今回、このブログを書くにあたって、カテゴリをあえて「普通の日常」にしました。

高校生のとき、やはり、大切な友人をガンで亡くし、当分の間日常の何気ない瞬間にふと思い出しては涙が出ていましたが、そのときの感覚に今大変似ています。
祖母や祖父が亡くなったときの喪失感とはどこか違う。
わるいけど、おじいちゃん、おばあちゃんって、「いつかは亡くなる」と覚悟のようなものが小さな頃からやっぱりあって。
家族で話すときも楽しい思い出ばかり。
病気で苦しんでいたときもあったのに、どこか「寿命だったから・・」と家族も納得できていたからかもしれない。
「信じられない」そんな思いがまだずっとずっと心の中を占領しています。
登録していない番号から、「この電話に折り返してください」という聞きなれた声でのメッセージ。
不思議に思いながらも、その日は会議だったので、終了してからすぐに掛けなおす。
その後、会場の駐車場で、回りの方に挨拶をしたのは覚えているが、どうやって帰ったかは思い出せない。
あとで確認すると、自分からは一人にだけメールを入れていた。着信もたくさんあったけど、結局、私の混乱した説明のせいで、場所が正確に伝わらず、時間に合わなかったひとが数人いた。ごめんなさい。
告別式の日、朝方、萩コミュから電話がかかってきた。
てっきり下関のことかと思ったら、別件だった。いつもだったら「いいですよ」と受けることでも、あまりにも現実的なことだったので、この事態においてなんだかひどくとんちんかんな気がして、「お断りします」と冷たく答えてしまった。
そして、このことを伝えるべきかどうか迷ったけど、もう、とてもそんな気にはならなかった。
この事態・・って、相手は私の気持ちなんて知る由もないのに。失礼なことをしてしまったかも。
高速道を飛ばして会場に向かう。降ってくる雨がみんなの涙のような気がして、悲しかった。
会場ではみんな目を真っ赤にして涙をこらえていた。「泣いちゃだめ」と言われたが、私はこらえることができなかった。
だけど、今こうして現実として書けるのは、あのとき、背中をぽんっ!と叩いてもらったから。
「泣くな!」と。
自分ひとりが深い深い海の底にいるような気持ちでいたけれど、もっと深いところにこの人はいる。
だけれどもその人が、私の目に、波間の光を見せてくれた。『出口のない海』のピアノの音とともに。
「泣いていてはいけないんだ」
背中を叩いてもらって気づくようではいけないけれど、残された私たちは「普通の日常」を生きていくことが大切なんだと。
「信じられない」のなら信じなくていい。だって私の中で彼女はずっと生きているのだから。
いつもどおりの「普通の日常」を生きることが、一番の供養になるはずだから。
だけど、当分は、ふと思い出して涙が出ても許してください。

高校生のとき、やはり、大切な友人をガンで亡くし、当分の間日常の何気ない瞬間にふと思い出しては涙が出ていましたが、そのときの感覚に今大変似ています。
祖母や祖父が亡くなったときの喪失感とはどこか違う。
わるいけど、おじいちゃん、おばあちゃんって、「いつかは亡くなる」と覚悟のようなものが小さな頃からやっぱりあって。
家族で話すときも楽しい思い出ばかり。
病気で苦しんでいたときもあったのに、どこか「寿命だったから・・」と家族も納得できていたからかもしれない。
「信じられない」そんな思いがまだずっとずっと心の中を占領しています。
登録していない番号から、「この電話に折り返してください」という聞きなれた声でのメッセージ。
不思議に思いながらも、その日は会議だったので、終了してからすぐに掛けなおす。
その後、会場の駐車場で、回りの方に挨拶をしたのは覚えているが、どうやって帰ったかは思い出せない。
あとで確認すると、自分からは一人にだけメールを入れていた。着信もたくさんあったけど、結局、私の混乱した説明のせいで、場所が正確に伝わらず、時間に合わなかったひとが数人いた。ごめんなさい。
告別式の日、朝方、萩コミュから電話がかかってきた。
てっきり下関のことかと思ったら、別件だった。いつもだったら「いいですよ」と受けることでも、あまりにも現実的なことだったので、この事態においてなんだかひどくとんちんかんな気がして、「お断りします」と冷たく答えてしまった。
そして、このことを伝えるべきかどうか迷ったけど、もう、とてもそんな気にはならなかった。
この事態・・って、相手は私の気持ちなんて知る由もないのに。失礼なことをしてしまったかも。
高速道を飛ばして会場に向かう。降ってくる雨がみんなの涙のような気がして、悲しかった。
会場ではみんな目を真っ赤にして涙をこらえていた。「泣いちゃだめ」と言われたが、私はこらえることができなかった。
だけど、今こうして現実として書けるのは、あのとき、背中をぽんっ!と叩いてもらったから。
「泣くな!」と。
自分ひとりが深い深い海の底にいるような気持ちでいたけれど、もっと深いところにこの人はいる。
だけれどもその人が、私の目に、波間の光を見せてくれた。『出口のない海』のピアノの音とともに。
「泣いていてはいけないんだ」
背中を叩いてもらって気づくようではいけないけれど、残された私たちは「普通の日常」を生きていくことが大切なんだと。
「信じられない」のなら信じなくていい。だって私の中で彼女はずっと生きているのだから。
いつもどおりの「普通の日常」を生きることが、一番の供養になるはずだから。
だけど、当分は、ふと思い出して涙が出ても許してください。