クララのあしあと

英国ゴールデンレトリバーとの暮らしのあしあと

旅の記憶〜北海道 道東編4〜

2024年07月15日 | 旅のこと
釧路駅に到着して、今晩のお宿に向かう。
釧路の街中を少し外れると、もう湿原が広がっている。国立公園ではないが、この辺りも釧路湿原なんだね。





「まりも国道」を阿寒の方へ戻り、阿寒ICから北海道横断自動車道/道東自動車道に入る。この道東自動車道、サービスエリアがないことに驚く。
池田ICで降りる約70kmの間、ただひたすら道路だった。

    

十勝ワインで有名な「いけだワイン城」 ヨーロッパのお城のような施設で、お隣には池田町ブドウ・ブドウ酒研究所もある。
なんか旅行のたびに必ずワイナリーとかなんたら酒造に行っているような気がするなあ




    

十勝川温泉に行く途中、畑にコロコロを発見。牧草ロールだ。
伸びた草を大型の機械で刈り取りながらコロコロを作っている。広いので小さな農機具では間に合わないよね。
十勝平野では小麦を収穫後の7月終わりから8月にかけて、今度は畑に麦稈ロール(麦わらロール)が出現するらしい。
見てみたいなあ。きっとグリコのクリームコロンみたいで、とてもかわいいと思うのだ。




そして4日目のお宿は「十勝川モール温泉 清寂房」 でも「モール」って何?
太古の時代、十勝川河畔は葦などの植物が自生していた。それらの植物が長い時間をかけて堆積し、できあがった亜炭層を通って湧き出る温泉が植物性の有機物を多く含む「モールの湯」。
「モール」とは、亜炭などをさすドイツ語に由来しているそうだ。
このお宿全室源泉かけ流し、露天風呂つきの宿。開業してまだ日が浅く、どこもかしこもピカピカ。


初めて見るコーヒーかと思うような黒色の温泉。でも湯に入ってみるともう少し色味が薄く茶褐色の湯。お肌がスベスベになって気持ちいい。
私は気にならなかったが、夫は少し土のような匂いがすると言っていた。太古の香りかな?
温泉で北海道の疲れが吹き飛んだ二人でした。

    




翌朝、帯広へ向かう。
十勝川温泉がある音更(おとふけ)町の特産品は豆。大豆、小豆、金時豆、音更大振袖大豆。そしてチーズ、バターなどの乳製品。
よつ葉乳業の工場とおとふけ食の大使おおそでくん。よつ葉バター使ってますよ〜。

    



帯広市は十勝平野の中心にある。あまり高い建物がなく、空が広々とした美しい街だった。
北海道のお土産で有名な「六花亭」のマルセイバターサンドは、四国のデパートの北海道物産展でも目にすることがある。
その六花亭本店が帯広市にあることを今回初めて知った。

    


    

センスがよく綺麗な店舗に驚いた。「六花亭」さすがです。
もちろん買い物も滞りなく。ちなみに私、「六花亭」の紙袋の花の絵が大好きです。


帯広の市街地を抜けて帯広空港に。
十勝平野のまっすぐな広い道を走る。どこまでも続く畑には小麦とじゃがいも?そして見たことのないような大型農機が仕事をしていた。
北海道の農地にはセスナ機でも入れるのかと思うような大きな格納庫が建っている。そこには大型農機が何台も入っている。
買い揃える農家さんも大変だ。

    




    

帯広空港の近くに「ばんえい牧場」がある。なかなか写真ではわからないが、小さい馬は仔馬だそう。
夫は大きいのは「ばん馬」、小さいのは「普通の馬」だと思ったらしい。「ばん馬」は仔馬の時から大きな体躯の馬なんだね。




    

とかち帯広空港



待ち時間があったので北海道最後の食事を空港でとった。
空港には一店舗しか食べる店がない。空港周辺にも食事ができる店はおろかコンビニすらなかった・・・本当に本当に恐るべし、北海道!
そのため空港のお食事処は大変繁盛しておりました。
夫は海鮮丼。私は帯広名物豚丼。これ、本当に美味しいのです。

    




今回の旅行、夫が事前に提案してくれた場所になんとか行くことができた。地図を見ながら綿密に計画していたもんね。
4日間でほぼ1000kmを夫一人で運転し、事故もなく北海道を楽しむことができました。ありがとう。

そして、やっぱり北海道はいいなあと改めて思う。雄大な自然。どこを見ても感動する。そして人が優しく親切。食事が美味しい。
年に一度は北海道に行きたいなあと思う私。今度は富良野のラベンダー畑なんてどうかね



おまけ
帯広空港を飛び立ってしばらくして、眼下に見えた。


襟裳岬





旅の記憶〜北海道 道東編3〜

2024年07月13日 | 旅のこと
知床を後にしてこれから約100km、摩周湖に向かう。
摩周湖が近づくにつれだんだん天気が回復し、気温も上昇してきた。
摩周湖第三展望台。遠くに見える湖が屈斜路湖。国内最大のカルデラ湖。火山活動から生まれた湖だけあって、湖畔には多くの温泉が湧出する。




そして摩周湖第一展望台(摩周湖カムイテラス)へ。
摩周湖は日本で1番透明度の高い湖。美しい「摩周ブルー」に心を奪われた。
流入・流出の河川がない閉鎖湖。車や船の乗り入れ、人の立ち入りも厳しく制限されている湖だと書いてあった。
摩周湖はアイヌ語で「カムイトー(神の湖)」と呼ばれる。その名の通り神秘的な湖だった。
カムイテラスで昼食。夫は「摩周湖カレー」を注文。この皿で摩周湖を表現しているんだとか。う〜ん、難しい
私は北海道十勝地方の名物「豚丼」。厚切りの豚肉が美味しい。

    


    



摩周湖展望台は標高の高い場所にある。下る途中のビューポイントで「雄阿寒岳」を撮影。




阿寒湖に行く前に「硫黄山MOKMOKベース」に。硫黄山はアイヌ語で「アトサヌプリ(裸の山)」。近くには川湯温泉がある。
黄色いものは硫黄。あたり一面、硫黄の匂いが立ち込めている。噴出孔のすぐそばまで行くことができるので迫力満点。

    


     





やっと阿寒湖に到着。知床を出発して150km。
3日目のお宿は阿寒湖温泉「あかん鶴雅別荘 鄙の座」。宿に入ると真正面に阿寒湖が見えた。


惜しいことに阿寒湖の遊覧船の最終出発時刻に間に合わなかったので湖畔を散歩した。
チュウルイ島のマリモ展示観察センターに行きたかったなあ。でもアヒルちゃんを漕いで行くのは論外です
この日も温泉に入って美味しいものを食べて爆睡。

     


    
阿寒湖と雄阿寒岳




翌日、阿寒湖を後にして釧路駅に向かう。

    


釧路に向かう国道は「まりも国道」。途中「富士見橋」という名前の橋があったので振り返ってみると「雌阿寒岳」が見えた。
雌阿寒岳は活火山で、山頂に火口跡が3つあるそうだ。阿寒富士とも言われているので「富士見橋」なんだね。

    

私、ご当地の道路標識が好きで、旅行に行くと必ず撮影する。知床はヒグマだったが、まりも国道は子ども連れのエゾシカとなんとツル。
この辺りも国道から少し外れると湿原がある。ツルがいるんだねえ。



釧路駅に到着。
釧路駅前の駐車場に車を停めて、これから「くしろ湿原ノロッコ号」に乗る。
くしろ湿原ノロッコ号はJR北海道釧網線の釧路駅ー塘路駅・川湯温泉駅間を運行している臨時列車。
今年で35周年を迎える観光列車だ。

    

途中停車する駅は釧路駅を出発して東釧路・釧路湿原・細岡そして塘路駅。大きく蛇行する釧路川に沿うように湿原を進む。
自由席と指定席があり、指定席は展望車になっている。発車する時には満員になっていた。

    


    


釧路湿原はヨシ・スゲ湿原、ミズゴケ湿原、中間湿原で構成されるが、、ほとんどがヨシ・スゲ湿原とのこと。
面積は約2万6000haで、このうち中心部の7863haがラムサール条約登録湿地である。

岩保木(いわぼっき)水門は新釧路川と釧路川(旧流路)を仕切るためにできた水門。
釧路湿原から釧路港に流れる釧路川の洪水被害を防ぐため人工河川の新釧路川を開削し、旧流路をここで分けたもの。
左側に小さく見えているのが、木造の旧水門。完成から一度も開閉されず、現在は使われていない。


岩保木水門


    

細岡駅は近くにカヌーステーションがありカヌー利用のお客さんが多い駅。他のどの駅舎も絵本から抜け出たようにかわいらしい。
線路脇にハマナスの花が咲いていた。ハマナスは北海道の花。

    

暑い日にはシカが入っているという沼。今日はまだ気温がそれほど高くなかったので水浴びしていなかった。


    


    

途中釧路川の蛇行に沿って汽車が進む。川が蛇行している浅瀬にもよくシカがいるとのこと。たまにキツネも見ることができるそう。
釧路川をカヌーで下っている観光客がいた。



終点の塘路駅で一旦全員が下車し、20分ほど停車し釧路駅に引き返す。
帰りは反対側の席。


    

反対側はヨシ・スゲ湿原が広がる。この辺りには国の特別天然記念物「タンチョウ」を見つけることができるそうだ。
タンチョウは渡り鳥ではなく通年同じところで巣をかまえて暮らしているとのこと。
日本最大の鳥(身長150cmくらい)なので見つけやすいと書いてあったがなかなか。見たかったなあ。
そして今さらだが、丹頂の頭頂が赤いのはほぼ羽毛がなく黒い剛毛がまばらに生え、赤い皮膚が裸出するためだって。知らなかった





旅の記憶〜北海道 道東編2〜

2024年07月12日 | 旅のこと
さてさて遅くなったので2日目のホテルまで急がなくては。網走地方は強い雨で、雷注意報が出されていた。
雨が降っているけど知床半島のウトロまでは「天に続く道」を通っていった。



どこまでも続くまっすぐな道。しかも信号機がない。登り下りを繰り返しながらどんどん車を走らせるけど、どこが終わりなんかね。
「すごい、すごい!」といいながら着いたところは、

    


えー!ここがスタート地点か。じゃあ反対から来たんだね。雨でよくわからないけれど、ずっと続く登りの道では、晴れた日にはきっと目の前に空が見えるんだ。
だから「天に続く道」なんだねと言っていたが、後日こんな感じの道をいろんなところで見つけた。本当に北海道、恐るべし!




雨と雷の中、やっとの思いで2日目のホテル「北こぶし知床ホテル&リゾート」に到着。

    


ホテルの部屋の窓からウトロ港が見える。オホーツク海に来たんだと感動がひとしお。
実はこのホテルの敷地にチョコレート店がある。ホテルに宿泊するとアイスクリームを無料で食べることができるのだ。チョコレート大好きな私は、もう嬉しくて嬉しくて。
旅立つ前からとても楽しみにしていた。

    


チョコレート店の名前は「ピーターバイヤー知床」
デンマーク王室御用達のショコラトリーで2023年4月に北こぶし知床ホテル&リゾート内にて、アジア初進出のショップとなる「ピーターバイヤー知床」をオープンした。
現在日本にはこの一店舗のみ。
アイスクリーム? 夫はピスタチオ、私はもちろんチョコレートをお願いした。想像以上の美味しさで大満足でした。



翌朝、「明るくなるのが早い。」と夫が言う。日の出はなんと午前3時すぎだったらしい。ここ斜里町は東経144度40分だもんね。
緯度も経度も四国より10度も高い。地図を思い出してみて、ずいぶん北にそして東に来たもんだと思う。
ホテルの窓から見えるウトロ港。

    

カモメ?ウミネコ?たくさんいたね。そして「知床観光船おーろら」前日まで乗船するか悩んだんだけど、天候が悪いので乗らなかった。
私は船が苦手なので内心ホッとしたけど・・・せっかく来たのにごめんね。

    

2隻並んだ船は「ゴジラ岩観光船」。ゴジラ岩なんてどこにあるの?と思っていたらホテルのすぐ真横にあった。
ゴジラの背中、悲哀を感じるのは私だけ? でも鳥が巣を作っているのか、肩の辺りにたくさんいるので賑やかで一人でも寂しくないかな。

      




ホテルを出発して知床半島を先に進む。
ここから知床半島を横断して羅臼に行くことも考えたが、今日の天気からきっと国後島は見えないと思い知床国立公園に行くことにした。


まず目に入ったのがこの標識。ここは人が気軽に立ち入ってはいけない場所なんだと思う。
ヒグマこそ見なかったが、エゾシカは当たり前のようにそこかしこにいた。

    



    




途中からいきなり無舗装に変わり砂利道。同じ方向に行っている車は1台もいないし、もちろんすれ違う車も1台もない。
「ここ本当に行ってもいいところ?車大丈夫?故障してもスマホのアンテナ全然たってないよ。」何度も夫に言いながら助手席でしがみついてた私。
やっと辿り着いたところが「カムイワッカ湯の滝」絶景でした。

    


7月1日からはカムイワッカ湯の滝に入ることもできるそう。滝からは湯気が立ち上っている。そしてここが知床半島を自動車で行くことができる最終地点だった。
帰る頃には他に何台かの車も到着して、一安心した私。なのに夫は全く心配しておらず、ありえないほど汚れた車の写真を呑気に撮っていた。
(車はウトロ港について、200円のコイン洗車で元に戻りました。)
安心したら急に寒さを感じる。寒いはず、外気温が9℃だよ。北海道の厳しさを感じた。

    





来た道を帰り、途中から「知床五湖」に向かう。
この辺りは舗装された道で、駐車場には車やバスが。観光客も大勢でなぜかホッとする。
五つ湖があるのだが、個人で行けるのは「一湖」だけ。後はガイドさんやレンジャーさんが同伴でなければ行くことはできない。
はるか彼方まで原生林とクマ笹が広がる。茶色いものを見つけるとヒグマに見えてしまう。

    


高架木道をてくてく歩いて「一湖」を目指す。片道800m。この高架木道には電気柵(7000V)が張り巡らされている。ヒグマ、本当に出没するんだ。
「寒い、寒い」と言いながらやっとのことで湖畔展望台まで辿り着いた。

    




一湖にボートを浮かべて作業しているのは、湖面に繁茂する園芸用スイレンを除去するため。最近侵略的外来種の園芸用スイレンが増加し、
夏の観光シーズンに湖面に映る知床連山の景観が失われつつある。この問題は生態系保全の観点からもおおきな懸念材料となっているとのこと。





最後は「オシンコシンの滝」。アイヌ語で「オシュンクウシ」川下にエゾマツが群生する土地と言う意味。
日本の滝100選に選ばれている。滝の水が岩肌に沿うように流れ落ちる、とても綺麗な滝だった。

    




ところで知床国立公園に行く途中で見かけた店。「かにやホロベツ店」
「カニがチョキなら味はグウ」って、なんてセンスのあるキャッチフレーズ。


知床半島からウトロ港に下りてくる時にはもう開店していて、「ウニ丼」ののぼりが旗めいていた。立ち寄らなかったけど・・・絶対に美味しいと思う。
ウニ丼を食べなかったことだけが心残り





旅の記憶〜北海道 道東編1〜

2024年07月12日 | 旅のこと
2年前に人生初の北海道旅行をした。まだコロナ禍の真っ只中であったし、私自身体調に不安があったのでJTBのツアーで3泊4日道南を巡る旅だった。
結論から言うと、私はすっかり北海道の虜になってしまったのだ。とにかく広い。景色が雄大。食べるものは全て美味しい。そうなるとまた行くしかないでしょ!
と言うわけで、夫がコツコツと北海道道東の旅行の計画を立ててくれた。今回はレンタカーを借りて、二人で6月24日〜28日までの北海道道東の旅。



羽田から旭川までは「北海道の翼 エアドゥ」で。
羽田からの飛行機は「ロコンジェット北海道」。きつねポケモンの「アローラロコン」と「ロコン」をAIRDOのボーイング767型の機体にデザインしたもの。
雨の旭川空港に到着して乗ってきた機体を見て驚く。右側と左側で機体のデザインが異なるんだ。どちらがどちらのポケモンかわからない。
でも機内のヘッドレストカバーも紙コップも全てポケモンのデザインで60代夫婦も楽しい。
旭川に降りた乗客みんながレンタカーを利用するんじゃないかと思うほど手続きに時間がかかって、ようやく雨の旭川空港を後にし層雲峡に向かう。

    


   






層雲峡は大雪山国立公園にあり、石狩川を挟む断崖絶壁の峡谷美が素晴らしい所。なかなか写真でうまく撮ることができないが柱状節理の断崖が道路沿いに続いていた。
何万年も前の大雪山の噴火により堆積した溶結凝灰岩が侵食されて作られたそうだが、日本列島の有名な峡谷はほとんどが火山の噴火によるものとその後の侵食で作られてる。
そして1日目のお宿が大雪山国立公園の中にある層雲峡温泉の「ホテル大雪」

    

二人とも温泉に入って、美味しいものを食べて爆睡した。疲れてたのかな。特に夫は雨の中、慣れない道を80km余り運転したもんね。
翌朝、ホテルの窓から見えた光景に驚く。エゾシカだ。国立公園の中なんだね!自然がいっぱいなんだね!!
ホテルの宿泊客が近くで写真を撮っていたにもかかわらず、逃げずに悠々と朝食をとり気がつくといなくなっていた。
当たり前の光景なのかもしれないが、北海道だなあと改めて感動した。





朝早めにホテルを出発して、層雲峡にある「銀河・流星の滝」を見に行く。日本の滝百選にも入っている名瀑。
細く優美な姿で流れ落ちる方が「銀河の滝」。力強く流れ落ちる方が「流星の滝」とのこと。


    

滝の反対側の斜面を20分ほど登ると「双瀑台」という展望台があるそうだけど、私には無理だろうと考えたのか計画には入ってなかった。
ところで層雲峡に向かう途中、何度も「石狩川」の看板を見かけ、それほど川幅のない川を渡った。銀河・流星の滝の水が流れ落ちる川も石狩川。


石狩川は信濃川、利根川についで日本で3番目に長い川。大雪山系の石狩岳にその源を発し層雲峡を流下して上川盆地に至り、旭川市では忠別川、美瑛川などの支川を合わせて石狩平野に入る。
石狩平野では空知川、夕張川、千歳川などの支川を集め、札幌の中心部を流れる豊平川を合わせて石狩湾で日本海に注ぐ総延長268kmの河川。
北海道の社会や経済、文化の基盤をなしている川と言われている。そしてサケが遡上する川でもある。今日見た滝や川の水は長い旅をしてやがて日本海に注ぐのだ。
その川の源の一部分に触れることができた。それだけでもここまできた甲斐があったと思う。




層雲峡を出発し無料自動車専用道路を走り「サロマ湖」に向かう。
サロマ湖は砂嘴でオホーツク海と隔てられている汽水湖。琵琶湖・霞ヶ浦に続いて日本で3番目に大きい湖になるのだそう。
あまりにも広くて砂嘴は薄っすらと見える程度。でも遥か彼方にはオホーツク海がある。こんなところまで来た〜!





この後、私のわがままで計画にはなかった北見市まで戻ってもらった。実は北見市に本店がある「清月」で赤いサイロというお菓子を買いたかったから。
清月は北見市を拠点とするカーリングチーム「ロコ・ソラーレ」のサポーター企業。赤いサイロはオリンピックのモグモグタイムでカーリング女子が食べていたことで有名になった。
千歳空港と函館空港でしか買えないし、ほとんど売り切れているし、それなら北見市は近いから本店に行って買うのはダメかなとお願いしたのだが・・・
地図で見るとお隣の市なんだけど行けども行けどもなかなか着かない。結局往復100km、2時間強もかかって昼食をとる時間がなくなったね。北海道恐るべし。
赤いサイロ、おひとり様40個が上限だったけど無事に買えてよかったです。





北見市を後にして向かった先は網走市。旧網走刑務所の歴史的建物を保存展示する「博物館網走監獄」。
移築復原されたされた建物は、19世紀後半から20世紀初頭にかけて建てられたもので、現存する木造行刑建築物としては最古のものだそう。

    



放射状に広がる5棟の舎房があり、1カ所から舎房全体を見渡せるよう8角形の見張所が設けられている。独居房、雑居房合わせて226房あり、最大で700名を収容できていた。
旧網走監獄の舎房及び中央見張所は現在重要文化財になっている。建築年代は1912年(明治45年)で1984年まで網走刑務所の獄房として72年間にわたり使われていたことになる。
建築されてから風雪に耐えて100年以上の時を刻んだ貴重な木造行刑建築群に圧倒された。

    


    


敷内に立つ哨舎(見張所)4棟や煉瓦造りの独居房も登録有形文化財。独居房は囚人たちが監獄内のレンガ工場で焼いたレンガを使ったもの。
売店に立っている方は人形。思わず話しかけそうになっちゃった。 浴場には「くりからもんもん」の方々もいるし

    


    


あまり知られてないが、北海道の開拓の礎となったのは囚人労働だ。
明治時代初め、政府はロシア帝国の南下政策に備えるため、北海道開拓を急ぐ必要があった。一方、国内では混乱が続き、士族の反乱などから数多くの政治犯、思想犯が収監されていた。
そこで北海道に集治監を設置し、囚人を労働力として使うことが考え出された。
網走監獄は、1890年に釧路集治監の外役所として開設され、1200人の囚人が、網走から旭川まで繋がる中央道路の開削にあたり、163kmをわずか8ヶ月間で完成させた。
北海道の大地を貫く道路や鉄道も、農地も切り拓いたのは囚人だったのだ。(博物館網走監獄のパンフレットより)

歴史の表舞台には決して登場しない数多くの人たちの苦労や労働のおかげで今がある。その事実を知って考えさせられた。
「時間がなければ旧網走刑務所は行かなくてもいいよ。」なんて言ってたけど、見学できてよかったと思っている。




旅の記憶〜屋久島編〜

2024年04月27日 | 旅のこと

先月の中旬、屋久島に行ってきた。
屋久島を訪れるのは今回で6回目になる。


屋久島に行ったというと、「縄文杉」を見た?と聞かれるが、残念ながら一度も見たことがない。
じゃあ何しにいくの?と聞かれるが・・・何もしないが正解かなあ。
夫と二人レンタカーで屋久島をぐるぐる周る。屋久島は一周約100kmなので3時間ほどでゆっくり一周できる。
行くたびに2〜3周したかもしれない。今回は残念ながら西部林道が通行止めだったため一周することはできなかった。


西部林道ではヤクザルやヤクシカの野生の姿を見ることができる。行くたびにスマホの写真がヤクザルとヤクシカでいっぱいになる
ヤクスギランドは私の足でも散策することができる。短いコースから長いコースがあるので無理をせず自分に合った歩き方ができる。
名前がついている杉としては紀元杉や川上杉が見られる。ここでもスマホの写真は杉だらけ。今やどれがどの杉かわからない




   


   



   



   







登山やトレッキング、カヤックはしないので・・・と言うと、ホテルの方が屋久島での過ごし方をいろいろ教えてくれる。
屋久杉を磨いてキーホルダーを作ったり、夜光貝を磨いてアクセサリーを作ったり、屋久杉のお箸を削ったり。
何度訪れても楽しい屋久島の時間を過ごすことができた。



   


   





 


今回は2泊3日と短い滞在だから・・・とあらかじめ夫がいろいろと計画を立てていた。
松山空港から福岡空港を経て屋久島空港に到着。
レンタカーを借りてまず益救(やく)神社に行った。屋久島に降り立つと必ず訪れる屋久島のパワースポット。
お参りした後ホテルに寄り、タオルをいただいて平内海中温泉に行った。今まで何度も立ち寄ったことがあるが、干潮にならないと入れないため今回が初めて。
もちろん混浴!しかも足元が悪いため、私は見ている人。夫は地元の方と仲良く喋りながらゆっくり温泉につかっていた。
タオルで腰回りを隠したいけど、足元が滑るのでどちらを優先にするか焦ったとのこと。もちろん足元優先だよね。危ないもの・・・
念願叶って温泉に入ることができて嬉しそうだった。


   





ホテルは「sankara hotel&spa 屋久島」


   





ホテル内は自然がいっぱいで、まるでジュラシック・パーク(映画の話)のよう。植物の名前あてゲームをしながらゆっくりと散歩をした。
美味しい食事の後、テラスから見る屋久島の空には驚くほどたくさんの星が煌めいていた。
空気が綺麗で、明かりが少ないからかな。こんなにたくさんの星を見たのはいつ以来だろう。


      


   





2日目の午前中はホテルで「苔玉作り」をした。
私、今まで自分のことを不器用と思ったことはないのだけど、苔玉作りをしてみて、実はかなり不器用なのではと思い始めた。
夫はあっという間に美しく作ったのに、私は苔を支えるための糸がうまくかけられず、先生の手を借りなければならなかった
ちなみに苔玉の材料の木や苔は全てホテルの敷地に自生しているものだそう。
二人で作った苔玉は大事に持って帰り、今は我が家のテーブルに鎮座している。


   





午後からは宮之浦の「潮騒」という食事処で「首折れさば」のお刺身を堪能した。新鮮で鯖とは思えないほど美味しい。
鯖のネーミングについて、「首折れさば」じゃなくて「首折られさば」の間違いだよねと言いながら食べるのも毎回のこと。







2泊3日はあっという間で屋久島を去る日に気がついたこと。今回の旅行は雨が降らなかった!
屋久島はひと月に35日の雨が降ると言われている。こんなに晴れた日が続くのは珍しいですと地元の方々が口を揃えて言っていた。
穏やかに晴れた美しい早春の屋久島の3日間だった。
そして帰りの飛行機ももちろんプロペラ機。離島だもんね。


   





県道沿いはもうほとんど行くところがないほど何度も島をぐるぐる周っているけれど、帰ってきたらまたすぐに行きたい。
何もせず海を見ているだけで幸せな気持ちになる。時間の流れがゆったりとしていて・・・「島時間」て本当にあるんだと思う。
どうか屋久島だけはこのままであって欲しいなとは私の勝手な願いです。


 


旅の記憶~ベトナム編 ~

2013年06月05日 | 旅のこと

2009年9月、夫とベトナムのホーチミン(旧サイゴン)を訪れた。
関空からホーチミン空港まで飛行機で約5時間30分。
上空から見えたホーチミン空港は、ベトナム戦争当時から使用している格納庫があり、また待機中の軍用機も多く、現在も軍隊が使用している空港のため撮影禁止であった。


ベトナムの歴史は、他国の侵略とそれに対する抵抗の歴史。
1000年にわたる中国支配のあとベトナム王朝の時代が訪れる。
しかし1800年半ばよりベトナムはフランス領となり、その後1946年の第一次インドシナ戦争勃発から1975年のサイゴン陥落まで南北分裂、ベトナム戦争と悲しい時代が続く。

ベトナム戦争終結後はベトナム共産党政権の社会主義国家となるが、
ドイモイと呼ばれる経済改革政策が実効をみせ、現在ベトナムは経済発展が著しい。
今後はさらに国際化が期待される国だと思う。
なによりも若い人が多く、みな勤勉で活気があった。


ホーチミン市内は「プチ・パリ」といわれフランス統治時代に建てられたコロニアル建築が数多く残っている。


聖マリア教会



中央郵便局



人民委員会庁舎



市民劇場



私と夫は市民劇場に近い「パーク・ハイアット」に宿泊し、ドンコイ通りを中心にホーチミン市内を歩いた。
夫と旅をするととにかく歩く。ベトナムもまた暑い国であった。


コロニアル・ホテルのグランド

このほか、マジェスティックやコンチネンタル、レックスなどのコロニアル・ホテルを見てまわるだけでも優雅な気分に浸れる。


フランス人が多く住んでいた1900年代の初めに建てられ、改装され今もホテルとして使用されている。客室もアンティーク調に統一されているそうだ。
作家開高健が朝日新聞社臨時特派員として、ベトナム戦争当時サイゴンに滞在していたという話はとても有名。
彼が滞在していたホテルはマジェスティック・サイゴンで、今も宿泊していた部屋が残っている。



ホーチミンには戦争証拠博物館や統一会堂などベトナムの歴史を語るうえで外せない戦争の傷痕を克明に伝える施設が数多くある。
悲しい戦争後40年。サイゴンはホーチミンとなり今の美しい町並みを取り戻すまでどれほどの労力を要したことだろう。
旅をして広大な景色やすばらしい建築物にはいつも魅了される。
だが、本当に偉大なのは「人」だということに気づかされる。


旅の記憶~台湾編 その4~

2013年05月20日 | 旅のこと

昨年2012年5月は東台湾に出かけた。
台北駅から花蓮駅まで鉄道で約3時間。
地元の方と一緒に旅をして雨の花蓮駅に着いた。
花蓮の駅前で貸切タクシーをお願いして、太魯閣峡谷の観光に。
タクシーの運転手さんは少しだけ日本語が話せた。


太魯閣峡谷のゲート。

この門が太魯閣峡谷観光のスタートでゴール。
いかにも台湾らしい色鮮やかさ。


長春祠は長春瀑布をまたぐように立つ祠。
公路建設の難工事で亡くなった方々の霊が祭られているそう。



燕子口では歩いて峡谷を見ることができる。
急流や地下水などによって大理石の岩肌に小さい穴が空いている。
かつて峡谷周辺を燕が飛び交い、その穴に巣を作っていたことからこの名がついたという。

おそらく世界一ヘルメットの似合わない男性と、

思ったよりなかなかいけてる女性

撮りあった写真を確認して、お互い大笑いする怪しい日本人ふたり。
地元の方はどう思われただろう。


それにしても、浸食を繰り返し何万年もの時を経て造られたこの風景を見ていると、
大自然の前では人間なんてちっぽけな存在だと改めて痛感する。
この後折り返し地点の天祥まで行き、同じルートをたどり花蓮の駅前まで戻ってきた。

帰りの電車まで時間があるので、また夫と花蓮の街を歩き回る。
行列ができるというワンタンは食べられなかったが、
陳記状元粥舗でおいしいお粥を食べることができた。



長い間台湾に通ってもなかなか食べる機会に恵まれなかった鼎泰豊の小龍包だったが、
この年永康街の本店ではないが、やっと口にすることができた。
知らない間に台北101の一角に店を出していたらしい。
少しの待ち時間で席に着くことができた。

さすが世界の10大レストランに選ばれたこともある超名店。
あつあつの小龍包は何個でも食べられるくらいおいしかった。

おいしいものを食べるのに言葉はいらないね。ふたりとも黙々と食べる。
一度食べると続くもので、その後息子と大阪で会った際、
なんば高島屋の中にある鼎泰豊の支店で同じものを食べた。
おいしいとは思うが、台湾で食べたときほどの感動はなかった。
やはり、台北(地元)で食べるからこそ美味しいのかもしれない。
だが、夫には「やはり、あなたと食べるからおいしいんだね。」と言っておいた。
なぜなら、また連れて行ってほしいから


神様、近いうちにまた台湾に行くことができますように


旅の記憶~台湾編 その3~

2013年05月16日 | 旅のこと

2009年にはジョウフェンまで出かけた。
台北市内から高速バスが出ている。
高速バスといっても日本のそれとは少し違う。
ローカルバスの停車駅が少ないような感じ。
ちなみに私が座った席は窓ガラスが割れていてセロハンテープで補修していた。


ジョウフェンの街は入り組んだ路地や急階段に昔ながらの建物が連なっていて、
ノスタルジーを誘う街とのことだが、本当に懐かしさを感じさせる。
映画『千と千尋の神隠し』の街のモデルにもなったということであった。



あまり広くない街を夫とぶらぶら歩きながら、名物の頼阿婆芋圓のスイーツを食べた。
日本でいう白玉団子や芋団子が入ったぜんざいのようなもの。



雨も降っていたので、帰りも高速バスに乗って早めに台北に帰った。
ジョウフェンは雨の多い街だそう。
もちろん帰りのバスの中で、夫は爆睡。
私も車窓を見ているうちに眠ってしまった。


台湾の友人は私たちだけではおそらく行くことができないような所に連れていってくれる。
台湾式シャンプーの店や足の裏の角質取りの店、夜市。
台湾を訪れるたびに誘ってくれるので、ついつい甘えて連れて行ってもらう。

驚いたのは「エビ釣り場」なる施設。
故宮博物院から渓谷沿いに登ったところにある。



こんなところにエビが?・・・というような所にエビの養殖場があり、釣りざおをかりてエビを釣る。
もちろん私は魚も含めて釣りは生まれて初めて。
だれが一番多く釣ったとか、なんだかんだ言いながら釣りをするのはとても楽しかった。
釣ったエビはその場で料理する。



新鮮なエビはとてもおいしい。頼めばエビ以外の料理も出してくれる。


もう一か所は三峡にある「大板根森林温泉渡暇村」という温泉施設。
台北市内から車で1時間くらいかかった。
車がない場合は電車とバスを乗り継いで行かなければならない少し不便な山間部にある。
露天風呂は水着着用なので個室をお願いした。
台湾は日本と同じで温泉が多い。
地元の方がほとんどだった。温泉好きは台湾の方も同じ。

なかなか行けないような所に連れていってくれる友人に感謝している。


迪化街を歩き、龍山寺をお参りしたついでに付近を歩き、台湾大学周辺を歩きと、
行くたびに夫と台北市内を歩き回った。
夜市では??的なものも食べる。「郷に入っては郷に従え」だから。
意外においしいのは臭豆腐。



名前のとおり、かなり臭いがきつい。なのに味はなかなか。
私は上にのっかている漬物のようなものが好き。
士林夜市が近くて行きやすいし、ちょっとおもしろい。

観光客も多いが、地元の方も大勢いた。
毎晩遅くまで家族や友人とおしゃべりしながら食べたり、買い物をしたりするようだ。
そのパワーに圧倒されてしまう。
軟弱な日本人の私はすぐに眠くなってしまうのに。

台湾の良いところは食事がおいしいこと。
食べものがおいしいことは旅行をする上でポイントが高い。
だから台湾が好きなのかもしれない。


旅の記憶~台湾編 その2~

2013年05月09日 | 旅のこと

とにかく歩き回ることですぐに現地になじむ夫は、
行天宮の近くに店を構えている日本語の堪能な台湾の方と友人になった。



その方の店から行天宮までは歩いて数分なので、
台湾に行った際は必ず行天宮にお参りしている。
台湾の方は年配の人だけでなく若い人も信心深いのか、お参りをされている若い人が本当に多いことに驚く。



2008年の5月には、その前の年に全線開通した台湾高速鐵路(新幹線)に乗って高雄まで日帰り観光に出かけた。

台湾の新幹線は日本の新幹線700系がベースというだけあって、乗り心地は日本の新幹線とほぼ同じ。台北から高雄まではなんと1時間30分~2時間という快適な旅だった。


高雄ではまず「蓮池潭風景區」に行った。
龍虎塔などの極彩色の建造物が湖畔に点在する。

龍の口から入って


虎の口から出ると


それまでの悪行を取り消しにしてくれると言われている。
あれからもう5年も経ってしまったので、たまりにたまった悪行を取り消しにしてもらうため、
もう一度高雄まで行かなければと考えている。
当時はちょうど湖の排水路の工事中とかで、湖の水が全然なかった。

悪行はおいといて、きれいな水をたたえている湖を見てみたいと思う。


この日の気温はかなり高く、もうすでに1年分くらいの汗をかいていたのだが、
高雄の街でご飯を食べても、帰りの新幹線の時刻まではまだまだある。
ガイドブックを見て、「台湾の西湖」とよばれる「澄清湖」に行くことにした。
が、またここがあり得ないほど広かった。湖の周囲を歩いても歩いても終わりが見えない。

後で知ったことだが、湖は1周約7kmとのこと。しかも気が遠くなるほど暑い。
大げさだけど、もしかしたらここで死ぬかもなんて思ったりもした。

途中、海洋奇珍園なる水族館に寄り、九曲橋などを見ながらとにかく出口を探して歩いた。
新幹線の発車時刻が迫ってきているのに、このままここから出られなければ台北に帰れないと真剣に心配した。
これまた後で知ったことだが、心配したのはどうやら私だけだったようだ。
夫はそんなこと気にも留めてなかったという。本当にいつも楽観的なんだから・・・

出口かどうかはわからないがやっとタクシーが拾えて、高雄の新幹線の駅(左營)まで送ってもらい、なんとか帰りの新幹線に間に合った。
もちろん、帰りの新幹線の車内で夫は爆睡、私は日本じゃないから心配で眠れない。


世の中本当によくできているもので、こんな夫に連れられて旅行に出かけると、
自分一人では絶対に経験できないような旅をすることができる。
途中ハラハラ、ドキドキし通しのことが多いが、
夫の「大丈夫!」の一言で、そんなものかなぁってついていける私がいる。
結果、「行ってよかった。」と思うことが多い。
最近は年齢や体調を考えてくれてあまり無理はしないように気を遣ってくれるが、
夫とでかけると楽しい冒険旅行ができることには変わりない。


旅の記憶~台湾編 その1~

2013年05月05日 | 旅のこと

この10年ほどGWは毎年のように台湾に出かけている。
行かなかったのは娘が大学に入学した年と家を新築した年、そして今年。
今年も迷ってはいたのだが、この年齢になるとさすがに帰国翌日の仕事はきつい。
4日ほどの連休では体がもたなくなったのが大きな理由とは、我ながら情けない。

初めて夫に連れられて台湾を訪れたのは2004年の7月だった。
桃園国際空港に降り立った時、スパイシーな香りがしたことを今も覚えている。
あとで気がついたことだが、スパイスの八角の香りだったようだ。

日本よりはるかに蒸し暑い台北をふたりで歩き回った。
まずは「国立故宮博物院」に。
今はお色直しも済んで美しく生まれ変わったが、当時は工事中だった。
中国史は一般人以下のレベルだが、台湾の至宝はどれもこれもすばらしかった。





その後2005年3月と2005年12月に、それぞれ息子、娘と故宮博物院に行ったが、
展示品は常設しているもの以外は毎回少しずつ入れ替わっていた。
すべての収蔵品をみるのに10年必要といわれているのもうなずける。



日没前にはMRTに乗って台北駅から約35分。
夕日が美しいと言われている「淡水」へ。



淡水は道路沿いに食べ物を販売する店や屋台が立ち並んでいる。
日本ではお目にかかれないような食べ物も多くあり、すべてが珍しかった。


サトウキビをしぼっただけのジュースや、
漢字だけ読むと怖くて食べられないようなものまで。


食べてみると、香辛料には慣れてないが味は絶品なものが多い。
おそるべし、台湾B級グルメといったところ。


夫と淡水の路地裏を歩き回った。
「あれ、こんなところに超有名コーヒー店?」と思ったが、

よくよく見ると、カブトムシやクワガタを販売している昆虫ショップだった。
「うまい!」と夫と大笑いした。
あまりにもそっくりで思わず写真を撮ってしまったけれど、
1年後に訪れたときはなくなっていた。
似すぎていたので、クレームがきたのかなあ。



連日真夏日にもかかわらず、とにかく初めてなのでお定まりの観光コースをとにかく歩いた。
中正紀念堂で。

遮るものが何もない広大な敷地に巨大な建物が建つ。
蒋介石さんはとにかくすごい人だったんだと思うけれど、
私は「今まで生きてきた中でこんなに汗をかいたのははじめて。」などと
罰あたりな感想しか出ないくらい暑かった記憶しかない。
(だがこの4年後高雄でもっと暑い思いをするとは、この時の私は夢にも思わなかった・・・)



そして当時世界一高かった「台北101」。
まだ完成してなくて、展望台へは行けなかった。
その後2005年の12月に家族4人で台北101の展望台に登った。
台北市内が一望でき、すばらしかった。
この時久しぶりに家族4人で撮ってもらった写真を、
私のワンプッシュでデーター削除してしまったことは痛恨の極みだ。


初めて訪れた台湾の印象が強すぎて、この後何度も足を運ぶようになる。
私が小さかったころの昭和の古くささと、近代的な新しさの混在する国。
一言でいうと「昭和のかおりが残る国」かなあ。
私にとって台湾は、異国に来たというより、なぜか懐かしさを感じさせる国。
今では台北の空港に降り立つとなぜか、
「ああ、帰ってきた。」と思うのは私だけかな。