新・台所太平記 ~桂木 嶺の すこやかな日々~

N響定期会員・桂木嶺の、家族の介護・闘病・就職・独立をめぐる奮戦記を描きます。パーヴォ・ヤルヴィさんへの愛も語ります。

【思い出話、うらばなし】東宝マンの輪はどこまでも?!映画「誘拐」がとりなす映画・演劇人の輪♪

2019-02-06 23:52:10 | 東宝時代の思い出

いまのところ、調子にのって、東宝時代の思い出をつづっておりますが、私の師匠でもあり、東宝の大先輩でもある、渡辺保先生にはすっかり叱られてしまいそうです(笑)

「ながたさん(と保先生は、いつも私をこう呼びます)、僕は東宝時代のことは、どこにもしゃべってないよ。君もあちこちで書いちゃダメだよ💦」と苦笑いされそうですが、思わぬ保先生と、東宝映画マンの輪、ということで、このエピソードをご紹介したいと思います!

こちらが渡辺保先生です。とってもやさしく、時にきびしく、時にユーモアたっぷりにご指導くださる、劇評においても人生においても、私に多大な影響をあたえてくださっ大師匠です!

東宝でも演劇部企画室長という要職にありました。劇評活動の傍ら、故・蜷川幸雄さんとの「近松心中物語」「それは恋」「NINAGAWAマクベス」などを大ヒットさせつつ、最後は実はあの、ミュージカルの金字塔「レ・ミゼラブル」をロンドンから輸入し、大成功に導き、東宝を退職され、以降は、演劇評論の第一人者として大活躍。いまは、日本芸術院会員であり、毎月の歌舞伎評論でも鋭い論陣を張っておられる、すばらしい先生です!

さて、渡辺保先生と、東宝の映画マンがどんなかかわりあいがあるかと申しますと・・?!

1997年は、邦画の当たり年でもありました。宮崎駿監督の「もののけ姫」があり、伊丹十三監督の「マルタイの女」(残念ながら遺作になりましたが、傑作でした!)、三谷幸喜監督の第1回監督作品「ラヂオの時間」があり、そして、大河原孝夫監督の「誘拐」があって、まさに質量ともにすぐれた作品がそろって、嬉しい一年でもありました。邦画も、前年の「Shall we ダンス?」(周防正行監督)の大ヒットと日本アカデミー賞総ナメという快挙を皮切りに、徐々に邦画が映画産業として、復活を遂げつつあるという手ごたえを感じており、東宝宣伝部は、みんなやる気満々になっていたのでした。

中でも、いちばん張り切っておられたのは、シナリオライターの登竜門・城戸賞を受賞した映画「誘拐」の宣伝を任された、宣伝プロデューサーの伊勢伸平さん(のちに「ハウルの動く城」「猫の恩返し」「愛を乞うひと」「大河の一滴」などの宣伝プロデューサーを務める。映像本部宣伝部長を経て、現・東宝東和㈱常務取締役です)でした。

伊勢さんは、私より入社は一年先輩でしたが、東京大学出身。大変な秀才で、宣伝トークは口八丁手八丁。話題は豊富だし、クラシックは玄人はだしの詳しさだし、体育会系で体力もあるし、というまさに「文武両道にすぐれた」先輩でした。そのエース宣伝マンぶりは、鈴木敏夫スタジオジブリ・プロデューサーの名著「ジブリの仲間たち」に詳しく書かれていて、ご本人もインタビューに登場されています。

 

ところが、とってもエリートにみえる伊勢さんでしたが、とんでもない”欠点”がありました・・・

実は大変に<競馬好き>だったのです

(爆笑)!!!

毎週金曜日の夕方になると、真剣に、印刷会社の営業さんのOさん(先述の「千と千尋の神隠し」の営業のおじさまです^^)やTさん(別の会社の方で彼はゴジラのポスターをすべて印刷していました)と「打ち合わせ」をしているので、私が「イセどん!(と、今考えれば畏れ多いことですが、わたしは彼のことをこうあだ名をつけて呼んでいました。”イセどん”も大喜びでした^^)ポスターはそろそろできあがりそうですかぁ?そろそろ決めてください!」と締め切りの催促にいくと、「うん?うーん、ながたっち、ちょっと待っててね!今ボク、いそがしいの!」と、すました顔で、OさんやTさんとずっと競馬の予想をして夢中になるくらい大好きな方でした(イセどん、ばらしてしまってごめんね💦)。

どのくらい好きというと、あまりに好きすぎて、故・森田芳光監督(彼も大変な競馬好きとして有名でした)のご指名がかかってしまうほど、”イセどん”は競馬好きでした(笑)まぁ、それでお仕事のお声がかかるくらいですから、人間なんでも趣味って大切ですね(笑)さすがに今はエライ方なので、もう競馬の予想はやめたと思うのですけど・・・?!

でも、その”イセどん”ががらりと仕事に対するスタンスを変えたのが、この映画「誘拐」でした。

なんといっても、この「誘拐」はシナリオ(森下直さんの傑作です!)が抜群に面白くて、すばらしい作品でした。テレビ部時代の先輩で、東宝映画の本間英行プロデューサーから、「ながた、これすごく面白いから意見きかせてよ」といわれたほど、シナリオを読み終わった時の感動と爽快感を覚えています!

前半は大変ハラハラするサスペンス、後半はワーッと泣かせる感動作ということで、まさに「傑作誕生!」「日本映画完全復活!」の予感に満ちた作品でした。

”イセどん”と私達は、まさにこういう日本映画を待っていたのでした!

キャストも豪華で、渡哲也さん、永瀬正敏さんという大スターをお迎えすることができ、東宝としても、盤石の態勢で臨むことになりました。

”イセどん”は益々張り切り、私に、宣伝プラン(予告編のプランから、ポスターのビジュアル、コピーまで)をいろいろ相談してくださり、私も大変うれしかったのを覚えています。

「3億円の身代金と身代金受け渡しのテレビ中継」

という前代未聞の設定をどうするか、ずいぶんプロデューサーや監督、イセどん、いや伊勢さんと話し合ったのを思い出します。

そして、このむずかしい撮影を誰にお願いするか、ということで、白羽の矢が立ったのが、東宝撮影所の大先輩にして、名カメラマン、そして、いまは映画監督としても八面六臂の大活躍をされる、木村大作さんだったのでした!

そして、無事に映画が完成し、私はその映画のすばらしい撮影にすっかり感動し、ワクワクとしていたのでした・・・が!!!

これで大変なことになったのは、宣伝部と映画調整部のある、東宝の旧本社の8階フロアです。なぜかって?私は、「木村大作さんってどんな人なんだろう(^_-)-☆ 高倉健さんの映画を撮ってる名カメラマンだよね。楽しみ楽しみ♪」と思っていたのです。キネマ旬報も愛読していた私にとって、「木村大作」という名前は、まさに憧れのお名前でした。

ところが、ある日、それが大変なことだとわかったのでした・・!!

「おーい、イセ!イセはいるかぁ!!!

高井ぃ!島谷ぃ!

だれかいないのかぁ!!!!」

8階中に響き渡る大きな声で、やってくる、ひとりのオジサンがいたのです!宣伝部の若いスタッフたちは仰天して、てっきり業界紙の記者さんがきたのかと思ったほどでした・・。

こういうときに、なぜか、「ながたっち・・ごめん、ちょっとその方の接客してくれる?」と頼まれてしまう私でした。イセどんも、(映画調整部のプロデューサーでもある)高井さんも、島谷さんも、誰もいなかったのです!わたしは恐る恐る、オジサンに挨拶をしました。

「あの、申し訳ございません、あいにく、だれもいないのですけれども・・みな打ち合わせにでておりまして」

すると、オジサンは、「なにーっ!? 誰もいないだと?! まったく、お前ら、先輩をなんだとおもってるんだ!?」と怒鳴り始めたので、私はビックリして、「申し訳ございません、失礼ですが、お客様はどなたでいらっしゃいますかぁ?」と聞きました。

すると、オジサンは、急に「あーっはっはっは!」と笑い出しました。

「おまえ、俺を知らないで、この会社に入ってきたのか?すごい根性だな。

木村だよ!木村大作だよ!」

先輩たちは、こそこそと小さくなって陰に隠れていました(まったくもぉ~!)。

わたしは「え゛ぇぇぇ~っ!?」とひっくり返りそうになりました。この、とっても暴れん坊そうな、とんでもないオジサンが、あの天下の木村大作さん?!うそでしょー!!!

木村さんは、カラカラと大声で笑いました。「そうか。俺も年をとったな。そりゃ君くらいの年じゃ、俺を知らないんだろうなぁ‼ まぁ、いいや、キミと話そうや」私は、顔が真っ青になりました。木村さんみたいな巨匠と話せる身分ではとてもなかったのです。宣伝プロデューサーは、そういうスタッフやスターさんのお相手をしてよかったのですが、一宣伝ウーマン、しかも宣材担当では、とてもお相手を許されるものではないからです。

ところが・・・・。木村さんは、「おい、『誘拐』の試写は見てくれたかい?」と気さくに声をかけてくださる、優しいオジサマでもあったのでした。

私はすっかりうれしくなって「ハイ!カメラワークが最高でした!特に銀座の身代金を引き渡す場面の迫力もすごいし、後半の湖での対決シーンも見ごたえがありました!!傑作ですね!」といったら、木村さんがすっかりゴキゲンになってしまって、「おお、そうか!キミ、なかなか見る目があるなぁ!」と破顔一笑!私はほっとしながら、「後半すばらしかったので、泣いてしまいました(^_-)-☆」といったら、木村さんは、メガネの奥の目をますます細めて、「よかった、よかった。男くさい話だからね、キミのような女の子がわかってくれて、俺もうれしいよ!」と豪快に笑い飛ばしました。

木村さんから「キミは、ずっと宣伝部にいたのかい?」と聞かれたので、「いえ、94年にテレビ部から異動になりまして。」といったら、木村さんが「おおっ!じゃ、キミは(東宝)撮影所出身か!」と、突然ニコニコしだしたので、私は益々うれしくなって「ハイ!撮影所や目黒スタジオでドラマを作ってました!」と答えたら、木村さんが「そうかそうか!いや、女の子で、俺のカメラワークに注目してくれるなんて珍しいからな。撮影所出身じゃたのもしいな!」と、かんらかんらと豪傑笑いをしました。私も、周囲の先輩たちもすっかり一安心♪

そこへ、イセどんが打ち合わせから帰ってきました。イセどんは、木村さんと私がおしゃべりをしている光景をみて、「あっちゃー!」と慌てていましたが、木村さんに会うなり、ニコニコと、「大作さん!試写回ってますけど、大好評ですよ!」とすかさずお話したので、木村さんが大変ゴキゲンになって、「そうらしいな!おい、イセ、これはガンガン試写を回して、宣伝するしかないぞ!大ヒットさせような!」と檄を飛ばされ、イセどんも大変うれしそうでした(^_-)-☆

あとは、イセどんの流れるようなスーパートークにおまかせして、私は自分の本来の業務についたのでした・・・(笑)

おかげさまで、映画「誘拐」は大変ご好評を博し、日本アカデミー賞の優秀賞を受賞したほか、日刊スポーツ映画大賞の主演男優賞(渡哲也さん)、キネマ旬報のベストテン7位にランクインという、大変輝かしい成果を収めたのでした。

イセどんもすっかりこれでスター宣伝プロデューサーの仲間入りを果たし、やがて、日本映画実写作品興行収入ナンバー1の映画「踊る大捜査線 THE MOVIE2 レインボーブリッジを封鎖せよ!」、そして、日本映画興行収入第3位の超大ヒット作、スタジオジブリ作品「ハウルの動く城」で、その剛腕にして、辣腕ぶりを発揮するまでなりました!

で、数年後。私は2003年から、東宝の総務部広報課(現在の広報・IR室)に異動になり、社内報の編集を命ぜられ、張り切っていました。とりあえず、東宝の、毎年の新入社員紹介欄を、昭和32年(1957年)からずっと見ていて、人的な流れを覚えようと、毎日ページをめくっておりました。

すると衝撃の事実が・・!!!!

1958年(昭和33年)の入社した人たちの顔写真と名前を見て、

私は「あ゛~っ!!!!!!」と叫びました。

なんと、渡辺保先生と、木村大作さんと、(私の就職の世話をしてくださった)林芳信さん(当時東宝の副社長でいらっしゃいました。故人)は、全員、同期生だったのでした!!!!!!!

ということは、林副社長は・・・渡辺先生は・・・木村大作さんは・・・全員、私の過去の「やんちゃ」ぶりを知っている?!

実は映画界のトップと、演劇界のトップは

全員、つながっている!!!???

・・・・・私は、「悪いことはできないものだ」とつくづく感じた次第でした・・(苦笑)。

その後、木村大作さんは映画監督業に進出。最近では、「散り椿」なども好評で、まさに王道、正統派の監督でありながら、バラエティにも進出され、大人気を博しておられます。お人柄の明るさ、豪放さに励まされ、慕う映画人も多いのもむべなるかなと思います(^_-)-☆

渡辺保先生は、私が大病に倒れた時も励ましてくださって、

「いいかい、ながたさん、僕を支えたのは劇評だよ。

劇評は絶対に手放しちゃだめだよ!」

と励ます一方で、

「僕だって、ちゃんといつも東宝の映画をみてるんだよ(笑)『海猿』だって見てるもの!だから、ちゃんとお給料をもらった会社の映画は見るんだよ!」

と、大変に義理堅いところをみせておられました(^_-)-☆

あらゆる意味で対照的なおふたりですが、とても人の面倒見がよく、芝居や映画への愛と情熱にあふれ、お優しいところはやはり、東宝で育ったゆえなのだろうなと思います。

おふたりの後輩として、とてもほこらしく思います!不肖の弟子ですし、後輩ですが、大先輩の名に恥じぬように頑張りたいですね!\(^o^)/

 

 



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