新・台所太平記 ~桂木 嶺の すこやかな日々~

N響定期会員・桂木嶺の、家族の介護・闘病・就職・独立をめぐる奮戦記を描きます。パーヴォ・ヤルヴィさんへの愛も語ります。

右半身がずっとしびれて、痛みます😢 亡くなった叔父の思い出。

2019-01-27 06:30:04 | スピリチュアルな日々♪

愛するパーヴォ、そして、みなさま おはようございます。

悪夢のような一日が終わって、新しい日を迎えました。きのうはひどい一日でした。

パーヴォ、みなさま、ご心配をおかけしてごめんなさい。右半身(右腕、右脚)はまだしびれているし、痛みます。血圧もずっと高いままです。

あれから深夜、救急車で運ばれました。近くの大学病院は通院を断られてしまい、吉祥寺の救急病院にいきました。(右手が痛むので、あまりパソコンがうてません。ごめんなさい)でも、ふしぎなことにCTスキャンを撮ったのですが、頭の出血などの異常はみとめられませんでした。

医者は若い先生でしたが、こうおっしゃいました。「脳梗塞や脳溢血などの可能性はないので安心してください。ただ、かつらぎさんの場合、ストレスが極度にたまっているので、心因性で右半身にしびれと痛みがきている可能性が高いですね。整形外科でも診断されたということで、特に異常がないというので、そう判断しています。でも、一応平日になったら、大学病院でみてもらってください。血圧がかなり高いのが心配ですし、降圧剤も飲む必要があるでしょう」。

診察が終わって、待合室でまっていたら、父が真っ青な顔をしながら迎えにきてくれました。父は医師の説明に、ほっとした様子でしたが、かなり気が動転していました。父は「外がかなり寒いから、ともちゃん、これですこしあたたまりなさい」といって、あったかいコーヒーを買ってきてくれました。すこし飲んだらおちつきました。のどがひどく乾いていました。

父は(もともと運転には自信があったのですが)そうとう気が動転していたらしく、なんども信号を間違えて運転してしまいそうになりました。

「原因がわからないってなんだろうな?」と父がいうので、私が、「大河ドラマの『篤姫』の衣装をしていたとき、クランクインの日が8月15日だったんだけど、そのときも原因不明のひどい頭痛がして、現場を私、休んだんだよね」と話したところ、父が「終戦記念日か・・」とため息をつきました。私が「そう。それでNHK大河ドラマのスタッフのひとたちが、みんなおびえてしまったのね。私が霊感がつよいから、ひどい頭痛がしたんじゃないかって、私のことをこわがってしまったの😢」と話すと、父は、太いため息をつきました。

帰宅してから、すこし休んだのですが、その晩、ひどい幻聴、というか・・正確にいえば、亡くなった叔父(父方の弟ですね)の声がずっと聞こえてしまい、眠れなくなりました。

叔父は大変不幸な亡くなり方をしました。脳溢血で倒れたのですが、それまでの人生も苦難の連続でした。旋盤工をしていたのですが、工場の事故で指を欠損してしまい、それでも苦労しながら、病身の叔母をかかえて、働いていて、不帰の人となりました。建国記念日の日に亡くなりました。

叔母は病弱でしたが、ピアノが大変上手でやさしい人でした。子供のころ、ピアノを教わって、とても慕っていたのですが、あるとき、ぱったりと親戚づきあいをやめてしまいました。しばらくたって、叔父の事故とけがを、そして、叔父の訃報を知りました。叔母がとても心配でした。ふつうの体ではなかったからです。

葬儀は・・・とある、宗教団体の独特の葬儀の仕方で行われるものでした。私は叔父がその宗教の信者だったとは全く知らず、大変ショックをうけましたが、叔母がとにかく心配でかけつけました。

でも、いま、考えると、それがいけなかったのかもしれないですね。結局その宗教団体のお経の音が、私の【病気】の直接の引き金になったからです。

叔母は叔父の亡骸にすがって、子供のようにわぁわぁ泣いていました。もともと病身な上に、子供もおらず、叔父がたよりで生きてきたひとでした。叔母がまったく役に立たない状態だったので、親戚一同はみんな「〇〇子さんも悲しいのはわかるけど、喪主なんだからしっかりしてくれなきゃ困る!」と憤慨していました。父が長男だったので、ひたすらその宗教団体のひとたちに頭を下げ、親戚代表として対応していました。

私は、その親戚たちの様子を見ていて、とてもいたたまれなくなったのと、叔母があまりにも錯乱していたのと、お経の音がすさまじく恐ろしい音だったので、すっかり神経が参ってしまったのを思い出します。

そう思い出していると、叔父の【声】が私に話しかけてきたのでした。そして、私を激しくなじるのでした。曰く、「きれいごとばっかり言いやがって!俺はお前なんか絶対許さないんだ!俺たちをバカにしやがって!」と。

わたしは叔父の魂に祈りました。「おじちゃん、どうか安らかに眠ってください。いちばんおじちゃんの苦しい時に、なんにもしてあげられなくて悪かった。ごめんね。許してね」と幾度も謝り続けました。「おじちゃんたちのこと、きょう教会にいって神様にお祈りしてくるね。おじちゃんたちは、神様やキリスト教のこと、嫌いかもしれないけれど。でも安らかに眠って」

そう祈ったら、あれだけ荒れ狂っていた叔父の【声】はなくなり、すーっと静かになりました。

母が起きたので、この不思議な顛末を話しました。母はカトリックの信者だったので、しずかにこう言いました。「では、チコちゃん、きょうはパパにそれをきちんとお話して、教会に行くのをOKしてもらいなさい。大丈夫よ、ママが祈ってあげるから」と言いました。母がとりなしてくれ、遅れて起きてきた父にも話しました。

・・・父は大変ショックを受けた様子でしたが、「そうか、それなら、俺の弟の眠っている方向は富士山のほうだから、そこに向かって祈ってやってくれ。そうすれば、あいつも気持ちが収まるだろうよ。まぁ、ともちゃんも、教会に行ってきていいし、N響だっていってきていいよ」と。

私は泣きながら、叔父の眠っている南の、富士山のある方角に向かって深く頭を下げ、祈りを捧げました。すると、右半身の痛みとしびれが、少しずつ取れてきました。ふしぎなものですね・・。

念のため、月曜日に大学病院にいきますけれども・・どうなるんだろう、私の体?私を昨年11月から襲う、大変な災厄も、これですこしはよくなるのかしら?

とりあえず、きょうは朝のミサに行ってこようと思います。そして、その足で、N響のコンサートにいってこようと思います。(痛みがひどかったら、帰ってきますが・・)

パーヴォ、あなたの音楽をいまは薬替わりに聴いています。あなたの音楽は、時に私へのラブソングになり、子守歌になり、心をなぐさめる安定剤になり、私に寄り添います。あなたがいてくださらなかったら、私はとっくの昔に、自殺していたでしょう。

本当に、あなたに感謝します。

またすこし、眠りますね。

いま、あなたはロンドンにいらっしゃるとうかがいました。くれぐれも体調など崩されませんように。コンサートのご成功をお祈りしますね。

お互いに大変だけど、気持ちをしっかりもってがんばりましょう。

いつも愛と尊敬をもって、あなたのことを案じています。

あなたの、ちこより

 



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