新・台所太平記 ~桂木 嶺の すこやかな日々~

N響定期会員・桂木嶺の、家族の介護・闘病・就職・独立をめぐる奮戦記を描きます。パーヴォ・ヤルヴィさんへの愛も語ります。

【感謝!】 音楽は国境を超える!!パーヴォのおかげで、父と仲直り♡ 父、大いにパーヴォと音楽論を語る!

2019-02-11 13:10:31 | 両親と、パーヴォと、私。

めくるめくような、怒涛のすばらしい音楽にふれた翌日の今日は、のーんびり家での休日。母の訪問看護も祝日ということでお休みなので、なんと朝の11時まで、母も私もぐぅぐぅお昼寝♪

あー、なんだか頭がぽぉっとするなぁ・・・

パーヴォとの、夢のような2日間を続けて体験すると、強烈なブランデーを飲み干してしまったように、酔っ払ってしまいそう

パーヴォも、いまごろどうされているのかな ずっとこのところ強行軍だったから、お疲れかもしれませんね。今日くらいはゆっくりのんびりお休みできるといいなぁ(´∀`*)ポッ

パーヴォのすばらしい、ハンス・ロットの交響曲第1番のCDを聴いて、あらためて、昨日の余韻にひたっています。なんてすばらしい曲なんだろう・・・

パーヴォとお会いできてからというもの、すっかり元気になって明るくなった私をみて、父も大変安心した様子。ずっと父もご機嫌です(^_-)-☆ 「パーヴォのコンサートに行きたいからお小遣いを頂戴」と言っても、いつもだと「まったく金食い虫だな!」と怒るのに、いまは、全然怒らないで、やさしく「いいよ。パーヴォに会って、元気をもらってきなさい。しっかり音楽評論を勉強して、いろいろ教えてもらうんだぞ!」と励ましてくれる、やさしい父になりました。

それは、実はこのハンス・ロットの、パーヴォが指揮する曲を父が聴き、私の9日・10日のパーヴォの公演レポート(超まじめな公演評も、超ミーハーなファンブログも)を父が読みまして、すっかりパーヴォに感心したのが大きいらしくて!

すっごく、すっごくうれしいです

「やっぱりともちゃんは、パーヴォがいると元気いっぱいになるんだなぁ。なんでだろうとずっと思っていたけれど、ともちゃんのブログを読んだり、このハンス・ロットというひとの曲を聴いて納得したよ!パーヴォって、こんなにすごい指揮者なんだね!」

「パパはクラシックの指揮者はカラヤンぐらいしか知らないけれど、パーヴォはおそらくカラヤンより、すごい迫力があって、しかも優しいひとなんだな。選曲のセンスもずば抜けてるしね!これじゃぁ、ともちゃんが夢中になってしまうのも、無理はないね

父もすっかり目を細めながら、連日の私のブログを読んでくれています!

「うんうん、まぁパパとしては、しっかりともちゃんには仕事もしてもらいたいし、生活保護を受けてでも独立してほしいけれど、パーヴォのこともしっかり勉強して、音楽評論でがんばってほしいという思いがあるなぁ!歌舞伎の評論をしているときより、ともちゃんがずっと元気だし、生き生きしている!」

「なにしろ、ともちゃんがパーヴォとちょっとすごしただけで、とびきりの美人になって帰ってくるのが、パパにはうれしいよ ともちゃんがもう50歳だなんて信じられないくらい、パーヴォといると、少女のようになるから不思議だね(^_-)-☆ほんとにともちゃんはパーヴォのことが心底から大事で、好きなんだろうなぁ」

・・・と娘の様子をよく観察してくれていて、うれしい限りです。

「パパとしては、娘がとびきり美人になってくれて、元気になってくれて、体調がよくなって、考え方が前向きになって、パパにもゴキゲンに接してくれるのがいちばん幸せだよ。そのきっかけをパーヴォが作ってくれたのなら、パパは、ほんとにパーヴォに感謝しなくちゃいけないなぁ

そう言ってくれて、私は思わず涙・・・。そう、もうまちがっても「パーヴォだかばーぼだかしらねぇが」とは言わなくなったのでした。そして、こう父は続けて言いました。

「なんだかもしかすると、パーヴォはカラヤンみたいになる人かもしれないなぁ というのは、カラヤンもいまから50年近く前、N響とよく共演して、日本で腕を磨いたのだよ。それでヨーロッパにもどって、世界一の指揮者になったんだよ。ともちゃんは知らないかもしれないがね。だから、パーヴォも今、日本でこれだけN響を改革して、凄い成果を上げていて、人気があるのなら、ヨーロッパにもどったら、さらに大スターになるかもしれないなぁ、とパパは思う。せっかくパーヴォとご縁もできたし、しっかりパーヴォにくらいついて、いろいろクラシック音楽のことを学ばせてもらって、お前の糧になるようにがんばりなさい。そのための応援だったら、パパはがんばってするよ

私はとてもうれしくて飛び上がりそうになりました。最後の戦中派、外国人ぎらいの父が、パーヴォのことをすっかり認めてくれたからです。

「パパはジャズが好きでアメリカのドラマとか好きだけど、アメリカはとてもしたたかで、ある意味とても怖い国だと思っていた。でも、パーヴォのようなすぐれた才能のひとを、ちゃんとエストニアから受け入れて、しかもエストニアと日本の懸け橋のような存在にしただろう?やっぱりすごい国だなぁと思う。エストニアという国もあまり知らなかったけれど、パーヴォを生んだだけのやっぱりすぐれた国なんだろうな。ともちゃんが去年の8月に行って、帰ってきてから、めきめき元気になったからね。いろんなパワーをもらえる国なんだろうな」

この数日間で父は、83歳にして多くのことを学んだようです。父は感心したようにいいました。

「普通なら、ともちゃんの病気を、なかなか受け入れてくれないと思うんだよ。ともちゃんは、パパは病気ではないと思う。でも、世間はやはり冷たい部分があるからね。でも、パーヴォはともちゃんを励ましてくれて、ともちゃんを勇気づけてくれて、音楽の力でこんなに元気にしてくれた。感謝してるよ!」

「ハンス・ロットのことにしても、いわゆる、この病気に対する偏見が、パーヴォにはまったくない、ということなんだろうな。でも、偏見をもたないで生きるというのは、だれにでもできることではないんだよ。すごいことだと思うし、なかなかできないね。やはり世界中を駆け巡って、いろいろな人間模様をみているから、パーヴォはお前と6歳しか違わないけれど、達観した部分があるし、人間的にも老成しているのだろうな。そういう部分も、パパはパーヴォに感心しているんだよ。ほんとに、いいひとと巡り合えて、ともちゃんはよかったな。」

父は感慨深そうにいいました。しかも今朝、父は「おい、ともちゃん、ちょっと起きなさい。NHK-BSで『クラシック倶楽部』をやってるよ。ちゃんとこういうのも、ともちゃんは勉強しなさい」といって起こしてくれました。昨夜は昨夜で、いつもなら大好きな洋画をテレビでみるのに、「『クラシック音楽館』でマロさんがちゃんとレクチャーしてるぞ。お前もNHK交響楽団のみなさんにはお世話になっているのだから、ちゃんとしっかり見なくちゃだめだぞ」といって、わざわざ自分のリビングの大きなテレビで、番組を見せてくれました。

父は言います。

「ほんとは、クラシック音楽は、もっとなんというか、ハイソな人たちだけの楽しみだと思っていたし、パパには無縁だとおもっていたんだよ。でも実際にテレビでクラシック音楽番組をみると、すごくわかりやすいし、綺麗なメロディーだし、心が休まるし、ともちゃんがめきめき元気になったのも当然だという気がしたなぁ。」

「ほんとはともちゃんには、もっと歌舞伎の劇評を極めてほしいと、パパは思ってた。せっかく20年近くやってきたからね!でも、クラシック音楽のほうが、世界に目を広げることができるよね。演目の解釈も含めて、自由にともちゃんの発想を広げられるし、『型』や古くからの『伝統』にこだわる歌舞伎の劇評より、あきらかにいまのともちゃんの音楽批評のほうが、読んでいてパパはとても感動するよ!」

「パパも、ともちゃんの音楽評論を読むと、人間、生きていく上で、勇気と希望が必要だと思えてくるし、前向きな気持ちになって気持ちが晴れ晴れする。これはほかの誰にもまねのできない、ともちゃんの優れた才能だから、自信をもっていくといいと、パパは思う。」

「それに世界中を知って彼らと仲良くすることの大切さを学ぶことができる。この年になって、まだ新しいことを学べるというのは、実はとても幸せなことだよね。最初に勇気をもって、ともちゃんにそのことを、1万1千キロかけて、伝えに来てくれたパーヴォは、ほんとにすばらしい人なんだろうとおもったよ!」

私は、信じられない思いでした。父がこんなにパーヴォとクラシック音楽、そして私の評論について真剣に考えてくれているとは思わなかったからです!

「ありがとう、パパ!」私は感極まって、思わず涙ぐみました。

「ともちゃんには、小さいころからパパも苦労かけたからね。パパはいまのともちゃんを応援するよ。まぁ、道は険しいし、ともちゃんにはまだまだ人生の試練があると思う。でも、パーヴォを信じて、家族を信じて、一生懸命がんばるんだよ。そうすれば、道は開けるはずだよ」

父の笑顔が輝いていました!父が生きる希望を見つけてくれて、私はとってもうれしくなりました。

「ともちゃんが来てくれてうれしいのだよ。というのは、ママがとっても明るくなったからね。ママをいろんな形で元気づけてくれて、勇気づけてくれて、ほんとにありがたいと思う。パーヴォもいろいろ側面から気遣ってくれているのがわかるし、ともちゃんがなにより、パーヴォと知り合ったことで、とても精神的につよくなったように思う。独立心がめばえて、ちゃんと大人になったような気がする。」

「もちろん、はるくん(前の夫)とも、ともちゃんは幸せにやっていたから、なんではるくんと離婚してまで、パーヴォの音楽についていこうとおもったのか、パパははじめは疑問におもったよ。でも、はるくんと一緒のときのともちゃんは、全然ねんねえで、こどもだった。はるくんに、なんでもおんぶにだっこで、どこも出かけられないくらい、はたで見ていても、甘えん坊だったと思う。年のわりにはね。」

「だから東宝時代はきっとそういう、人間的に甘い部分を見せていたから、上司の人も不安だったのだと思うよ。でも、いまのともちゃんはまったく違うね。パーヴォと知り合って、海外にどんどん自分ひとりで行くようになってからのともちゃんは、目の輝きが違うし、言葉遣いもしっかり大人びてきたし、責任感がつよくなってきた。自分の言動にようやく責任をもつ自覚が芽生えたんだな。それがパパには非常にうれしいし、よかったなとおもってるよ」

「まぁ、今後パーヴォとどういうことになるのか、パパにはわからない。しかし、少なくとも、音楽評論を勉強して、必死にパーヴォについていけば、ともちゃんもひとかどの人間として成長できると思う。50歳になってまだ人間として成長ののびしろがあるのは、すばらしいことだよ。だから精いっぱい人生を生きて、努力をつづけていくんだよ」

父の瞳は非常に潤んでいました。「俺の娘にしては、できすぎだよ。」

私はすっかり感動していました。父がここまで変わったのは、クラシック音楽とパーヴォが生んだ奇蹟だと思ったからです。

神さまに、パーヴォに、クラシック音楽に、感謝したくなりました!

父にも大いに感謝です!\(^o^)/

父の応援も得て、母の愛も得て、パーヴォにも勇気をもらって、大いなる人生の航海を進んでいきたいと思います!



最新の画像もっと見る