〜かたることばが歌になる風になる〜

作曲家林光さんの作品を中心に歌ってきた「女声合唱団風」 団員の気ままな日記

ちょこっとボランティア

2019年07月19日 | ボランティア
同級生に頼まれて9月に音楽ボランティアで訪問する、特別養護老人ホーム「アリス千里」という施設の、当日使わせてもらうホール見学と、ピアノの音確認をしてきた。

こじんまりではあるが舞台があって、照明設備や空調も良く、椅子も45席ほど並べられるフロア、防音された空間で何よりまだまだ新しい「グランドピアノ」
カフェコンサートした場所とは随分環境が違うが、イベントが入らない限り普段ここをほとんど使っていないと言う。もったいないねと友人と話したぐらい羨ましい特養のホール。
施設入居費用はかなりリーズナブルでスタッフさんも明るく親切だそう。人気の施設なので待機者は800人以上。彼女はこちらに何度かボランティアで訪れているそうだ。

この地域に住んでいる彼女のお母さんは、体調を崩されて最近この地域の別の特養に入居されたばかり。ここも彼女がこれまで音楽ボランティアで何度も訪れた施設。
いつか「アリス千里」に入れたら良いと願っているようだ。
ホールのピアノの音を確認したあと、そこからタクシーで数分の所にある、彼女のお母さんの施設のカフェタイムの時間を訪ねた。

私の昭和4年生まれの母とほぼ同じ歳のお母さんは、55歳ぐらいの時、趣味でカメラを始められて、数年後大阪のとあるギャラリーで写真展を開かれたことがあった。
重いカメラ機材を持って撮影に行くと言う話を聞いて感心したこと、人形浄瑠璃の本番舞台や、人形使いの方達の表情などの写真が何点も展示されていたのを見て、何がお母さんをそう言う方向へと行かせたのかと思ったものだが、理由はお訊きしたことはなかった。

高校時代はもちろん、彼女が最近も「アッコがね」とよく話してくれていたのだろう。数十年ぶりにお会いしたにも関わらず、ついこの間までお会いしていたようにお母さんと会話ができたことが驚きだった。
白髪になられた車椅子のお母さんの表情は以前と殆ど変わらなかった。
しかし片目はほとんど見えていない、左耳の方しか聞こえないなど老いは顕著だけれど、しっかりした口調で、私を覚えて下さっていたことが嬉しく会話が弾んだ。

カステラとお茶の時間は終わりかけていたが、「乙女の祈り」と「ノクターン20番 遺作」を弾かせて頂いた。
アップライトピアノのに向かっている私には見えなかったけど、「施設のスタッフさんがみんな聴きにきてズラッと並んでおられた。私一人でボランティアやってるのと全然違ったよ」と後で彼女は言っていた。
助っ人がいない時は、彼女は「流しのヴァイオリン🎻弾き」のように一人で演奏するらしい。
副科で同じ先生に教えて頂いたヴァイオリンを、今でもこんな風に活用している彼女に感心する。
この後9月に「アリス千里」で演奏する、マイフェアレディ ーの『踊り明かしたい』」と『エーデルワイス』  日本の叙情歌『浜辺の歌』を私のピアノ伴奏でヴァイオリン演奏した。

お母さんがお元気な頃、大好きな千住真理子さんのヴァイオリンコンサートに行かれて、どう言う経緯なのかはわからないが、お母さんは千住さんの計らいで「ハイヤー」で帰宅したことがあったというエピソードを聞いた。
かたや彼女は昔「作曲家協会」なる所に関係していた頃の、高田三郎氏、中田喜直氏、もちろん林光さん、武満徹氏、芥川也寸志氏、黛敏郎氏、山本良純氏など、錚々たる面々が集まる場所に出入りし、交流していた話を時折聞くが、彼女の性格は、物怖じせず行動的なこのお母さんの遺伝子によるものだとこの時ようやく確信した。
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音楽ボランティア3

2019年03月16日 | ボランティア

音楽高校と音楽大学で共に学んだ同級生まゆみさんは何10年も音楽ボランティアをしていて、私も2度ほど頼まれてお助けをしたことがある。
1度目は、Cla vo ppのほそみっちゃんと一緒に訪問するはずが、彼女が夏風邪で全く声が出なくなり、私のピアノだけという大慌てな冷や汗もの😅の訪問だった。

まゆみさんの高齢のお母さんは、車椅子の生活になってからも、近くに住む彼女の妹さんやヘルパーさんの助けも頂いて一人暮らしされていたが、病気を発症されてからは介護施設の病院に現在は入院されているらしい。
まゆみさんは横浜から3ヶ月に1回の割合で帰阪していて、その時同時に知り合いの施設数カ所に音楽ボランティアで訪問するという。

10日ほど前、しばらくぶりの彼女のLineに、前に訪問した介護つきマンションでピアノを弾いてほしいという急な依頼があった。
Cla vo ppで今年も5月に「カフェコンサート」をする予定で、メンデルスゾーンの「春の歌(無言歌集)」と、ドビュッシーの「ゴリウォーグのケークウォーク(子供の領分)」の2曲を演奏するために練習に入っていたので、リハーサルにもなるかなという思いとまゆみさんの助けになるならとOKした。どちらの曲も音楽好きの方は耳にすることが多いと思う。


他に、入居されている方々に歌ってもらう歌の伴奏曲2曲。
「花・喜納昌吉曲」Fdur(エフドゥア・へ長調)と「花・滝廉太郎曲」Gdur(ゲードゥア・ト長調)は、5度か6度ほど下げてほしいとのこと。
弾き手が簡単なのはCdur(ツェードゥア・ハ長調・主音はド)だが、お年寄りは上のド以上になるとしんどいけど、下はどれだけ低くても出るから、Bdur(ベードゥア・変ロ長調・主音は♭シ)ならより良いとのこと。

私たち音楽専門家は、初見で弾いたり、さっと移調できたり、即興で伴奏付けができる人がたくさんいるが、簡単なものは別として、私は移調は譜面に起こしてからでないとできない。
PCのソフトでスキャンしてさっと移調譜面を作成することはできるが、古くなっている我が家の動きの悪いPCを開いてスキャン云々の作業が面倒なので、「移動ド」の私は、どちらの「花」の譜面にも音符にドレミを書いて、それを見ながらBdur(変ロ長調)で弾くことにした。


譜面を読む時には「移動ド」と「固定ド」という2種類の譜読みの仕方がある。
何調であってもハ長調の「ド」を主音として、書いてある音符のままで読む「固定ド」に対して、「移動ド」は、調が変わると主音のドの位置が変わるので、例えばへ長調は「ファ」が「ド」となり、置き換えて読んでいく。
慣れると絶対音感のない私などは、どんな調になっても、高さは違うがハ長調と同じに聞こえてくるので、調性(ハーモニー)の進行がメロディックに聞こえるという利点がある。
「固定ド」は、書いている音をそのままスラスラ読むので初見は楽だが、「移動ド 」のように調性がわかって歌うのと違って、絶対音感がなければ正確な音では歌えないという難しさはある。

そんな理屈はさておき、当日まゆみさんと最寄駅で落ち合い、近くの喫茶店で彼女の予定しているプログラム進行をざっと聞き向かう。

1階の食堂の広いお部屋には、この訪問を心待ちにしてくれている入居者の方々が集まって下さっていた。
学生時代私も彼女も副科でバイオリンを習っていたが、今も彼女はバイオリン🎻を聞いてもらうこともあるとかで、この日急遽オープニングはハ長調で「エーデルワイス」。適当にハーモニーをつけて伴奏する。

彼女は少し小さいサイズのキャリー型のスーツケースを持ってきていたが、その中にはトーンチャイム(ハンドベル)という、アルミ合金製のパイプをたたいて共鳴させる楽器を入れていた。


手で持って自分の前に振り出すように動かすと、フワァっと残響がある柔らかいシロフォンみたいな音がする楽器。「春が来た」の歌に合わせてお年寄りの数人に持ってもらって音出しを体験してもらう。
戸惑いと好奇心などで皆さん楽しそうで和やかになる。

前のホワイトボードには、5センチ四方ぐらいの大きな文字で歌詞を書いた模造紙を貼って、それを見ながら喜納昌吉作曲の「花」と滝廉太郎作曲の「花」を歌い比べてもらうなどして、1時間弱ぐらいの、おしゃべりと音楽の時間を共有をしてもらった。
この日は施設側の都合で少し時間が短くなってしまって、何曲か用意していた私のピアノは、上記の2曲に、ギターのトレモロが美しい「禁じられた遊び」のピアノ曲の3曲で終わった。

まゆみさんは若い頃ボランティアの方に助けてもらったことがあり、それをキッカケに自分もお返ししようと続けているが、自分もいい年齢になりそろそろ辞めたいが引き継いでくれる人がいないという。
彼女は資格を持ってはないが、25年以上前にはそんな名前もなかった「音楽療法士」という分野はあるがその位置付けはまだまだのよう。

まぶしい春の日差しが差す施設の玄関でまゆみさんとタクシーを待った。
高校入学で最初に隣同士の席だったまゆみさんは、普通科の中学から上がってきていて、中、高、大学までの校舎がある建物の中のこと初め色々なことを、公立中学から行った私に親切に教えてくれた優しく穏やかな知的な人だった。
私を最初に「アッコ」というニックネームで呼んでくれた人で、今でも同級生はみんなそう呼んでくれる。

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音楽ボランティアそのニ

2015年09月15日 | ボランティア
ボランティアの二日前、ほそみっちゃんから「夏風邪」のようだと。
以前にもこのような症状でまったく声が出なくなり、一ヶ月ほどずっと喋らず、歌わずの療養に専念して何とか声が出るようになったとか。

ありゃ〜〜どうしたものか、同級生と相談して急遽私のピアノを中心に、ホームのお年寄りたちに歌ってもらう歌を増やすと計画変更となった。

私のピアノソロはそのまま。もう一曲クラシックを何か増やせという。でもきちんと弾けるのはノクターンだけ。じゃぁ「エリーゼのために」でというので何とかなるだろうとこれに決定。

映画音楽は他に何かというので「禁じられた遊び」予備に「聖者の行進」
「禁じられた遊び」は、私も含めて私たちから上の世代なら、戦争孤児になってしまうあどけない女の子の切ない映画のお話と、流れてくるギターのメロディーを覚えている人は多いと思う。
前日急遽、右手に書かれているギターのメロディーのアルペジョの練習に専念。
「聖者の行進」は以前ライオンズクラブの集まりで弾いたことがあった。

ほそみっちゃんと二人でお揃いのワイドパンツと思っていたが、1人なので黒いレーシーなアンクル丈のスカートと、10年近くご一緒した先輩と初めてピアノ連弾でコンサートに出た時の赤いブラウス。同級生の「華やかな方が良い」の提案でこの衣装にした。

写真に写っているボトムスは黒のワイドパンツだが。


お年寄りの皆さんに歌ってもらう時は、彼女がこれまで訪問した時に作った、大きな模造紙に墨で書いた歌詞表を使うので「赤とんぼ」「小さい秋みつけた」「川の流れのように」「上を向いてあるこう」など。
ただしほとんどはみなさんの音域に合わせて低い調にしてほしいとか。
いくら簡単でも私は即興で器用に移調はできないので、前日の夜PCで移調の譜面も作成した。
エンディングは予定通り「青い山脈」これもほそみっちゃんと1ヶ月ほど練習してきたんだけど・・・

急な変更でおおわらわだったが、簡単な譜面の歌ばかりだったこともあり、ベテランの彼女の司会進行に助けられてホームの皆さんも飽きることなく、「禁じられた遊び」「虹のかなたに」では、男性の方の鼻歌も聞こえ、一応曲選びは成功したようだった。

入所者の方たちは80代、90代としては比較的お元気でとても明るい。
こちらからの呼びかけにびっくりするほど大きい声で返事をしてくれて、反応もしっかりされていた。
自宅の隣に住む86歳の母親がオーバーラップする。そして自分もいつか通る道を想像して、息子たちに世話をかけないようにと、自分の健康維持のための努力をしなきゃと再度思い直して、同級生との1時間ほどのボランティアを終えた。
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音楽ボランティアその一

2015年09月04日 | ボランティア
高校3年間と大学の4年間同じ音楽の道を進んだ同級生の一人が、結婚以来何十年も、音楽療法としてのボランティアを定期的にやっている。
横浜在住の彼女は、実家のお母さんのお世話のために月一の割合で帰阪していて、6月に久々に彼女と大阪でランチをした際、合唱団のメンバーにボランティアをしてもらえないかという話があった。
別に合唱でなくて良い、何か歌ってたもらえたら良いんだという。
訪問するのは大阪市内にある介護付き高齢者住宅
80代から90代ぐらいの丁度私の親世代のお年寄りが入所しておられる。

このホームに行くのに、タクシーだと10分ぐらいという近いところに、「女声合唱団風」の後輩のほそみっちゃんが20年ぐらい指揮指導している、コーラス「花座」がある。
こちらの合唱団が今年の10月に予定しているコンサートに、私を含め「風」のアルトメンバー3人が助っ人で6月から練習に参加している。
ボランティアの件をほそみっちゃんに話すと、ボランティアの経験があるのでやりましょうと快諾してくれた。

横浜の同級生のアドバイスを元に、ボランティア当日の出し物は、オペラのアリアからモーツァルトの「フィガロの結婚」の、ケルビーノという若者が歌う「恋とはどんなものかしら」
You tubeで聴くことが出来る

お年寄りといってもみなさん当然それなりのプライドをお持ちで、音楽の知識がなくとも、専門的な高尚な音楽も聴けるんだという自負があるのだという。
このアリアは、筋書きでは少年が歌う設定だが、舞台では女性のメゾの歌い手が歌うので、男装した女性ということで宝塚的かと思う。
あとは、越路吹雪が歌った「ラストダンスは私と」タンゴ「小雨降る道」の2曲。
「小雨降る道」はシャンソン歌手の金子由香利がカッコよく歌うのを聞いて、ほそみっちゃんの歌いたい1曲として決めた。
歌もピアノソロも1曲はクラシックのものをという同級生のアドバイスで、私のピアノは、定番だがショパンのノクターン2番と、映画音楽「オズの魔法使い」から「虹の彼方に」(Somewhere over the rainbow)の2曲に決めた。

ほかに私のリクエストでほそみっちゃんと歌のデュエットを2曲
86歳になる実家の母が女学校時代に歌って覚えていた「我は海の子」の低音部
小さいころ母と二人でよくデュエットしていたこの文部省唱歌だが、低音部の楽譜はなく母が覚えていたメロディーを私が耳コピーしている。
もう1曲は、ピアノの同門の1年後輩と中学時代デュエットした「夢路より」(フォスター作曲)最近のテレビCMで、学生がブラスバンドで演奏していて一般にも耳に聞き覚えある曲だ。
これらのデュエットの伴奏は横浜の同級生がしてくれることになった。

ホームに訪問する日が8月31日と決まって、ほそみっちゃんのところの「花座」の練習後、練習場から近い彼女のお家に寄って合わせるのが、同級生の声楽の人の伴奏が多かった学生時代に戻ったようでとても楽しい時間となった。
いよいよ二日後にはホームに行くという日になり、当日の衣装は「花座」のコンサートにはく黒のオーガンジーのワイドパンツと手持ちのブラウスを私、それの色違いの白のワイドパンツとブラウスをほそみっちゃんと決めていたのだが、とんでもないことになって・・・・
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