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蘇るヘルシンキの思い出

2012-09-10 | DIARY

ちと昼仕事にて、ヘルシンキ経由でブリュッセルです

ヘルシンキの空港で乗り継ぎ便を待つ間いろいろな事を思い出しました。

今回、たった10時間程のフライトで降り立ったヘルシンキに、昔、2週間かけて来た事があったのです

横浜から3000トンばかりのヨレヨレの船に乗って、2泊3日で津軽海峡経由ナホトカ
そこからシベリア大陸横断鉄道に乗って10日間……乗りっぱなしならば1週間くらいだったと思いますが、なんせ車内にシャワーなどありませんし、イルクーツク、モスクワ、レニングラード(当時)に泊ってヘルシンキに入るまで、船移動分も入れると2週間の旅でした
ロシアがまだソ連だった頃のお話です。

どこまでも続くシベリアの地平線にロマンを感じるのは最初の数十分、あとは同じ列車に居合わせた多国籍の人々と小さな楽しみを見つけてはそれを共有して過ごす旅でした。
外国人は選択の余地なく1等のコンパートメントでしたが、トイレの便座もないような列車

ホテルも外国人専用のようでしたが、どこに行ってもトイレットペーパーが品薄。
チェックインして最初から、1~2回で無くなるようなロールがセットされているの
無くなると、ホテルの各階に待機して宿泊客を見張っているとしか思えない服務員に頼みに行って、持ってきてもらうまでにまた時間がかかる…。
やっと届けられた新しい(はずの)ロールが、また1~2回で無くなるようなのだったりして…

そんな旅の終点であり、それから始まる100日以上に渡る欧州鉄道旅行の出発点でもあったヘルシンキ

まず目に入ったのがマクドナルドの看板、しかもその年はロサンゼルスオリンピックがあって五輪に合わせた五色のマックシェイク
当時はソ連にマックは無かったし、オリンピックもボイコットした年だったから、何もかもがキラキラして見えたものでした
モスクワで見かけたドリンクと言えば、クワスというジュースの自動販売機くらい。汚いガラスコップが備えつけられていて、洗わないそのグラスで皆が飲んでいたように思います。(←冷えてないし…

そして、その時ヘルシンキで宿泊した大学の寮(←大学が休みになる夏の間だけ開放していた)のトイレの鏡の前にこれでもかというくらい何段にも積み上げられてあったトイレットロール
これを見た時の感動は忘れられません。

私は今、空港のフリーwifiを使ってメールを送ったりネットサーフィンしたりしているのだなと思うと、何だか不思議な気がします。 
周りに座っている人たちも思い思いの場所でスマホやPCを見ています。
何と便利な世の中になった事でしょう
そう思う一方で、旅の苦労や訪問先での人々とのコミュニケーションが減っていくのがちょっとさびしい気がするのは、自分がそれだけ歳をとったせいかもしれませんね…