1週間の間に桜は満開
4月5日、奈良市内の佐保川の堤防沿い、平城宮跡、そしてあやめ池の遊園地、学園前の百楽荘の中、そして生駒トンネルを越えると石切でここから額田、枚岡、花園あたりまで生駒山のすそ野に町が広がり山桜も駅の周辺、ここは山裾まで、ずっと坂道に沿って住居が立っている。住居と住居の間からもたくさんの桜が咲いている。風情のある街である。物語になりそうである。
通り過ぎ車窓から見る桜も満開で春うららというところだ。
3月28日、取材で大阪に向かったときはまだ桜が開花していなかった。桜の枝はピンク色になり今にも咲きそうなけはいだったがまだ咲いていなかった。
今日、久しぶりに大阪に出て行く。車窓を眺めると桜は満開である。
平城宮跡も満開である。ここは15年間住んだ佐紀町に近い。自転車でわざわざ桜を見にきたものだ。子育てをしてPTAの役員をしていてもいろんなことがあった。当時はまだ古いしきたりの残る町で住民たち、よそ者を受け付けない。目に見えない外国人差別などがあった。こんなときモヤモヤがとれず桜を見て自然の大きさと不思議さに人間のちっぽけさを自覚したものだ。
そんなことが思い出された。
あやめ池の遊園地も閉鎖された。なのに、遊園地の桜は今年も満開に咲いていた。
この跡地、有意義に活用してもらいたい。
百楽荘の上の桜にいやな思い出がよみがえる。
月刊奈良時代の雑誌記者時代を思い出してしまう。
毎月定期的に原稿を書いてもらっていた人の原稿をとりにきた。いつもは事務所指定なのに車でいくからで駅で待ってほしいと言う。
車の乗車に促されて乗車すると百楽荘に車は登っていく。
食事なのか。意味がわからない。
食事にしても食事のご相伴になってはいけない。後で上司に耳に入るとこれもよくない。
頭をフル回転した。仕方がなく嘘をついた。
「事務職員が1人で事務所にいるので昼食時間に戻って事務所の留守番をしなければならないのです」と言った。
そしたら素直に「そうですか。それはいけない」と言って車は東生駒駅まで行ってくれた。
あの意味はなんだっただろうか。今もよくわからないがなにはともあれ、食事のご相伴にならないで事務所に戻ることができた。
事務所に戻るともちろん編集局長も営業職員もいた。
私はこのことに対して今も後悔していない。ただ百楽荘のあるところを見ると当時のことを今も思い出してしまう。
生駒トンネルを越えると山と共存する町である。石切駅は桜並木である。ここを歩いてみたい気持にかられながらも私は電車の中である。
額田、枚岡から花園あたりまで生駒山連山である。山すそ野の山桜も満開である。
ここの桜の花粉があちこちに舞い降りて生駒の山すその町は桜、桜を咲かせたのか住居の間からも見える。
ようやく花園を過ぎると桜は見えるものの生駒ほどの桜はない。
高いビルと2階建ての民家がひしめきあうに建っている。
それぞれの生活文化が見られる。ここらへんの桜は町の中にある公園に行くとみられるのだろう。もう皆花見はすんだだろうか。
それとも8日の土曜日、9日の日曜日に各地で花見にちなんだイベントが行なわれていっときの桜を満喫するのだろうか。
一瞬に咲く。1週間ほどの間に満開になっている。
やがて桜吹雪となって葉桜、若葉かおる5月に近づく。初夏は葉桜になると急いでやって来る。人々は衣更えでまた忙しくなる。
これからの季節がいい季節なのにこの季節も少なく日差しが強くなっていく。
今、このときの桜、一瞬だから私たち魅了するのだろうか。
今年も桜は後少し、この間開花宣言が出されたと思ったら足早にかけていく。
そんな桜、頬にかすめる程度に通り過ぎていく。
ちょっと待ってと引き止めたいのに恋人でも時には立ち止まってくれることもあるのに桜は後ろを振り向かずに人の心に一瞬にして焼き付けていく。だから心残りで来年の開花を待ち遠しくなるのだろう。
自然のおりなす神業、人間でははかりしれないものがある。
やっぱり自然の感謝をするしかない。
4月5日、奈良市内の佐保川の堤防沿い、平城宮跡、そしてあやめ池の遊園地、学園前の百楽荘の中、そして生駒トンネルを越えると石切でここから額田、枚岡、花園あたりまで生駒山のすそ野に町が広がり山桜も駅の周辺、ここは山裾まで、ずっと坂道に沿って住居が立っている。住居と住居の間からもたくさんの桜が咲いている。風情のある街である。物語になりそうである。
通り過ぎ車窓から見る桜も満開で春うららというところだ。
3月28日、取材で大阪に向かったときはまだ桜が開花していなかった。桜の枝はピンク色になり今にも咲きそうなけはいだったがまだ咲いていなかった。
今日、久しぶりに大阪に出て行く。車窓を眺めると桜は満開である。
平城宮跡も満開である。ここは15年間住んだ佐紀町に近い。自転車でわざわざ桜を見にきたものだ。子育てをしてPTAの役員をしていてもいろんなことがあった。当時はまだ古いしきたりの残る町で住民たち、よそ者を受け付けない。目に見えない外国人差別などがあった。こんなときモヤモヤがとれず桜を見て自然の大きさと不思議さに人間のちっぽけさを自覚したものだ。
そんなことが思い出された。
あやめ池の遊園地も閉鎖された。なのに、遊園地の桜は今年も満開に咲いていた。
この跡地、有意義に活用してもらいたい。
百楽荘の上の桜にいやな思い出がよみがえる。
月刊奈良時代の雑誌記者時代を思い出してしまう。
毎月定期的に原稿を書いてもらっていた人の原稿をとりにきた。いつもは事務所指定なのに車でいくからで駅で待ってほしいと言う。
車の乗車に促されて乗車すると百楽荘に車は登っていく。
食事なのか。意味がわからない。
食事にしても食事のご相伴になってはいけない。後で上司に耳に入るとこれもよくない。
頭をフル回転した。仕方がなく嘘をついた。
「事務職員が1人で事務所にいるので昼食時間に戻って事務所の留守番をしなければならないのです」と言った。
そしたら素直に「そうですか。それはいけない」と言って車は東生駒駅まで行ってくれた。
あの意味はなんだっただろうか。今もよくわからないがなにはともあれ、食事のご相伴にならないで事務所に戻ることができた。
事務所に戻るともちろん編集局長も営業職員もいた。
私はこのことに対して今も後悔していない。ただ百楽荘のあるところを見ると当時のことを今も思い出してしまう。
生駒トンネルを越えると山と共存する町である。石切駅は桜並木である。ここを歩いてみたい気持にかられながらも私は電車の中である。
額田、枚岡から花園あたりまで生駒山連山である。山すそ野の山桜も満開である。
ここの桜の花粉があちこちに舞い降りて生駒の山すその町は桜、桜を咲かせたのか住居の間からも見える。
ようやく花園を過ぎると桜は見えるものの生駒ほどの桜はない。
高いビルと2階建ての民家がひしめきあうに建っている。
それぞれの生活文化が見られる。ここらへんの桜は町の中にある公園に行くとみられるのだろう。もう皆花見はすんだだろうか。
それとも8日の土曜日、9日の日曜日に各地で花見にちなんだイベントが行なわれていっときの桜を満喫するのだろうか。
一瞬に咲く。1週間ほどの間に満開になっている。
やがて桜吹雪となって葉桜、若葉かおる5月に近づく。初夏は葉桜になると急いでやって来る。人々は衣更えでまた忙しくなる。
これからの季節がいい季節なのにこの季節も少なく日差しが強くなっていく。
今、このときの桜、一瞬だから私たち魅了するのだろうか。
今年も桜は後少し、この間開花宣言が出されたと思ったら足早にかけていく。
そんな桜、頬にかすめる程度に通り過ぎていく。
ちょっと待ってと引き止めたいのに恋人でも時には立ち止まってくれることもあるのに桜は後ろを振り向かずに人の心に一瞬にして焼き付けていく。だから心残りで来年の開花を待ち遠しくなるのだろう。
自然のおりなす神業、人間でははかりしれないものがある。
やっぱり自然の感謝をするしかない。
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