子が住むマンションの購入費を出して結婚式も女性の1度の華やかな挙式に協力をする新郎、その家族は後に借金を抱えていくという新聞記事、「韓国の結婚事情」を見直すというものである。昔から韓国人は結婚式になるといとこ、はとこ、またそのつながりまで呼んで結婚式を行う。誰か1人、欠けると身内モメがある。
在日コリアンの結婚式も同じである。
結婚式場は顔も知らない人で膨れ上がっている。
そして双方の親や兄弟姉妹の挨拶という儀式、このときに持っていく土産物の費用も莫大にものになってくる。それで気に入らない品物でまた身内モメをしたものだ。こんな様子を見て私は育った。
私の結婚式の時もいろいろとあったものだった。
韓国の知人は「自分の子どもの結婚式で相手に渡す土産はお金を渡して好きなものを買って下さい」として金額の書いた目録を渡したと話しておられた。
日本はもちろん派手な結婚式もあるが地味な結婚式がここ10年と少し多くなっている、息子は地味婚の走りだった。
済んでみればそれもいいと思うが1番、寂しがっていたのは父の弟たち、叔父たちだったかもしれない。本家の長男の家で1番先に私が生まれた。それが女子だったのでがっかりした。それでも1番先に生まれたというので厳しくもあったが大事に育ててもらった。
祖父が生きていればもっと私を大事にしてまた違う縁談で結婚していたかもしれない。しかし夫と縁があって結婚したのは私にもっとも合っていたと思っている。これでよかったと思っている。
祖父の弟方、分家筋の人で同じ通名の人が高齢になってデイサービスで利用しているのを見ると私の心の中はドキッとしているが何もいわないで黙っている。
これまで通り、父親の考えで本家は本家、分家は分家という違う立場に生きていることを認識してそっと何もしらないふりをして現場で取材している。
こんな時、叔父たちはどうするのかと一瞬、考えることはある。
しかし父親が生きた、歩いた道を私も同じようにしている。
けれど次世代には本家と分家、祖父とその弟がいて何があって分家は財閥になってその後のことも語りついでいかなければと思っている。
機会があれば私の弟に知っていることは話している。
さて夕食の支度です。
いつもは起きると直ぐに夕食に支度をするが今日は気になるメールがあったのでパソコンを先に開くと気になる人からの受信が入っていなかった。
午前中、一気にあれやこれとしないといけないことを片づけていたのでなんとなくしんどい。昼寝をしたのがしんどかったのか-----。
これから風呂に湯を入れながら家事をして湯が入ったら風呂に入ることにしょう。インターネットで韓国の新聞を少し見ると「韓国の結婚事情」が出ていた。
私の家も息子がもし在日韓国人の女性と結婚していると大層な結婚式になっていたと思っている。
相手がキャンバス恋愛の末の日本人女性、女性の身内に牧師がいたので結婚式は沖縄の教会で双方の親と知人が少し集ってこじんまりとした結婚式を挙げた。
息子たちはこれで済ますことにしていたが夫の身内には1度は嫁さんを披露しなければならない。
私は中華料理店を用意していたが奈良市内の中華料理の大きい所はテーブル席、息子たちの希望で「座敷」になった。よちよちと歩く子どもがいたので座敷にした。奈良市内の和食割烹店でささやかな披露をした。
私と夫の兄弟姉妹を呼んだだけのものになった。
息子が日頃、そんなに付き合いのない私の親戚まではということになって私の父の兄弟姉妹は呼ばずにごく身内だけでした。
この後で父親の兄弟の身内から「なぜ---呼ばなかったの」とクレームがついたが「息子の考えで夫の兄弟姉妹と私の兄弟姉妹だけにした」といったら何もいわなかった。
今も考えることがある。
これでよかったのかどうかと----。
結婚式場を借りて大きくすればよかったのか。
そうなるとまた日本人の嫁さんに雑音が響き渡ってくる。
それを心配したのか息子は夫の兄弟姉妹、私の兄弟姉妹だけでいいと限定したのかもしれない。親としてはお祝いに頂いた祝儀で沖縄の結婚式の費用も奈良での嫁さんの顔見世の費用もこれで足りることができた。
息子にお祝い金の半分を上げればと思ったがまだまだ生活は日々追われていてお祝い金は何かと物入りに消えていった。
はたしてこれでよかったのかと今も時に考える。
過ぎ去ったことだけど何もかも完璧ではなかったのではないかと思っている。
ただ息子たちが沖縄で家族が助け合って暮らしていることに感謝して喜んでいる。
そんなときに見た「韓国の結婚事情」、親は息子が住むマンションの購入費を出して結婚式も女性の1度の華やかな挙式に協力をする新郎、その家族は後に借金を抱えていくという新聞記事、「韓国の結婚事情」を見直すというものである。昔から韓国人は結婚式になるといとこ、はとこ、またそのつながりまで呼んで結婚式を行う。誰か1人、欠けると身内モメがある。
在日コリアンの結婚式も同じである。
結婚式場は顔も知らない人で膨れ上がっている。
そして双方の親や兄弟姉妹の挨拶という儀式、このときに持っていく土産物の費用も莫大にものになってくる。それで気に入らない品物でまた身内モメをしたものだ。こんな様子を見て私は育った。
私の結婚式の時もいろいろとあったものだった。
韓国の知人は「自分の子どもの結婚式で相手に渡す土産はお金を渡して好きなものを買って下さい」として金額の書いた目録を渡したと話しておられた。
日本はもちろん派手な結婚式もあるが地味な結婚式がここ10年と少し多くなっている、息子は地味婚の走りだった。
済んでみればそれもいいと思うが1番、寂しがっていたのは父の弟たち、叔父たちだったかもしれない。本家の長男の家で1番先に私が生まれた。それが女子だったのでがっかりした。それでも1番先に生まれたというので厳しくもあったが大事に育ててもらった。
祖父が生きていればもっと私を大事にしてまた違う縁談で結婚していたかもしれない。しかし夫と縁があって結婚したのは私にもっとも合っていたと思っている。これでよかったと思っている。
祖父の弟方、分家筋の人で同じ通名の人が高齢になってデイサービスで利用しているのを見ると私の心の中はドキッとしているが何もいわないで黙っている。
これまで通り、父親の考えで本家は本家、分家は分家という違う立場に生きていることを認識してそっと何もしらないふりをして現場で取材している。
こんな時、叔父たちはどうするのかと一瞬、考えることはある。
しかし父親が生きた、歩いた道を私も同じようにしている。
けれど次世代には本家と分家、祖父とその弟がいて何があって分家は財閥になってその後のことも語りついでいかなければと思っている。
機会があれば私の弟に知っていることは話している。
さて夕食の支度です。
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