光の森

~記憶のかなたの故郷~

春よ来い!

2013-02-26 20:00:43 | 移りゆく時~想い
今、雨が降っている。
今日の昼間は日差しも明るく、もうすぐ春が来ていると嬉しい時間の中にいた。
それでも天気予報では、また土曜日には冬に逆戻りするとか。

              

少しだけ桜が咲いているが、樹々の枝の葉は膨らみが固い。今年は春が遅いのだろうか?


公園の向こうに見える塔のある建物はNHK京都放送局。
来年頃に烏丸御池の方にお引っ越し。地下鉄烏丸線、東西線があり交通に便利。

だけどこっちは淋しくなる。夜店のシーンなんかで町内の人が浴衣でエキストラで出たりもした。
公園で毎春、タレントや俳優が出演するイベントもあった。


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ん、なこともあるんだ!

2013-02-25 20:51:16 | 移りゆく時~想い
懐かしく高野山のことを思い巡らせていたら、ひとりの少年のことが思い出された。

その少年は三宝院で修行をしながら高野山高校へ通っていた。卒業したら高野山大学に行くと言っていた。

夏は宿坊に泊まりにくる人が多いので、お盆が過ぎ泊まり客が少なくなってからその少年の夏休みが来る。

そして実家に帰り普通の少年より短い夏休みを過ごして来る。


ちょうど彼の夏休みが始まった朝、私達も山を降りる日だった。

新大阪から新幹線に乗ると言うので、一緒にケーブル、南海電車、地下鉄御堂筋線に乗っていろいろ話をした。
 

びっくりしたのは、彼の実家は佐賀で家は神社。そしてお父さんは神主さん。3男坊だったかで家を継がなくても良いもの

の、誰に言われたのでもなく、自分で決めて高野山へ来たと言っていた。

よく決心したなと感心した。またお大師さんと深い縁があったのだなとも思った。


高野山では宗派関係なくお祀りしてもらえる。とてもおおらかで、キリスト教でも大丈夫なんじゃないかな?と思える。

私は小学生の時キリスト教の日曜学校に行っていたし、祖母も父母も何も言わなかったのでその辺の区別がまるでないように出来ている。

そういう大きさ広がりの波動が高野山にはあると思う。


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弘法大師さま

2013-02-22 21:35:25 | 移りゆく時~想い
NHKで放送された歴史秘話ヒストリア。「天空の聖地!高野山」
私には懐かしい故郷みたいな所。20代後半、沢山の友と毎年夏、2~3泊宿坊に泊まった。毎年お盆の供養と節分の祈願をお願いしている。
父を亡くしてから一度、回向をお願いしにお参りした。その時はもう世界遺産になっていてどこも綺麗になっていた。縁がある宿坊は三宝院。そのお寺のご住職さまは、弘法大師さまにお顔がそっくり。その時はひとりでお参りしたので三宝院で修行されているお坊さまといろいろとお話をさせていただいた。また春か秋にお参りしたいと言っていたのにまだ行けていない。(奥の院の霊的波動に包まれたい!)

三宝院のお大師さまは北面大師と言って横を向いておられ、京都御所におられた嵯峨天皇の玉体安穏を祈られている。

           

私は歴史秘話ヒストリアを見てもっとお大師さまを身近に感じた。
弟子の智泉が亡くなって 悲しい哉 悲しい哉 と繰り返すお大師さま。
悟りを開けば この世の悲しみ驚きは すべて迷いの生み出す 幻にすぎないことはわかっています 
それでもあなたとの別れには 涙を流さずにはいられません

やはり人としての弱さや悲しみをよく知っていないと他の人を救うことは出来ないのでしょうね。


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2013-02-17 02:19:31 | ポエム
       

小さな祠が門の中 すぐにある
どのような神様がいらっしゃるのか知らない
でも私はその前を通る時 立ち止まり正面を向いて合掌する

その一瞬に何もなくなるように思う

何もなくなったようで でももっと何か広がるものを感じる
言葉では現せない私を取り巻き形成してめぐりゆくもの
過去が未来に確かに繋がってゆくもの
過ちに心に痛みを刻んでも そのまま許されてゆく

親しい人に対しての挨拶のような
この頼りない私に寄り添って 一緒にこの時を生きてくれるような
その想いを戴く


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お墓参り

2013-02-11 19:24:57 | 移りゆく時~想い
毎月、お墓参りに行く。

京都に来た源蔵という人が我が家の1代目として数えられている。
江戸時代の後期に加賀の国、石川郡おやなぎ村から来た人。

その人の父は半右衛門というお百姓さん。読み書き、そろばんも出来たので、その村の庄屋さんの所で今で言う秘書みたいなこともしていたそうな。
母親は源蔵さんの小さい時に亡くなり、半右衛門さんは後妻さんをもらい源蔵さんには腹違いの弟がいたそうな。
父の半右衛門さんも亡くなり、育ててもらった義理の母親に恩返しとして、親子水入らずで暮らせるようにと田畠を弟に譲り京都に出て来た。
                                  
源蔵さんの弟の子孫は今どうしているのだろうか?と、思うことがある。

昔は子供は病気で早く亡くなった人が多い。
私には会ったことのないおじさんがいる。3歳の時に病気で亡くなった。
父はそれ以来ひとりっ子。
そのおじさんが生きていたら、どうだったかと思うこともある。

現実は小説より寄なりというが、そういう人も我が家の歴史の中にも存在する。
お墓参りに行って、会ったことはないけどその人達のことも考える。
                                  
過去と未来と空間とそれらが一瞬にある。そのことを想う、それが私のお墓参りかもしれない。
     
      (お寺にあった梅の鉢・次に行く時は満開?)

 

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