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イロイロ。。。

   四国 愛媛の松山に住んでます

道後散策 ~宝厳寺~

2011-01-17 17:38:21 | お出掛け(愛媛)





一遍上人誕生旧跡


一遍上人御真筆


山門


本堂


山号は豊国山
この寺に安置されている木造の一遍上人立像は室町時代の傑作で重要文化財


観音堂


旅衣 木のねかやのねいつくにか 身のすてられぬところあるべき  一遍上人

正応2年、淡路で病悩をおして巡行した時の作で
念仏をすすめてまわる苦しみなど、ものの数ではないとの意


色里や 十歩はなれて秋の風  正岡子規

明治28年10月5日、快晴の日曜日だったので、子規は同居の漱石と道後へ吟行
その日の事を記した『散策集』に「宝厳寺の山門に腰うちかけて」と前書きしてこの句がある


あかあかと一本の道通りたり 霊剋(たまきわ)るわが命なりけり  斉藤茂吉

当寺とのかかわりは昭和12年5月12日に茂吉が参拝した事による
歌人山上次郎氏は茂吉の遺髪を受けてここにおさめた 
文字は茂吉の自筆




このお寺は、もと松ヶ枝町遊廓のあったネオン坂を上りつめた所にある
見下ろしてみたら少しだけ名残りが残っていた

つづく。。。

(2011年1月10日撮影)
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宝厳寺 (tona)
2011-01-18 09:06:50
以前一遍上人の本を読んで、記事にしたような記憶があるのですが、ここが生誕の地だったとは感慨深いです。
やはり読んだだけでなく画像で見ることがどれだけ重要かわかりました。それも知っている方だとことさらです。
>念仏をすすめてまわる苦しみなど、ものの数ではない・・・とは凄い情念、感動です。
素晴らしい直筆も拝見できました。

また、子規や漱石、斎藤茂吉もここのお寺に詣でたなんて、名刹なのですね。
絶対に行かれないのでありがたいです。
返信する
一編上人 (オヤジな私)
2011-01-18 11:00:33
tonaさんもおっしゃてますが、凄いですね。
念仏をすすめてまわるなど、ものの数ではない・・
負を抱えながらのこの言葉。
すべての人たちに勇気を与えます。

少々の腰痛で出不精になりがちだった私にも、いい刺激をいただきました。
ご紹介ありがとうございました。
返信する
一編上人 (pochiko)
2011-01-18 23:30:28
言葉だけは知っていたのですが、なんたるかをググってみましたが
仏教の事は奥が深すぎて、理解する事は難しいかな^^;
でも「捨ててこそ」の言葉の一遍上人
すべてを捨て去っていく為に
一遍上人は片時も留まることなく諸国を歩き続けていたとありました。

仏閣の造りは素晴らしいものですね。
こちらには見られないような造りを興味深く見せていただきました。

頭二つのお地蔵さまは、可愛いんですけど
何か謂れがありそうですね^^
遊郭はどこの町にもあったようで
こちらにも遊郭名残りの町がありますよ。
返信する
一遍上人 (ポージィ)
2011-01-19 09:33:39
「踊り念仏」しか知識が無くて… 検索してみましたが難しい(>_<)
松山のご出身。皇族や貴族といった高貴な方々だけのものだった
仏教を、庶民に広めたお一人なんですね。
今自分の立場で考えると、踊りながら南無阿弥陀仏を唱えて
救われるという感覚がぴんときませんが、当時の一般民衆に
とって大いなる救いをもたらし、生き方の導ともなり安らぎを
もたらしたのだろうと想像します。
お寺は歴史感あり、また大切にされてきているのがよく分かります。
返信する
コメントありがとうございました (ちょびママ)
2011-01-19 14:59:27
★tonaさんへ

私もあの言葉には心打たれました。
以前、彼岸花の群生地をUPしたの覚えてらっしゃいますか?
今回記事にするので調べてたら、何と、あの場所に小さな閑室を持ち
そこにこもって3年もの間、修行していたそうです。
今の時期なら彼岸花もなく人がくる事もないだろうから
一度、ゆっくりと訪ねてみようかと思ってるんですよ。
このお寺も道後温泉からすぐなんですけどね、訪れる人は非常に少ないようです。
でも、そのひっそりとした感じが何とも居心地良くってね。
小さなお寺なんですけどつい長居してしまいました。
長居してる間に人を見たのは2人だけでしたが、やはりその方たちも長居してました(笑)

★オヤジな私さんへ

ね、あの言葉には凄まじさを感じますよね。
私のような凡人でも、修行に修行を重ねると、その境地に達せるんでしょうか?
いや、間違いなく無理でしょうねぇ。。。
でも、その言葉から何かしら感じ取れるものはありますよね。
何かあっても「まだまだ~!」って気持ちを奮い立たせそうです。
あ、オヤジさん、少々の腰痛じゃないですからね、決して無理はなさらないで~!
その心意気で鼻息荒く、お体と相談しながらでお願いしますよ~(心配です)
でも元気になって良かった♪

★pochikoさんへ

私も地元民でありながら詳しいことはほとんど知らず。。。って感じでした。
今回記事にするので慌てて調べたって有り様でして(^_^;)
それでもよく分かんないんですけどね。
自分の寺も持たず、全てを捨て去る。。。っとの事なんですが妻子は?って気になって。
で、調べたら初めは妻子を連れて旅をしてたみたいです。
ちょっと人間くさい部分が見られたようで微笑ましかったです。
が、やはり妻子も捨てちゃったようです。
本当に何もかも捨て去ったんですねぇ、己の心まで捨てさったって感じでしょうか?
何と言う生涯なんでしょう( ̄~ ̄;)
頭2つのお地蔵様、私も気になって写真撮ったんですよぉ
住職さんでもいらしたら聞きたかったです。
道後という温泉街の土地柄のせいもある遊郭ですが
寺の参道が遊郭っていうのはちょっと珍しいと思いません?
私が子供の頃はもっと名残りが残ってて、その先にお寺があるって不思議な感じがしました。

★ポージィさんへ

一遍上人の名はよく聞くけど、詳しいことは何一つ知らなくて今回慌てて調べました(汗)
ただ、松山出身ってのは知ってました(って地元民がその程度でどうするっ!ですよねぇ)
調べたけど、難しい事は分かんないっていうか頭に入りませんでした。
昔は庶民が「南無阿弥陀仏」と唱えるだけでもいけなかったそうです。
今現在、私たちは当たり前に口にしてますが、当時はすごい時代だったんですねぇ
庶民たちがすがれるものを与えたっていうのが救いになったのかもしれませんね。
踊りながらっていうのが私も不思議ではあるのですが( ̄~ ̄;)うーむ
注目を集めるとか、難しく考えないでいいんだよっていうアピールもあったのかしらん?
小さなお寺なんですけどね、ゴミひとつなくキレイに掃き清められてました。
坂の下は人がたくさん通ってるのに、この坂を上がってくる人は稀で。。。
何か忘れ去られたような時間と空間の中にいるような気になりました。
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