チルソククリニックは診療中◆お引越ししました

映画「チルソクの夏」は永遠です♪

『マイマイ新子と千年の魔法』関連講演会

2009-11-30 00:21:34 | マイマイ新子と千年の魔法
防府市文化財郷土資料館主催で、『マイマイ新子と千年の魔法』のエグゼクティブプロデューサ、マッドハウス丸田順悟社長の講演会がありました。(2009.11.27)



開催時間ギリギリに到着したんですけど、会場はもういっぱいで、こんなに興味のある人がいるのか?とびっくりしました。

社長さんは1963年生まれ。柳井市出身(実家はフラワーパークの近くだそう)。
大学を卒業してから映画関係のお仕事などをされていたそうなんですが、「世界に通用する仕事がしたい!」ということでアニメの世界に入られたそうです。

『マイマイ新子』との出会いは、新聞の書評に「赤毛のアンのような作品」と書かれていたのを読んで、『赤毛のアン』が大好きだったため、「それなら読んでみよう」と手に取ってみられたそうです。
実は髙樹のぶ子先生の作品を読むのはこれが初めてだったそう。

「心温まる作品をつくりたい」と思っていたところでの出会いだったそうで、また同時に「山口県に何か返したい」と思っていたこともあり、読んですぐに、権利獲得に。
「髙樹先生をどうやって口説いたんですか?」との会場からの質問にも、にこやかに答えていらっしゃいました。
それにしても、文学がアニメになること自体異例のことだと思います。
丸田社長の熱い思いがそれを実現させたのでしょう。

そして最後に、「この作品が1000年先にもずっと残るものとなって欲しい」と言われていました。

映画の中で、新子ちゃんは1000年前の清少納言の姿を想像しています。
1000年後の子どもたちが、そんな新子ちゃんのことを想像してくれたら・・

『マイマイ新子と千年の魔法』、ぜひ劇場でごらんください。


こちらは天神ピアで行われていた、『あぁ懐かしの大昭和展』で販売されていた特製ポン菓子です。
映画の中で新子ちゃんたちが食べていたお菓子です。

また昭和展では抽選で、『マイマイ新子と千年の魔法』グッズももらえました。(いろいろ欲しくて3回も行っちゃいました^^;)




防府天満宮 御神幸祭~裸坊祭~

2009-11-29 23:18:56 | 地元のこと
「昔、勝間の浦人は、優しく迎えてあげました」(勝間小学校の校歌の2番でこう歌われています)

このお祭り、菅原道真公が大宰府に左遷される途中に、防府の勝間の浦に寄港されたのが始まりです。


「兄弟わっしょい!」の掛け声をかけながら、裸坊たちが市内を歩きます。
例年いつもすごく冷え込むのですが、今年は比較的暖かく、そのせいか人出も多かったように思います。



本殿より、いよいよ御網代の登場です。
この御網代には、菅原道真公の御霊が宿るとされていて、重さは約500キロ。
大石段を滑り降りるときのドドドドという地響きは、かなりの迫力です。
裸坊たちはそれに触ろうとして、もう殺到しています。けんか腰のようで、ちょっと恐いくらいです。
(翌日の新聞記事によると、このとき4人の重傷者が出ているようです)

このあと御旅所までの約3キロを裸坊により運ばれていきます。
夜、暗い中、静かに進む行列はとても神秘的です。
神事のための馬も普通に道路を歩いて行きます。

御神幸を終えた御網代は再び防府天満宮へと帰り、回廊に奉安されます。

どうぞまたよい年が迎えられますように・・





『夢の中でないた』を観て

2009-11-28 15:03:56 | 気になるひと
現実に泣いてしまった・・

作品のタイトルの「ないた」は「泣いた」なのか「鳴いた」なのか、それとも「啼いた」なのか?
ワカラナイケド。

知らない人なのに、知り合いの誰かを見ているようだった。
いや、自分自身を見ているようだった。(性別も違うのに・・)

どうぞ、みなさまも彼の作品をご覧ください。

NHK デジスタ



周南映画祭~絆~ 終わって

2009-11-24 23:52:20 | 佐々部清監督
昨日までの3日間が、夢のようです。
今日からはすっかり日常ですが、やっぱり映画っていいですね。

実行委員のみなさんは、まだまだ残務整理などがおありだと思います。
どうぞお疲れがでませんように・・


さて、今回の映画祭では、『出口のない海』ゆかりの方々のビデオインタビューもありました。
劇場ではダイジェスト版が上映されたのですが、実は、ロビーではこうやってずっと流れていました。

遠くから来られていたチル友のみなさんとお話もしたかったのですが、ついついこの映像に見入ってしまっていて。
みなさんには失礼ばかりですみませんでした。


本当に内容の濃い、映画祭でした。
「来年もまた会えるとええねぇ」by郁子 の気持ちで、来年にこの『絆』が繋がることを願っています。

ありがとうございました。



周南映画祭~絆~ 最終日!

2009-11-23 22:22:57 | 佐々部清監督
最終日は、まさに『最秀美』でした~

もうDVDでしか観られないかも・・と思っていた『チルソクの夏』&『出口のない海』を、大きなスクリーンで観られるのかと思うと胸がいっぱいで、いろんなところの写真を撮るのをすっかり忘れていました。(汗)

映画館の前で、偶然佐々部監督と美術の福澤監督にもお会いしました。
『出口のない海』の本に、福澤監督にサインをお願いしました。
快く書いてくださいました。どうもありがとうございます。

これでこの本にはお二人の監督のサインが揃いました。


今日は映画上映のほかにも、ブレノンアッシュの篠原弘子さんのトークショーと、佐々部清監督・塩谷瞬さん・福澤勝弘監督のトークショーが開催されました。
私は後半のトークショーにだけしか行かれませんでしたが、会場は満員!みなさんの注目度の高さがわかります。

『出口のない海』を創られた方々の、生の声。一言一句聞き逃してはならないと、集中しました。
佐々部組の現場もものすごく集中しているそうですよ。

塩谷くんが「佐々部監督はじめ全部のスタッフさんがカメラの隣で芝居を見ているので、特に初日はものすごく緊張しました」と言われていました。
「テレビの番組など、けっこう関係ないスタッフさんなんかは、ちょっと離れたところで自分の仕事をしていたりとかあるので・・」とのこと。だからこんな現場は珍しいそうです。

トークの合間には、美術監督が作成された小物のひとつ、回天のハッチを開ける取っ手が塩谷くんに渡されました。
塩谷くんは「開けるのに本当に固かったんですよね」と、そのときの「重み」をかみ締めているようでした。そして「みなさんも触ってみたいでしょう?」と会場に渡してくださいました。

確かに「本物」だと思います。

佐々部監督は、2時間の大きな嘘をつくために、小さな本当を重ねていく・・と言われています。

映画の中で役者さんの後ろに映っているものは、全て美術さんの作品です。

本物ではないけれど、「本物」を作っていくのです。

回天も、本当は鉄で作る必要はないのかもしれない。でも「カンカンカン」のあの音は、鉄じゃないと出せない。
それに壊れた回天をさすりながら「俺の回天が・・うぅ」って、はりぼてじゃ観客に伝わりませんよね。
中も忠実に再現していると。ただし、当時の搭乗員は身長155センチくらいだったそうで、現代の若者の大きさだと入りきらない。だから体の大きさに比例して、実際のものより少しだけ大きくしているそうです。

潜水艦は長さ30メートルのものを作り、それをレールの上に乗せて、揺れるところは実際に揺らしている。こんなセット他では考えられないとのこと。
最初の長回しのシーンには、ぜひ注目したいところです。

また塩谷くんは本当はサッカー少年だったんですって。だから野球が大好きな設定に初めは戸惑ったそうです。
でも死ぬ気でキャッチボールの練習をしたそうですよ。

そして、今ではそのとき触れた野球の世界と、その後なにかと縁が感じられることが多々あり、見聞が広がったそうです。


話は尽きませんが、時間は限られていて・・ 残念です。

またみなさんのお話が聞ける機会があるとよいなと思います。
特に、監督や俳優さんはゲストで呼ばれることが多いけれども、美術ではこういう機会があまりないとか。
今回は本当に貴重な機会だったんですね。

こんな素敵な時間を過ごせて、周南映画祭に感謝です。

最後のクロージングでは実行委員長の小川さんも感動の涙。
せとうちフィルムパートナーズ代表のKさんも、その隣で目を真っ赤にしていました。
その姿を見ただけで、こちらももらい泣き。

最後は佐々部監督の「カーット!!」で幕を閉じました。

本当にありがとうございました。
来年も、また再来年も・・ ずっとこの絆が続くことを願っています。


さて、今日いただいたプレゼントは、シマヤ「ぶちうまい ふぐだしの素」とコーラ。
そして、『チルソクの夏』を鑑賞後に、巌流本舗さんより「巌流焼」が・・(幸せ~)