きらり!(^^)!

子どもたちの限りない可能性を求めて!

堂々と受賞(^_^)v~全校生徒の前で~

2019-06-25 19:44:39 | バスケットボール
今朝の朝会で先日の学総の表彰がありました。9名の3年生が登壇し、優勝の賞状をヨウジロウ、優勝カップをリュウタ、ウイニングボールをダイキが受け取り、そのあと9名の3年生が一人一人校長先生から賞状を受け取りました。また、1・2年生は起立し、全校生徒の前で大きな拍手をもらいました。
部員全員の晴れやかな表情と堂々とした態度誇らしかったです。
この気持ちを県大会まで継続です

地元の大学の活躍が嬉しい~東京国際大学・駅伝~

2019-06-24 20:58:54 | ふるさと
東京国際大がトップ通過で初出場、明、早、日体、中央学院も伊勢路へ 全日本大学駅伝関東地区選考会

6/24(月) 14:52配信 ・4years.

第51回全日本大学駅伝対校選手権 関東地区選考会
6月23日@神奈川・相模原ギオンスタジアム
1位 東京国際大 3時間57分13秒15
2位 明治大 3時間57分26秒03
3位 早稲田大 3時間58分46秒84
4位 日体大 3時間59分29秒30
5位 中央学院大 3時間59分53秒89
6位 中央大 4時間0分11秒12
7位 山梨学院大 4時間0分31秒56
8位 日本大 4時間1分15秒62

第51回全日本大学駅伝(11月3日)出場をかけた関東地区選考会が6月23日に開かれた。20校が参加、各8人の10000m合計タイムで競い、東京国際大が1位で初の本大会出場を決めた。2位の明治大は12大会連続13回目、3位の早稲田大は13大会連続25回目、4位の日体大は2大会連続41回目、5位の中央学院大は7大会連続13回目の出場が決まった。関東地区は前回の全日本で8位以内に入った青山学院大、東海大、東洋大、駒澤大、帝京大、國學院大、法政大、城西大がシードされ、今年1月の箱根駅伝8位の順天堂大と、9位の拓殖大も関東学連の推薦で出場権を持っている。

うれし涙と悔し涙と半々

【東京国際大・伊藤達彦の話】
「うれしいです。やっと出られました。いつもは1組から10何位のスタートだったんですけど、今日は3年生の二人がうまく走ってくれて、『もう大丈夫だ』と思いました。持ちタイムがよかったので、トップ通過を狙おうという話をしてました。僕ら4年生の代が一番強いと思ってます。4年生がチームを引っ張っていく中で、全員が伸びてます。個人的には4組の日本人トップを狙ってたので、すごく悔しいです。うれし涙と悔し涙と半々です(笑)」

男バス自分史Ⅰ

2019-06-23 17:18:22 | バスケットボール
男バスの顧問になってからだいぶ長い年数となったので、自分が関わってきたチームのことをここで少し振り返ってみることにしました。
2012~13年チーム・部長はユウヒ。夏季リーグと新人戦は3位。冬季リーグと学総は優勝そして県大会へ出場。その他チャリティーカップ優勝、栃木遠征を経験。
2013~14年チーム・部長はヒデ。県選抜のヒデはいましたが、3年生が少なく、2年生は全員バスケ初心者だったので大きな戦績は残せませんでしたが、最終的には学総ではベスト8入りは見事でした。
2014~15年チーム・部長はミキト。1年生大会と夏季リーグと新人戦は3位。初心者チームでしたが、西部地区大会でベスト16入りはあっぱれ! 最後の学総で4Q残り2分半で25点差を3点差まで追い上げた試合は脳裏に焼き付いています。
2015~16年チーム・部長はケイスケ。どの大会でもベスト8。安定したチームでしたが、クジ運に恵まれずベスト4入りは果たせませんでしたが、川越カップで東京のベスト4の強豪と1点差ゲームで4位はベストゲームだったように思います。

2016以降についてはまた後日。

歴史的な瞬間(^_^)v~夢の実現へ~

2019-06-21 18:33:59 | バスケットボール
八村塁、NBAドラフト9位指名の快挙。夢を描いた中学時代からの成長の足跡

6/21(金) 11:35配信 ・月刊バレーボール&月刊バスケットボール

 2016年5月13日、成田空港に「ワクワクして仕方ないです」と、期待に胸をふくらませた八村塁がいた。シアトル行きの飛行機に乗って日本を発ったあの日から、1134日。密度の濃い3年間を経て一回りも二回りも成長した八村は、2019年6月21日、ワシントン・ウィザーズに1巡目9位指名を受け、新たな歴史を作り出した。

“Rui Hachimura!”
 名前が呼ばれた瞬間、うつむいていた八村は満面の笑みで顔を上げ、空を指さして立ち上がった。まずは一つ、小さな頃から夢見てきた「NBA選手になる」という目標をかなえた瞬間である。

 奥田中では全国大会で準優勝に導いた

 初心者だった中学時代からNBAを目指す

 NBA――それは八村が、バスケットボールを始めた頃から意識してきたことだった。奥田中の坂本コーチは、初心者だった八村に何度も「NBA選手になれ」と言っていたという。ただ、坂本穣治コーチはその意図について、「八村は初心者でしたし、正直、上手ではなかったんです。当たり前ですがボールハンドリングはできないし、最初はフットワークにもついていけませんでした。陸上をやっていたせいか、足が速くても止まれなくて、ボールを持ってもトラベリングばかり。だから最初は『バスケットが嫌いになってしまうのではないか』と心配して、NBAの映像や雑誌を見せて『NBA選手になれ』と言っていたんです」と明かす。そのため、ゴンザガ大でエースとして活躍した八村について、「こんな言い方をしたら彼に失礼かもしれませんが(笑)、まさか本当にこんなふうにアメリカで活躍するとは…」と、信じられない様子だった。

明成高時代はウインターカップ3連覇を果たす

 子猫からタイガーへ。精神的に飛躍をとげた高校・大学時代

 奥田中を卒業後、八村は明成高校、そしてゴンザガ大学へと、一足飛びに成長を遂げてきた。とりわけこの6年間で、大きく変わったのは“気持ち”の面だ。高校3年間を終えたとき、「バスケットボールの技術ももちろんですが、佐藤久夫先生というすばらしい先生から“気持ち”の重要さをすごく教えてもらいました」と話していた八村。そして大学でも、ゴンザガ大のマーク・フューヘッドコーチから常々「タイガーになれ!」とアグレッシブさを求められ、八村は「今までいろいろな経験をしてきて、自分の持ち味ややるべきことが大体分かってきたので。それで自分に自信がどんどん付いてきている」と、“自信”を身に付けエースとして活躍。フューHCは「アメリカに来た頃、ルイは子猫のようだったけど、今はタイガーだ!」と、3年間の成長に目を細めていた。

 いよいよ、日本の至宝・八村がNBAの舞台に足を踏み入れる。日本中が大騒ぎとなっているが、八村はそんな熱狂に決してのぼせず、“NBA選手になる”ことからさらに一歩先、“NBAで活躍する”ことを見据えているだろう。これまでも、常に自らの物差しで冷静に現在地を見定め、目標への道筋を逆算してやるべきことを遂行してきた八村。ドラフト会議について前日、「呼ばれて握手するだけ」と冷静にコメントしていたことも実に彼らしかった。八村が見据える夢への道のりは、まだまだ始まったばかりなのかもしれない。