グー版・迷子の古事記

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アラハバキの社②

2013年09月12日 | 古事記
前回の続きです

  《オオナムチと蛇》

オオナムチは大己貴と書かれますが、大巳貴と書かれる事もあります。
どちらも当て字です。
何を言ってるの?
と思うかも方もいるかもしれませんが、日本には元々漢字は無かったのです。
オオナムチという音を持つ神様に後付けで漢字を当て字しています。

古事記はその序文にもある通り、当て字で全て書かれたものです
当て字の種類

・音を重視した当て字…中国の読み。
・訓を重視した当て字…字義を重視した読み、古代日本語の読み。 
・音と訓を混ぜた当て字

ではオオナムチはどのように当て字されたでしょう?

オオナムチ(大己貴、大巳貴)

大(オオ)…訓読み 和語

貴(ムチ、又はチ)…「貴」には現在、「ムチ」「チ」共にどちらの読みもありません。あえて言えば、「貴」に「キ」と言う発音がありますが、貴い神様を示す神名なのでここは素直に訓読みととり和語だと解釈したほうが妥当そうです。

己、巳(ナ、又はナム)…どちらの漢字にも「ナ」「ナム」という読みはありません。と言う事は訓読みで読まれたと推測できます。訓で読まれたと言う事はその漢字の字義で書かれたと言う事です。

己の意義…おのれ、つちのと。
巳の意義…へび、み。

オオナムチ(大己貴、大巳貴)の真ん中の文字「己、巳」が字義を重視して当て字されてあるため、「己」と「巳」のどちらの字義が適当かは自ずから明らかです。

大巳貴 … 字義で訳すと「貴き大蛇神」

オオナムチは大己貴と書かれる事が多いですが、大巳貴のほうが字義の上では正しいと私は思います

日本に漢字が輸入され文字文化が花開き万葉仮名が使われ始めた黎明期に、「巳」を「己」と間違えた、或いは、原文を書写する際に文字を取り違えた。
また或いは、「己」「巳」どちらの意味も充分承知した上で、敢えて「己」を使用した。そこには、オオナムチを蛇神だと公に出来ない事情がありつつも古事記編纂に関わった人物の使命感のようなものにより、後の世において「巳」を推測できる「己」を使ったと言う事情がもしかしたらあったかもしれません。

いづれにしても、オオナムチを「大巳貴」と記したほうが字義として的を得ている事は紛れもない事実です

  《大蛇神》

オオナムチは大蛇神でほぼ間違いないと思われますが、もし先ほど述べたようにオオナムチを蛇神だと公に出来ない事情があるとすれば、それは何だったのでしょうか?

関連付けられては困る大蛇神が他にいるのでは無いか?と言う事がまず考えられます。またそうでなければ、大蛇神と公言しても全く問題ないように感じます

そこで古事記に登場する大蛇神は?と言うと、ヤマタノオロチとオオモノヌシです。

・ヤマタノオロチ…越(北陸)の大蛇神。スサノヲに退治される。
・オオモノヌシ…三輪山の神。オオクニヌシの和魂。大和朝廷に度々祟る神。

ヤマタノオロチは越(北陸)の大蛇神、オオナムチとの関係は?と言えば、オオナムチの別名オオクニヌシの祖スサノヲが退治したと言う事です。ヤマタノオロチとオオナムチを関連付けても問題ないように思われます。

オオモノヌシ(大物主)はオオクニヌシ(大国主)の和魂、度々大和朝廷に祟ります。朝廷が度々祟られたと思ったと言う事は、それなりの事をオオモノヌシに対して行ったと言う事のあらわれだと言えるかもしれません。
オオナムチを大蛇神と公言できない様な口に出来ない事情があるとすれば、オオモノヌシ(大物主)とオオナムチの関係に秘密があるように見えます。
しかし、オオナムチは別名オオクニヌシ(大国主)とされているため、オオモノヌシ(大物主)はオオナムチの和魂ともとれ、一見問題ないように見えます。
少し整理しましょう

・オオクニヌシ(大国主)…出雲の大神。
当ブログでは、一時期太陽神、月神を習合された統一神となったと考えています。
当ブログ オオモノヌシとオオクニヌシ 参照下さい

・オオモノヌシ(大物主)…大和の三輪山の大蛇神
当ブログでは、出雲の大和併合時にオオクニヌシ(大国主)と習合されたと考えています。
当ブログ オオモノヌシとオオクニヌシ 参照下さい

・オオナムチ…オオクニヌシ(大国主)の別名。大蛇神

オオクニヌシ(大国主)は一時期、太陽と月を統べる神様でありながら、出雲の衰退後、出雲の大神、クニツカミを統べる神と格下げされてしまいます。
オオモノヌシ(大物主)は太陽神でありながら、出雲の大和併合によりオオクニヌシ(大国主)の和魂となっていまします。
オオクニヌシ(大国主)、オオモノヌシ(大物主)ともに、出雲の大和併合時にその名前が付けられたのではないか?と今のところ推測しています。
当ブログ オオモノヌシとオオクニヌシ参照下さい

そして、オオモノヌシの元々の名前がオオナムチではないか?と思うのです。
そう考えると、オオナムチが大蛇神として公言できなかった事情と言うのも説明できそうです。

古代大和における太陽神、オオナムチは、出雲の大和併合によりオオクニヌシ(大国主)と習合され、オオクニヌシ(大国主)は太陽と月を統べる神となり、三界(アマツクニ、ナカツクニ、ネノクニ)を治める神となる。
この時、オオナムチはオオクニヌシ(大国主)の別名となり、オオクニヌシ(大国主)はその名前(三界を治める神の名前)を与えられる。
三輪山の神は、三界(アマツクニ、ナカツクニ、ネノクニ)を統べるオオクニヌシ(大国主)の和玉として、三界の神霊の主という意味のオオモノヌシ(大物主)の名前を与えられた。
その後、渡来系による大和勢力の復活により、オオクニヌシ(大国主)はクニツカミを統べる神へ格下げされる。
オオナムチがオオモノヌシ(大物主)であった事を明らかにする事は、オオナムチは出雲の神ではなく古代大和の神となり、オオクニヌシ(大国主)、オオモノヌシ(大物主)、オオナムチの三柱の神の関係性を壊す事となり、また過去にオオナムチが太陽神であった事を想起させる事ともなり、アマテラスを太陽神と掲げる新生した大和にとっては極めて都合の悪い事であった。


  《火切り》

オオクニヌシ(大国主)に太陽神としての性格があった事を示唆するような逸話が古事記にはあります。
最後にそれを紹介します

国譲りすることを決めたオオクニヌシ(大国主)は「立派な宮殿を造って私を祭ってくれ」と言い残しこの世をさります。
そこで水戸神(ミナトノカミ)の孫である櫛八玉神(クシヤタマノカミ)がオオクニヌシに火切りの神事を施し祝詞を上奏します。
「ここに私の切る火は…(中略)…御饗を差し上げましょう。」

「火を切る」、これはオオクニヌシ(大国主)のひのかみ(日神、太陽神)としての性格を切るというまじないにも取れるかもしれません
この時、オオナムチ、オオモノヌシ(大物主)ともに、オオクニヌシ(大国主)に習合されてしまっていたため、三柱の神は太陽神としての性格を永遠に奪われたのかもしれません。