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友ちゃんブログ

適当で、いい加減・・・それが理想

夏の日の思い出 その3 ~校長室で指導~

2011年05月24日 02時33分19秒 | O村高校

前話は その1その2 でどうぞ。

 
 

さぁ、着替えて帰ろうとしていたら、誰かが(多分キャプテン平○)

「みんな校長室に来いって」

「え~えっ?」

「バレたとや?」

どうやら、口裏を合せた通りにはいかなかったようです。まぁ、仕方ないでしょう。

ボート小屋から大高まで自転車を走らせます。
校長室に呼ばれたわけですから、タダではすまないはず。
ペダルを踏む足は重かったに違いありません。

 

校長室にはボート部の顧問の先生(すみません。私は授業を受けたことが無く、お名前が分りません)が待っておられました。

「横に並べ!」
横一列に整列。

整列が終わるやいなや、先生はキャプテン平○の頭めがけ握り拳を1つ喰らわしました。

痛そうな音。

「報告(しろ)!」
「はい、~(省略)~」

残念ながら、先生のありがたいお言葉はまったく思い出せません。

『馬耳東風』 そんなもんでしょう。へへへ。

 

それよりハラハラしていたことが有ったんですよ。それは何かというと、

先生からきつい指導を受けている最中、私の横の羽○野は事もあろうか鼻くそをほじっているんですよ。しかも、皆は直立不動だというのに、彼の足は「休め」の姿勢。元々こんな事で悄気る様なヤツでは無いんですが、先生の更なる怒りを買うのではないかとヒヤヒヤしておりました。

どれくらい指導を受けていたのでしょうか。そして、先生はどういう言葉で締めくくられたのでしょうか?

とりあえず帰ってよしとなりました。中○と明日(日曜日)、中○のオヤジさんの船で大草までボートを取りに行く約束、そして、ボートを洗うからと集まる約束をして別れました。
帰宅したのは午後10時過ぎだったと思います。

 

我が家族は父の転勤で北海道の千歳でしたので、私は叔父の家にお世話になっていました。
叔父達に遅かった理由を説明すると、叔父、伯母は「そりゃ、お母さんが知ったら眠りきらっさんバイ。黙っとこ(黙っておこう)」と言いました。
「黙っとこ」というのは、私の母の性格をよく知る姉弟だからこその判断です。
母は心配性で、息子が謹慎になるかも知れん様な事をしでかしたと知ったら、夜も寝れず、居ても立っても居られず、千歳から飛んで帰ってくるに違いないと考えたからです。

 

さすがに疲れ果てましたね。
 

 

翌朝天候は快晴。海は見事なほどのべた凪。
中○のオヤジさんの船に乗船したのは中○と私の2人(だったと思う)
大草まで行ってボートをつなぎ、ボート小屋まで引いてもらいました。
そこには顧問の先生とボート部員の皆さんが待っていました。潮に浸かったボートを洗う為に先生の指示で集まっていたんだと思います。
タダでさえ申し訳ない気がしているのに、何と更に悪いことに、ボートは波によって岸辺の石に何度となく打ち突けられて破損していたのです。

 

確か招集が掛けてあったはずなのに仲間全員は集まっていません。何と無責任な!
そして集まった者も(何人か集まったのかどうか思い出せません)「用が有る」とかで段々帰ってしまいました。結局、最後までボート部員さん達と一緒に修繕をしたのは、赤○と私の2人だけでした。それはもう、「針のむしろ」とまではいかないにしても、辛い時間でしたよ。 

 

2学期が始りました。
HRの時間となり、担任の岡本先生が教室へ入ってこられました。
教壇の両端に手を添えて、騒動を起こした面々を見回し、ガクッと深く頭を下げられました。
 

さあ、私達の処分は?
 


つづく。

次回完結です。

 


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夏の日の思い出 その2 ~口裏合せ~

2011年05月22日 00時14分37秒 | O村高校

前回の続きです。

胸近くまで沈みかけようかという時にキャプテン平○が「ボートから出ろ!」と叫びました。

えっ?ボートから出ろ!って言われても?!。

 

ボートが沈んでいったらどうなると? 一瞬皆がそう思ったんではないかしら。

再び平○が叫びます。

「ボートから出ろ!ボートは浮くけん!」

その当時ボートは木製でした。比重から考えても浮くのは当り前なんでしょうが、ボート部員はキャプテン平○だけでしたし、沈没の経験の無い私達はとっさには頭に浮かんできません。とりあえず「本当に大丈夫か?」と思いながらも指示通りボートから手を離しました。

すると沈み掛けていたボートが確かにゆっくり浮いてきました。と言っても浮き上がる訳ではありません。海面から沈まずにいる状態です。おぼれる者は藁をも掴む、じゃないですが、皆がボートの縁に掴まりました。

気付くと、オール、お尻を乗せる板(正式名称が分りません)、その他が波間に浮いています。羽○野が持ってきた弁当箱がキラキラと鈍い光を反射しながら沈んでいくのが見えました。

沈んでいく物は諦めて、オールとお尻を乗せる板を近くの者が集めます。それでも少し流されているものがありました。羽○野が「俺が取ってくる」と言うとキャプテン平○が「ボートから離れるな!」と止めました。しかし、彼は泳いで5~6メートル離れたその品を取ってきました。ボート関連の品物だけは確保。

 

さて、次に助けを求めなければなりません。

運が良いことに上陸した島には漁師さんとキャンプに来た大学生達がいます。そして、これまた幸いにもタコ引きのために持ってきたボートとオールがあります。

遠○と羽○野が空気を抜きかけていたボートに再び空気を吹き入れ、オールで漕ぎ出しました。島までの距離はどれくらいだったでしょうか。300m~500mぐらいじゃ無かったのかなぁ。

 

残された者は助けが来ること信じてボートと共に潮の流れに身を任せるしかありません。ボートに打ち付ける波が執拗に鼻に入るのが辛かったですね。反対側に掴まっている者はそうでも無かったようです。

赤○1人だけ水中メガネをしていましたので、皆から「おまえだけ~なんや~!」と非難を受けていましたが、彼は無言で顔は青ざめていました。

 

時間がどれくらい経ったのかが分りません。

頭上を着陸態勢に入った旅客機が飛んでいきます。

「お~い、助けてくれ~!」 「助けてくれ~!」

到底聞こえる訳はありません。ただ、この頃になると少し落ち着きを取り戻していますので叫び声も面白半分だったと思います。

 

「俺たち、謹慎処分やろね?」「間違いなかバイ」

 

そのうち誰かが「もしかすっと、オイ達は死ぬかも知れん。最後に好きな女の名前ば叫ぼーで」と言いだし、皆が納得。1人ひとり叫んだのでした。

「○○○~。好きだ~!」

私は誰の名を叫んだんでしょうか? 「○○こ」さんか「○○こ」さんだと思うけど。

 

そうこうしているうち、島から船が動き出しました。

「やった~、助かっぞ!」

 

漁師さんの船と大学生の船が助けに来てくれました。

私達はどちらの船に引き揚げられたか思い出せません。命の恩人だというのにすみません。

片方の船に人間とオール等を、もう片方の船にボートを横に繋げてもらいました。

船に引き揚げられ、助けを求めに行った2人は?と見ると、力尽きて死んだような状態、そしてかなり潮に流されていました。
後から2人に聞いた話では、それこそ真剣に漕ぎ、足が何度もつったそうです。なんせ、力尽きた誰かが海に沈んでいくかも知れませんからね。
少しでも早く助けを求めるため、聞こえそうな距離から大声で「助けてくれ~!助けてくれ~!」とオールを降りながら何度も叫ぶんだそうですが、その声も風に流されるのか中々届かず、島にいる大学生達も確かにこちらを見るんだけど、「ん?、あいつら何しとる?」としか取られなかったようです。そこでさらに真剣に叫び続けてやっと異変に気付いてくれたらしく、船が出て行くのを見送った後は力尽きて死んどった!と言っておりました。

 

さて、大草駅近くに揚げてもらった私達は、まずはボートの確保。
どうやら沈んだ船を横付けして船を走らせるのは抵抗が大きくて無理だったようで、一番近場の岸近くにいるとのこと。そこで、その場所まで道路を走り、線路を横断し、草の生い茂る中を進みました。岸へ寄せようとするのですが、波に船体が揺られて思うように引き寄せられません。押されたり引かれたりしながら、何とか岸に上げて固定。再び駅前に戻り、今度はオール等を近くの民家に置かせて頂くようにお願いをしました。

 

次は、この事態をどうやって誤魔化すか、の口裏合せです。
まず、顧問の先生に連絡はしないといけない、しかし、とても「大草沖で沈没した」などと正直には言えないので、「大草沖まで行ったが、波が酷くて帰れなくなった。そこで、船は近くに留めて、列車で帰ってきた」ということにしよう、となりました。また、ヤバイ証拠の品はすべて海の底に沈んだか、流されてしまっていますから、バレる心配はない。

 

その次は、どうやって大村へ戻るか。
もちろん、お財布は持ってきてません。持ってきていたとしても海の底に沈んでしまってます。

とりあえず羽○野と誰かがタクシーで戻り、そして羽○野が残りを迎えに戻る。

実は、羽○野は既に学校に内緒で普通免許を取得し、軽のワゴン車(結構オンボロだったような気がします)を持っていたのです。

そこで4人がタクシーで戻り、私を含めた4人は大草駅で待つことにしました。

 

しかし、よくタクシーさんも乗せてくれましたね。
だって、想像してください。上はTシャツ、下は競泳パンツに裸足(も居たと思います)のずぶ濡れの男子高校生達ですよ。しかも、料金着払い。
まぁ、事情が事情だけに理解してくれたんでしょうけどね。シートは大丈夫だったのかしら。
ところで彼らはどこで降りたんでしょうか?ボード小屋か、一番近い誰かの家か?お金はどうしたんでしょう。決して安い料金では無かったはず。これについては聞いてないなぁ。次会ったら聞いてみよう。

 

さあ、後に残された者は駅の待合のベンチに濡れたまま座り、タダひたすら待ち続けるだけです。大草駅前はそれ程車が通りません。エンジン音が近づく度に駅舎から出て見るのですが違うんです。
「はぁ~、違うバイ。まだやろか」
とにかく待ち長かったですね。
待っている間何を話したのかまったく思い出せません。
迎えが来たときは既に暗かったです。

 

車に乗り込み、とりあえず合せた口裏の再確認。
事の真相が学校側に知れれば謹慎は間違い有りません。

ボート小屋に到着して先ず海を見ました。月の光で見える海は皮肉なことに、凪いでいるじゃありませんか。「嘘やろ?!」って感じ。
小屋の中には先にタクシーで帰ったメンバーも待っていました。
さぁ、着替えて帰ろうとしていたら、誰かが(多分キャプテン平○)

「みんな校長室に来いって」

「え~えっ?」

 

その3に続く



 

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夏の日の思い出  その1 ~行きはよいよい~

2011年05月20日 08時38分36秒 | O村高校

或る高校の艇庫を見せて頂きました。
Tの原小のTさん、昨日はありがとうございました。 

 

ボートと言えば思い出す事があります。Tさんにもちょっとお話ししましたが、
以前、大高同窓会の時、クラスメイトと思い出話し中でも1番印象深いのがボートに関係しているんですよ。
随分昔の話なので、記憶違いの部分もあるかもしれませんが、思い出しながらお話ししましょう。
お付き合いください。

 

それは今から三十数年前の1977年。
私が大高3年生、18の夏のある日の出来事です。

 

私は3年2組の理系組でした。アッパーではありません。

女性はクラスに3人でした。当時その3人の1人は「看護婦(今だと看護師)になる!」、1人は「薬剤師になる!」、1人は「インドへ行く!」とか言ってましたっけ。

 

その日は夏期補習の最終日。翌日が日曜日だったので8月27日でしょう。

2学期開始まで休みが数日しかありません。補習は午前中で終わりだったんだと思います。そんな開放感たっぷりの午後の時間に何かやりたい気持ち、分るでしょう。ねっ。

 

この日仲間とボート部の船で大草沖にある小さな無人島へ上陸しようという計画を立てていたのです。実は、当時のボート部キャプテンが同じクラスだったので、その前にも何度か仲間数人とボートを漕がせてもらってたんですよ。ご経験の方は分るでしょう。波の上を走る爽快感は素晴らしいものです。

 

その時に「じゃぁ、今度、あの島で・・・」と成った訳です。本来、部の練習は艇庫から目視出来る範囲内でする事と決まっていたんじゃなかったかな。キャプテンがそう言っていたようでした。多分その日は部活は休みの日だったんだと思います。

 

計画の内容は
上陸地近辺にてタコ引きをしてイイダコを調達し、それを茹でて食す。
準備するものは、タコ引き道具、タコ引き用のボート、固形燃料、なべ他必要と思われるもの。尚、食べ物は任意持参することも可。
飲み物はジュース類以外も当然可。銘柄は調達班に任せる。
参加人数はボート部キャプテンも含めて8人。
平○和幸(ボート部キャプテン)、平○勝也、遠○聡、中○光義、赤○幹雄、谷○勉、羽○野和彦、そして友ちゃんの8人。(と私は記憶しています)
 

そして参加するにあたっては厳しい服装の決まりがあったんですよ。
それは『参加する者は、上はTシャツ、下は競泳パンツとする!』 

アハハ、誰が言い出したんでしょうかね。なんか私だった様な気もします。

元々、この計画はボート部の規則違反の行為。やることに多少の後ろめたさもあって、せめて格好ぐらいは人に見られても大丈夫なようにと考えたんだと思います。

 

さて、各人準備・調達品を持ち寄りお船倉跡側の艇庫に集合。荷を積み込んで乗り込みます。お借りした船は確かオールが6本の船でした。

 

天候は晴れ、波はほんの少しあるだけ。
向かった先は大草駅沖の無人島。
距離にして約3km。時間は30分~1時間ぐらいだったんじゃないかしら。

Photo_2

ワイワイガヤガヤ、楽しく、そして爽快に船を走らせ目的地に到着。

島には既に先客がありました。(記憶ではですが)

漁師さんが網の手入れをしていました。

或る者達は早速喉を潤し、或る者達(確か2人)はボートでタコ引き、そして、また或る者は岸辺を食べ物探し。

結局、タコは1匹も採れずじまいでした。

思い思いに時間を過ごし、そして、いい気分。

やがて大学生らしいグループ5・6人が船でやって来ました。彼らはここでキャンプするみたいでした。

 

時間も経ち、そのうちに強い風が吹き始めています。

波も少し荒くなってきたため、酷くならないうちに帰ろう、と後片付けを済ませ乗船。

タコ引き用のボートはロープでつないで引いていくことにして出発。

 

島では南側の風下に居たため風と波の様子がはっきり掴めてなかったんですが、島から離れてみると以外に荒れています。

幾つもやってくる波に揺られながら「おぉ!おぉ!」 「合わせて漕げよ~!」 「あっはっは!」と飲みものの効果も現れて、海が荒れているのが楽しいばかり。

この時誰がどの位置に座っていたかは記憶しておりません。

オールを漕いでる6人は後ろ向きでしょう。一番後は進行方向に向かって座っていたはずです。

キャプテン平○が「波を横から受けんごと船ば向けんば!」と皆に指示。

しかし、沖に出れば出るほど状況は厳しくなっていくばかりです。無事に帰れるのか少し心配な状況となっています。

時折やってくる大波に「お~い、波が来るぞ~!」と1番後の者が言えば、皆が「おお~!」

何度もやってくる波は船の先に当たって砕けボート内に入り込みます。私は海水のくみ出し係をしていたようです。そんな記憶があります。

船の後につないでいるボートも状況からして早めに畳んだ方が良いだろうと後で空気を抜き始めていたようです。 

 

そして、また、「お~い、波が来るぞ~!」  「ボートば波の正面に向けろ!」 「おお~!」

進行方向左斜め前から、かなり大きな波でした。ザバ~ンとかなりの量の海水が船の中に。

するとなんということでしょう、船が先頭から沈み始めたではないですか。

「わぁ~!」 「あはは」 「おぉ~!」

すると一気に海水が船の中に入り、あっという間に腰まで浸かってしまいました。

「うわぁ~!沈みよる~!」 

皆は硬直してそれぞれ両手はボートの縁を掴んでいます。オールなんか持ってる場合じゃない!そりゃそうだ。

更に船は沈んでいきます。
胸近くまで沈みかけようかという時にキャプテン平○が「ボートから出ろ!」と叫びました。

えっ?ボートから出ろ!って言われても?!。

 

その2に続く。




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大事に扱ってね

2010年09月17日 18時21分13秒 | O村高校

同級生の山健から電話がありました。

10月に行われるD高東京同窓会。
その実行委員の仲間が懇親会のイベント担当らしく、大村にちなんだウルトラクイズをやるらしい。その時に男性1名+女性2名が制服を着るのだそうです。
女性は夏の制服を着るんだとか。  ・・・。大丈夫かいな?怪しいおばさんにならなければいいけど。

そこで、私が以前頂いた、当時のD高指定女子用夏帽子(ハット)を貸してもらえないかという相談でした。
「学生帽もあるよ!」 「あっとね?」 「うん」
実はK中の帽章が付いた学生帽も頂いてたんですよ。ラインが同じ2本なんで、帽章と顎ひも(と言うのかしら?)を止めている鋲を高校用に替えればD高の制帽になるんです。

校章を手に入れた経緯についてはこちら
この時、店内に飾ってあった帽子と倉庫にあったものから幾つか頂いたんです。

 

その帽子(ハット)というのは

 

Img143_2

Img144

昭和52年夏の修学旅行の写真です。(卒業アルバムから)

ここに写っている帽子(ハット)です。

 

 

早速、引っ張り出しました。

ハットは4つありましたよ。

Img_5187

 

Img_5189

Img_5190

仕入れはいつの頃のものでしょうか?
結構古いので所々少しシミが出来てますが未使用のものです。

 

Img_5188

Img_5202

これは実際に使われていたものです。ラインは既に色焼けしています。

時代を感じさせる一品です。 

学生帽は早速パーツを交換しました。止め鋲だけ全くの新品で浮いてますけど。

これでD高の制帽の完成です。

 
 
 

とりあえず、これだけで十分要件は満たしているのですが、凝り性の私。

 

へへへ・・・。

 

これがあれば完璧でしょう。

ジャーーーン。

Img_5191

今は無くなってしまってるようですが、D高の生徒手帳です。
私が当時使っていたもの。
左が2年、右が3年の時のもの。
残念ながら1年の時のやつは残っていません。どうしたのかなぁ?

 

チョット開いてみましょう。
まずは2年。

Img_5193

写真は何故か剥ぎ取られていました。

どれどれ・・・。

Img_5197

名前が書き込まれています。同じクラス(2年4組)+αの仲間の誕生日を書き込んでいるようです。 

8月5日の「別離!」 
これは彼女との別れではなく、家族との別れです。両親と妹が千歳(北海道)に引っ越しちゃった日だと思います。この日は補習中だったのでお見送りには行ってませんね。記憶もありません。

父は自衛隊員だったんですよ。転勤が決まった時私もついて行くつもりだったんです。ところが父が担任に相談したところ、「高2の大事な時期ですから動かさない方がいいでしょう」ということで、ひとり叔父の家に残されてしまいました。ガッカリでした。

 

Img_5194 
「ポーラ」はクラスにやって来た留学生ですね。彼女は9月24日生まれだったんだ。

 

H山(旧姓)めいこさ~ん、10月25日は何の日だったか覚えてますか~?
何故かあなたの●●●記念日を書き込んでます。
手帳はそっちに送るので見てね~!

 
 

さて、3年。

Img_5192

 

髪が・・・・たくさん・・・・あったんだ。 

 

我ながら感心してしまう。
この写真はちょうど長男と同じ歳。
やっぱ親子です。似てるみたいですね。

先日の同窓会の時にタースが当時のテスト結果の順位一覧表を入れたファイルを持って来てたのには驚いたけど、私もこんなの取ってたんですよ。

 

はじめちゃん、帽子店のますださん、改めてお礼を申し上げます。

ありがとうございました。
こういった形でD高卒業生に見ていただけることは、帽子や帽章も喜んでくれるでしょう。 

 

Img_5195

まとめて、今日山健に届けておきました。

 


ところで女子の襟章は借りれたのかな?
それが付いてないと締まらないですよ。

無いんだったら連絡頂戴、うちに娘のが2個ありますよ。

Img_5228

 

 

さぁ、東京のみんな、懐かしんでくださいね。
但し、大事に扱ってください。
特に生徒手帳は思い出が詰まった品です。 


 

追記:
ところで、この女子用の帽子は修学旅行用に購入させられたものだったの?
他の年度も修学旅行で被ったのかしら?
学生帽が無くなったのはいつの頃?

そんな情報知ってたらコメントしてね。

 

 

 

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大高同窓会 総会~懇親会

2010年08月17日 00時42分40秒 | O村高校

総会です。
M田実行委員長 開式の辞

Img_4355

続いて、会長挨拶、校長挨拶、来賓紹介。

そして、議長選出。
議事。
閉会の辞。

滞りなく総会も終了。

 

 

 

会場をパークベルズに移して懇親会。

Img_4373

 

Y君による司会者の紹介。
今回ステージ・パフォーマンスからずっと司会をして頂いた40回卒、高月さん。

Img_4387


 

 

会長挨拶

Img_4388

 

 

来賓挨拶。
乾杯の発声は東京支部からの参加者である同級生のU山君でした。 

 

Img_4391

私はしばらくお酌をして廻りました。
市長、教育次長、校長先生、元教育長のK原先生、いろんな会合でお会いするT中先生、市議・県議の先生方、元市P連会長N村先輩(2つ上)、歯科医のM野先生(1つ上)、シーハットM島館長、同級生のお母さんお二人(今回どちらも同級生は欠席)、和醸会でご一緒させて頂くY田先生、先日お世話になったばかりの○月のママ、その他。
とりあえず顔見知りのお方にはこの際とばかり。

 

今回育友会会長として出席してくれたはじめちゃん。
ゴメン、ピンぼけやったバイ。

Img_4395

 

校歌斉唱は同級生で当時生徒会長のT川君。

その後、旧制中学の校歌斉唱もありました。

Img_4432

 

最後の最後は万歳三唱。

 

2時間ほどで懇親会も終了。 

Img_4436

みなさん、それぞれに・・・。

 

さぁ、我々30回生のお役目も無事終了。
これからは52年度卒業生の時間です。

 

 
 

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