グー版・迷子の古事記

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気になったことだけ勝手に想像して勝手に納得しています

オオモノヌシとオオクニヌシ

2013年09月09日 | 古事記
オオモノヌシとツクヨミの血脈にネコ(根子)がいることは以前話しました。
そしてどうやら、次の事を導けそうです

・ネコ(根子) … 月の御子
・ヒコ(日子) … 太陽の御子

当ブログ ネコ(根子) 参照下さい

ここで疑問に思われる方もいると思います。
オオモノヌシの血脈が、月の御子?
オオモノヌシと言えば三輪山の神様、三輪山と言えば古代太陽信仰の形跡があったのではと指摘される山(山全体が御神体)です。

今回はその謎を解明していきたいと思います

  《オオモノヌシ》

オオモノヌシ(大物主)の血脈に月の御子がいるならば、オオモノヌシ(大物主)に月神としての性格が備わっていなければなりません。
私もオオモノヌシ(大物主)には太陽神としての性格が元来備わっていたものと思っていますが、オオモノヌシ(大物主)の信仰の初期段階においては月神の性格は無かったものと思っています。
では何故オオモノヌシに月神としての性格が備わったのでしょうか?
興味深い事柄が古事記に記してあります

オオクニヌシ(大国主)がスクナヒコナと共に国作りをした後、スクナヒコナは去ってしまいます。そこでオオクニヌシ(大国主)が嘆いてると、

「我は汝の幸魂奇魂(さきみたまくしみたま)である。もし私を祭りあがめるならば、一緒になってこの国の経営をしてやってもよい。そうしなければ、この国はうまく治まらないだろう」

とオオクニヌシ(大国主)におっしゃる神様が出てきます。
その神様がオオモノヌシ(大物主)です。

出雲のオオクニヌシ(大国主)に大和のオオモノヌシ(大物主)が、私はお前の一面である、力を貸すぞと言ってきたのです。
この事は何を意味するのでしょう?
私は出雲による大和の併合だと考えています
出雲と大和の併合により一つとなった両勢力はそれぞれの最高神を同時に祭ったかもしれません。
また、この併合と最高神の同時祭祀を暗示するような事柄が古事記に記載してあります。
それが、第7代~第9代天皇の名前です。

第7代・孝霊天皇 - 大日本根子彦太瓊天皇
第8代・孝元天皇 - 大日本根子彦国牽天皇
第9代・開化天皇 - 稚日本根子彦大日日天皇

第7代~第9代の天皇名にだけ見られるネコヒコ(根子日子)です。
第6代まで日子(日の御子)と名乗っていたのに、第7代~第9代は根子日子(根の御子、日の御子)と名乗っているのです。
この事は、第7代天皇即位時に二つの勢力が一つになった事を意味していそうです
当ブログ ネコ(根子) 参照下さい

  《オオクニヌシ》

オオクニヌシ(大国主)の出雲とオオモノヌシ(大物主)の大和の二つの勢力の合併は、オオクニヌシ(大国主)の神話から推測すると、出雲主導で行われた合併であったように思われます。

・兄弟に追われた大国主を母神が木の国へ逃そうとする
・大国主の祖、スサノヲが八岐大蛇(越の神霊)を退治する

古代出雲は少なくとも出雲から木の国(和歌山)、越(北陸)に渡る広範囲を勢力下に治めていたものと思われます。

オオモノヌシ(大物主)が日(太陽神)、オオクニヌシ(大国主)が根とするとオオクニヌシ(大国主)に根(月神)の性格はあったのでしょうか?

オオクニヌシ(大国主)はスサノヲの血脈です。
スサノヲと言えば、母神(イザナミ)のいる黄泉(夜見)へ行き黄泉の神様になりました。
また、ツクヨミとスサノヲが記紀(古事記と日本書紀)で同一の逸話を持っています。
ここで関係ある出雲の神様を整理して見ましょう

・ツクヨミ…月の神様、(ツキ)(ヨミ)からも分かるように月の神霊を表し、同時に夜の神霊も表す。

・イザナミ…黄泉大神(ヨモツオオカミ)、その名の通り黄泉の神様です。

・スサノヲ…母神イザナミの元へ赴き黄泉の神様となります。記紀でツクヨミと同じ逸話を持つ。

・オオクニヌシ…スサノヲの血脈

ヨミ(黄泉、夜見)とは夜の神霊を意味します。
また黄泉の国は根の堅国とも言われます。古代においては夜の世界と暗黒の地底世界が同じ世界だと理解されいたようです。
そして夜の神様は地底世界(根の堅国)の神様(死の神様)とも同一視されています。
この黄泉の国(根の堅国)と対象をなすものが高天原、アマツクニです。

以上のことから、スサノヲの血を引くオオクニヌシ(大国主)には当然、根としての性格が備わっていたものと思われます。
そして、出雲と大和の合併によりオオクニヌシ(大国主)と同一神とされてしまったオオモノヌシ(大物主)にも根としての性格が付加されてしまったと言う事でしょう

  《オオクニヌシとオオモノヌシのその後》

古代太陽神として祭られていたオオモノヌシ(大物主)は出雲によるオオクニヌシ(大国主)との集合により、オオクニヌシ(大国主)に吸収され、オオクニヌシ(大国主)は太陽神、月神として全てを統べる神となったのでしょう。
もしかするとこの時、大和の太陽神だったオオモノヌシ(大物主)は本来の名前を改められオオモノヌシ(大物主)という名前を与えられたかもしれません

オオモノヌシ = (オオ)(モノ)(ヌシ)
全ての神霊の主という意味に取れます。

またオオクニヌシ(大国主)と言う名前もこの時付けられたものかもしれません。

オオクニヌシ = (オオ)(クニ)(ヌシ)
アマツクニ(高天原)、ネノカタスクニ(黄泉)、ナカツクニ(日本)の全てを治めた主という意味にも取れそうです。
 
しかしその後、崇神天皇により天皇名のネコヒコ(根子日子)は改められヒコ(日子)に戻された時にオオクニヌシ(大国主)はクニツカミを統べる神様、オオモノヌシ(大物主)はオオクニヌシ(大国主)の幸魂、奇魂となったのでしょう。
もしかするとこの時、新しい太陽神が生まれ出たのかもしれません

シコ集団と五行

2013年09月08日 | 古事記
まず、シコ集団とは何か?
シコ集団…名前にシコ(色許)がつく集団
当ブログ 色許とは? 参照下さい

このシコ集団、崇神天皇の時代から名前にシコ(色許)を使わなくなります。
何故、使わなくなったのでしょう?
今回はそんな話です

  《神霊を表す言葉と五行》

神霊を表す言葉を当ブログでは(チ)(ミ)(ヒ)(キ)の4種類と定義しました。
(当ブログ アラハバキ 勝手に考証 を参照ください)

・(チ)…魑、外来語。
・(ミ)…魅、外来語。
・(ヒ)…日、和語。
・(キ)…木、和語。

4種類の言葉を定義しましたが、五行が古代日本に入ってきた時に5種類の分類が成立した可能性はかなり高いと思います。
そこでまずは、各々の神霊名を五行配当してみました

・(チ)…地より土気
・(ミ)…水より水気
・(ヒ)…火より火気
・(キ)…木より木気

金気が足りないのです
金気の特性…死、西、白色、金属色など。
そこで 死(シ) が5番目の神霊名になるのでは?と考えました

  《神霊を表す(シ)》

(シ)を神霊名に使う神様はそれほど多くありません。
しかし、その意義(死)に見合う神様がいました。
ヨモツシコメ(黄泉色許女)です。
早速、分解してみましょう。

ヨモツシコメ = (ヨモツ)(シ)(コ)(メ)
 =黄泉死子女

黄泉(死の国)の死の神霊の子女と訳せます。

ここでは(シ)で死の神霊と訳しました。
縄文と関係が深いとされるアイヌ語では現在でも実体と霊体を同一の言葉で表現します。そのため、当ブログでも古代神を考える上で、古い神様であればあるほど実体と霊体を一つの言葉として解釈しています。
当ブログ アラハバキ勝手に考察 参照下さい

神霊名(チ)(ミ)(ヒ)(キ)についても同様で、実体と霊体を表します。

神霊名(シ)はもちろん金気(五行)で死の神霊を表しますが、
その「死」の文字と発音はどういったものでしょう?

死…(音)シ (訓)しぬ

・文字は当然漢字ですから外来語です。
・(音)シ…音読みであるため、当然外来語です、原住日本人が使っていた言葉ではなさそうです。
・(訓)しぬ…(音)シの活用形のようです。原住日本人が使っていた「死」を意味する言葉ではなさそうです。

と言う事は、古代語(シ)に「死」の意味が付加されたのは渡来人による可能性が高そうです

古事記の中ではこの(シ)を神霊名に使う神様は、ヨモツシコメ、アシハラシコヲなど数少ないです。
しかし、人名には沢山出てきます。
それがシコ集団の人たちです。
そしてシコ集団の人たちが(シコ)=(日子)のつもりで使っていた可能性はこの間述べました。
当ブログ 色許とは? 参照下さい

今までの事から次の様な事が浮かび上がってきそうです。

・神霊名(シ)は比較的新しく、しかも大和で五行が取り入れられる様になった頃、シコ集団に対して使われた。
・大和で五行が取り入れる様になった時期とは、崇神天皇の時期ではないでしょうか
・そして(シ)に「死」の意味が付加されシコ(色許)の名前は使われなくなったのでしょう。(シコ→死子→死の神霊の子となるため)

今回興味深い結論が出ました…
余は満足じゃ

色許とは?

2013年09月07日 | 古事記
  《シコ(色許)》

古事記の現代訳では醜いという意味でよく訳されています。
確かにそう取られても仕方のない神様にもついている名前なのですが…

・ヨモツシコメ…黄泉の女神(死の国の女神)
・アシハラシコヲ…スセリビメが父・スサノヲにオオクニヌシを紹介した時にスサノヲがオオクニヌシの事をアシハラシコヲ(醜い奴)と呼んだとされる。
娘が男を連れてきたら、お父さんとしては仕方ない反応だともとれます

でも醜いと訳すだけで本当にいいの?古代の人名にも沢山使われているのです。男の名前にも女の名前にも…
古事記を最初に読んだ時からの疑問でした。

中世、子供が成長するまで現在では在りえない様な名前をつけて悪霊から守ることもされていたようです。でもそれも、大人になる前の名前、大人になったらちゃんとした名前に変えていました。
シコ(色許)という名前が人名に使われた当時、そういう風習があったかどうかも分かりませんが、大人になってまでシコ(色許)を使うものだろうか?
またシコ(色許)の名前がつく神様の子孫だからという理由でつけたとも取れるかもしれませんが、自分達の祖神・祖先を醜いとわざわざ言うでしょうか?
何か納得しきれないモヤモヤしたものがあります
そしてどうやら、このシコ(色許)を人名に使う人たちは限られた集団であるようです。

  《アイヌ語との関連性》

前々回の (アラハバキ 勝手に考察) で少し触れましたが、
アイヌ語では (ヒ) と言う発音を使わない、或いは過去使わなかった可能性がありそうです。
ただ自分はアイヌのネイティブでは無いので自信をもって言えないのが辛いところです
飽くまでもこれから書くことは「古代アイヌ語は(ヒ)を使わない」という事を前提で読んでいただければと思います。


  《関東地方の方言》

関東地方、特に東京下町、東京周辺の下町では現在でも (ヒ)を(シ) と発音する所があるようです。

例 ヒコウキ → シコウキ
  シオヒガリ → シオシガリ

そろそろ何が言いたいのか、気付かれている事と思います。

・蝦夷とも関連付けられることもあるアイヌ … (ヒ)の使用が稀
(前々回の アラハバキ 勝手に考察 を読んで頂ければ理解しやすいかも)
・関東の下町に残る (ヒ)を使用せず(シ)を使用する文化
・そして名前に(シコ)をつけた出雲の中の限られた集団

そうなると次の様な答えが導けるかもしれません

シコ(色許) = ヒコ(日子)

これならば名前に(シコ)をつけるのもうなづけます。
もちろん当時、漢字はありませんから、(シコ)に(色許)と当て字がされたのは(シコ)の集団の力の衰退が原因だと取れるかもしれません。

またアイヌ語との関連からこの(シコ)集団は原住日本人で後に関東へ移動した、或いは長い縄文時代の間に出雲から関東まで広がっていたといえるのかもしれません。

(シコ)集団が原住日本人であるかどうかは、アイヌ語との関連性もあるため不透明ではありますが、(シコ)集団の関東への移動が確認出来れば、

シコ = ヒコ

の証明の一部分にはなりそうです

  《シコ集団の祖》

前回登場したウツシコヲ(内許男)がどうやらそれにあたりそうです。
権力闘争で勝利した側の崇神天皇とオオビコのバックにいた黒幕です。

この集団は武内宿禰、蘇我氏(ウツシコヲの娘の系図)などを排出し大和の政治を後ろから操っていたようですが、記紀の編集より少し前にあたる乙巳の変で有力者・蘇我入鹿が殺されたため権力を失います。
この事が、シコ→色許 になった原因かもしれません。

また、先ほど示したようにシコ=ヒコだとすると

ウツシコヲ = ウツヒコヲ(ウツ日子王orウツ日子男) となり古代王族を示すものかもしれません

そうなるともう一人気になる人物が浮かび上がってきます。
第8代孝元天皇の系図にウツシコヲと共に書かれているウヅヒコです。

ウツシコヲ = ウツヒコヲ ≒ ウヅヒコ

  《ウヅヒコ・宇豆比古》

木の国造、古事記ではこの表記しかありません。
しかしもう少し調べてみると面白そうな資料があります。

木の国の国造と言えば紀氏ですが、紀氏と言えば天皇家と同属とも言われています。
その紀氏が木の国造となったのがどうやら前回書いた崇神天皇の権力闘争の頃の様なのです。
当ブログ ネコ(根子) 参照下さい

『紀伊続風土記』によると、神武天皇の畿内平定ののちに紀伊の国造に封じられた天道根命(あめのみちねのみこと)の嫡流であるとされる。
  (ウィキペディア)

↑の資料では初代神武天皇の時代に木の国造となったとありますが、
紀氏の系図では武内宿禰(シコ集団、ウツシコヲの娘の系列)を祖としているため、矛盾が生じます。

理由…武内宿禰は崇神天皇前後の人

どうやら全ての鍵は崇神天皇の周辺にありそうです
今回、シコ = ヒコ の可能性を証明するためだったので、これ以上突っ込むのは止めときます

シコ集団の力が弱まった後、記紀が編纂されたため(シコ)→(色許)となり、紀氏の木の国造に封じられた時期が 崇神→神武 になったのかもしれません。

ネコ(根子)

2013年09月06日 | 古事記
猫だと思ってみてくれた方ごめんなさい
根子の話です

古事記ではオオモノヌシが祟り神として一番恐れられています。
そこでオオモノヌシの周辺を探ってみると気になることを見つけました。
ネコ(根子)です

  《オオタタネコ》

第10代崇神天皇の御世疫病が流行して人々が次々と死んでいました。
天皇は嘆き悲しみ神殿で祈願し、そのままそこで眠っていると夢にオオモノヌシが現れました。
「今流行っている病は自分のしわざである。オオタタネコに命じて自分を祭らせるなら、祟りは収まるだろう」

このオオタタネコ、オオモノヌシの末裔でタケミカヅチの子供。
ここで疑問に思う方もいると思います。
タケミカヅチと言えば国譲りでオオクニヌシ一族を掃討したアマツカミです。
しかしここではオオモノヌシ(オオクニヌシの幸魂)の曾孫として出てくるのです。

オオモノヌシはクニツカミですから当然オオモノヌシの系図はクニツカミで間違いないはずです。
ということは、タケミカヅチは本当はアマツカミなのか?クニツカミなのか?
この話は長くなりそうなので

オオタタネコにもどります。
漢字で書くと 大田田根子 意富多々泥古となります。
根子ですから、根の子でクニツカミの子、或いは根の国の子という意味になりそうです。
このネコ(根子)、崇神天皇の時代とその周辺で特に良くみられる名前です。
実在した最初の天皇と言われることもある第10代崇神天皇です。

  《崇神天皇》

何故、最初の天皇と言われるのかというと第2代~第9代天皇(欠史八代)までが逸話がなく、初代・神武天皇と10代崇神天皇の名前に「ハツクニシラス」という共通点があるためなのだそうです。
厳密には第2代にも逸話あるんだけどね(初代の項でだけど…)
自分は欠史八代も実在の天皇だと考えています。
あまりに嘘っぱちの歴史を天皇家の都合のいいように勝手に作っても、周りの豪族を敵に回すだけだと思うしね

でも、崇神天皇が即位する時に何かしら権力闘争があったらしい痕跡は見つけることができるのです。

そしてそこに、どうやらネコ(根子)が関係していそうなのです。

  《欠史八代》

第7代・孝霊天皇 - 大日本根子彦太瓊天皇
第8代・孝元天皇 - 大日本根子彦国牽天皇
第9代・開化天皇 - 稚日本根子彦大日日天皇

この7代~9代の天皇にだけネコ(根子)がつきネコヒコとなりますが、第10代崇神の時に第6代まで同様ネコ(根子)が消されヒコだけになってしまいます。
また、6代までと比べ7代から急激に系図の数が増えます。
この事は、出雲の力を借りた中央政権の政治的安定を示すものかもしれません。

・ネコヒコ (根子彦)=(根子日子)
ネ(根)は根之堅州國(黄泉の国・夜見の国)
根之堅州國(根の国)は出雲の影と言っても過言ではないでしょう。

ヒ(日)を太陽と取ればネ(根)は月を示し、
ヒ(日)をアマツカミと取ればネ(根)はクニツカミを示します。

第7代~第9代の天皇はネコヒコで、
我は日の御子・月の御子、アマツカミの子・クニツカミの子、と宣言しているようなものです。

第7代孝霊天皇の時に出雲の勢力の影響を多大に受け出雲の傀儡政権となったが、第10代崇神の時には天皇の力が強まり、日子(日の御子)という本来の名前に戻せたと言えるかもしれません。

では何故、崇神の時に天皇は力を取り戻せたのか?
そこにはどうやら、出雲の内部抗争があったような形跡があります

登場人物
・崇神天皇…母方の父・ウツシコヲ(内色許男)
・オオビコ(孝元天皇の第一御子)…母方の兄・ウツシコヲ(内色許男)
・タケハニヤス王(孝元天皇の御子)…母方の父・河内の青玉

オオビコは崇神天皇の不安をあおったため、崇神天皇はタケハニヤス王へオオビコの兵を送り込み滅ぼします。もしかすると、崇神・オオビコに共通の後ろ盾だったと思われるウツシコヲの策略だったのかもしれません。

また、タケハニヤス王は「王」がついているので皇位継承権をもっていたでしょう。
タケハニヤス王の母方の父・青玉は当時権力を持っていたのかもしれません。
しかし、権力者としては中途半端な名前です。
青玉の玉は勾玉の玉を意味しているものと思われます。
当時勾玉造りで有名だったのは出雲の玉造(現在玉造温泉がある所です)
そうなると、青玉は出雲玉造の重要人物の可能性が高そうです。
また、崇神天皇&オオビコの後ろ盾と思われるウツシコヲ(内色許男)は色許男という名前からこちらも出雲と関係が深そうです。
そうなるとこの権力闘争は

青玉 vs ウツシコヲ 

となりそうです。
ネコ(根子)が歴史から消された時期と重なるため、青玉の本当の名前も消されたのかもしれません。

  《壱岐真根子》

壱岐の県の祖(日本書紀)
武内宿禰(孝元天皇の孫)の身代わりとなり自刃
壱岐氏は祖神としてツクヨミを祭っているのでネコ(根子)でツクヨミの御子と名乗ったのかもしれません。

  《白髪根子》

清寧天皇(白髪大倭根子命)
生まれながらに白髪であった為、父雄略天皇が霊威を感じ皇太子とする。
白髪は白色(金気)、雄略天皇が感じた霊威とは金気の神であったのでしょう。
そのため、根子となったと思われます。
どうやら根(ネ)には神霊を表す意味もありそうです

  《その他のネコ》

・根子集落
平家落人や源義経の家来が開いたともされるが定かではない。
マタギの里として有名。
根子番楽…国重要無形民俗文化財
 曽我兄弟という舞があるが、出雲・曽我との関係は不明。

  《ナガスネヒコ》
ネコヒコに気付いてから、これはもしかして?と考えています。
長洲根日子ととれるかもしれません。
そうなると…

大八洲根子日子 或いは 中津国根子日子 或いは大日本根子日子

を意味しそうです。
思いっきり第7代~第9代天皇とかぶってきますね

オオモノヌシの血脈が根子、ツクヨミの血脈も根子、そして金気の神も根子。
まだ、ここまでですが。この2柱の神の間にはまだ隠された秘密がありそうです
ちなみに猫と月に関する逸話などは見つかりませんでした。
猫が船のネズミ捕りから陸で飼われるようになった頃には根子は忘れられてしまったのかもしれません